1160.難しい線引き
呪医セプテントリオーは、食後すぐ荷台の隅で寝息を立て始めた。
ジョールチとクルィーロは、時々ソファを窺いながら小声で話を続ける。余程疲れたのか、呪医は人の声に全く反応がなかった。
「儲かる? 何で?」
少年兵モーフが、すかさず疑問を口に出す。
その理由ならクルィーロにもわかるが、半世紀の内乱時代に生まれたアビエースの答えを待った。
「戦争してる国は、攻撃されて生産拠点が壊されたり、何か作る人や仕入れる人が居なくなってしまうだろ」
「せーさんきょてん?」
「例えば、魚だったら、漁港が壊れると獲った魚を水揚げするのが難しくなる」
「うん」
漁師らしい説明に頷く。
クルィーロは、星の道義勇軍の攻撃とアーテル・ラニスタ連合軍の空襲で破壊し尽くされたジェレーゾ港を思い出した。
「農家だったら、畑がやられたらおしまいだし、パン屋さんだって、小麦を粉にする工場がやられたら、仕事が難しくなる」
レノを見ると、その通りだと頷いた。
「他にも、道路がやられたら、生野菜とか生鮮食品を運べなくなるし、生き残ったって俺たちみたいに避難したら、作るどころじゃなくなる」
「ん? でも、店長さん、パン作って売ってたよな」
「店があった頃は、もっと色んな種類のを量もたくさん売ってたんだ」
レノの表情は変わらなかったが、声は心なしか震えて聞こえた。
ジョールチが説明を引受ける。
「生産と物流が滞っても、おカネがある内なら、輸入である程度は凌げます。民間人が自力で手に入れられる地域が少なくなるので、軍や政府が流通を代行しなければなりませんが、生活は何とかなります」
「今まで通った街も、軍が配達してたのか」
少年兵モーフが驚く。
「ネモラリス島内では、燃料や医薬品など元々輸入割合が高い品目以外は、まだ民間輸送で賄えるようです。物価は上がりましたが、餓死者が出る程ではありません」
「地元産の物は、そんなに高くなってませんでしたね」
何度も物価調査をしたレノが、いつもの調子を取り戻して言った。
その情報をニュース原稿にまとめたジョールチが、タブレット端末に視線を落とした。
「戦争の継続に必要な物資……戦闘糧食や武器弾薬などは、軍需品を扱う民間企業が積極的に売り込みますし、民間の傭兵会社や、大きな軍需品企業を抱える国家も、それを支援します」
「所謂、死の商人と言う奴だよ」
老漁師アビエースが悔しさを滲ませると、少年兵モーフが憤った。
「他所の奴を不幸にして儲ける奴が居ンのかよ」
ジョールチが苦しげに言う。
「悲しいけど、その通りだよ。一見、戦争とは無関係なネジなどの汎用部品を作る会社でも、兵器工場がその会社の製品を使えば、そんなつもりがなくても、結果的に戦争を手伝ったことになってしまう」
「漁師だって、戦闘糧食にしようと思って魚を獲らなくても、魚を買った会社がそれ用の缶詰に加工することもあるんだよ。世の中みんな、関係ないようでいて、どこかで縁が繋がってるからね」
クルィーロは、老漁師アビエースの湖の民らしい答えに同意した。
「俺たちの活動だって、星の標と繋がってる隠れキルクルス教徒が利用してるらしいし、戦争で誰かを不幸にした責任って、どこからどこまでって線引きすんの、難しいと思うよ」
「俺らの活動って?」
モーフは鳩が豆鉄砲を食らったような顔でクルィーロを見た。
「ファーキル君が作ってくれた報告書に書いてあったよ。ローク君が調べてくれたそうだけど、リャビーナの倉庫会社の社長が、表向きはボランティアに協力してるけど、裏ではキルクルス教徒を増やす為に色々工作してるらしい」
「難しくて、全然読んでねぇ」
クルィーロには、項垂れたモーフを慰める言葉がみつからなかった。
メドヴェージが笑い飛ばす。
「坊主にゃ他にやるコト山程あるんだ。今のお前にできるコトだけやっとけよ」
モーフは顔を上げたが、老漁師の陰になってメドヴェージからは表情が見えないだろう。
「選挙は蓋を開けてみなければわかりませんが、今回は概ね下馬評通りでした」
ジョールチが話を戻した。声には落胆と諦めの色が混じる。
国政選挙では、アーテル党が過半数を占めて圧勝、大統領予備選も、現職のポデレス大統領を含め、ネモラリス共和国との戦争継続を呼掛ける候補が通過した。
平和を訴えて次の段階へ進めたのは、唯一人。安らぎの光党のヒュムヌス候補だけだ。
アナウンサーのジョールチが、クルィーロが持ち帰ったタブレット端末の一覧を見て、ニュースと同じ調子で大統領予備選の当選者名と所属政党、公約を読み上げると、モーフが目を輝かせた。
「その、ヒュム何とかって奴が大統領になりゃ、戦争終わるんだな?」
「ヒュムヌスに投票したのは、少数派だからね」
ジョールチが困った顔で答えると、メドヴェージが重々しく頷いた。
「アーテルの選挙の仕組みなんざ知らねぇけどよ、もし、ネモラリス憂撃隊の連中が、ポデレス大統領や他の候補者を皆殺しにしても、コイツが大統領になるたぁ限ンねぇぞ」
「何でだよ」
モーフが口を尖らせる。
ジョールチが補足した。
「ポデレス大統領が暗殺された場合、アーテル党から代わりの人を出して、大統領の仕事をするんだよ。その為の大統領補佐官だからね。仮に補佐官や他の候補者が全員殺されたとしても、大統領選挙の予備選が終わるまでは、アーテル党から人を出すだろうね」
「何でだよ?」
「ポデレス大統領が、アーテル党の人だからだよ。同じ意見の人が集まって政党を作るからね。代表民主制では、大統領に何かあった時、同じ意見の人の中から代わりの人を出した方が、国民の意見を反映させやすいことになってるんだよ」
モーフは難しい顔で黙った。
仮に安らぎの光党のヒュムヌスが大統領になったとしても、第一与党のアーテル党が過半数を占める国会は荒れるだろう。
捻じれを解消しようと、安らぎの光党がアーテル党に合流すれば、小規模政党は呑み込まれてしまう。
議会を無視して大統領権限を揮い続ければ、弾劾されるかもしれない。
アーテルの一般人も、少数派の意見に大人しく従うとは思えなかった。
☆星の道義勇軍の攻撃とアーテル・ラニスタ連合軍の空襲で破壊し尽くされたジェレーゾ港……「0072.夜明けの湖岸」「826.あれからの道」参照
☆農家だったら、畑がやられたらおしまい……「757.防空網の突破」参照
☆道路がやられたら、生野菜とか生鮮食品を運べなくなる……「615.首都外の情報」参照
※ 生き物は【無尽袋】に詰められない為、陸路での大量輸送はトラックが主流。「645.二人は大丈夫」参照
☆店長さん、パン作って売ってた……「217.モールニヤ市」「218.移動販売の歌」「286.プラヴィーク」参照
☆店があった頃は、もっと色んな種類のを量もたくさん売ってた……「0021.パン屋の息子」参照
☆民間輸送で賄える/地元産の物は、そんなに高くなってませんでした……「645.二人は大丈夫」「825.たった一人で」参照
☆何度も物価調査をした……「781.電波伝搬範囲」「805.巡回する薬師」「832.進まない捜査」「852.仮設の自治会」参照
☆ローク君が調べてくれた(中略)裏ではキルクルス教徒を増やす為に色々工作してる……「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」参照




