1156.掴ませる情報
ロークは今朝からずっと、タブレット端末を握る。
掌に汗を滲ませ、もう何度、再読込みのボタンを押したかわからない。
今日は日曜で、呪符屋は休みだ。
地下街チェルノクニージニクの定宿ではなく、運び屋フィアールカが取ってくれた宿に居る。
ロークが普段、スキーヌムと一緒に泊まる部屋より少しいい部屋で、ベッドと小さな書き物机の他に応接セットもあった。
ソファでクルィーロと向かい合うが、どちらも今朝から殆ど口を開かない。
午前八時にアーテル共和国の大統領予備選と国政選挙の投票が始まった。
二人は朝からタブレット端末をつつき、SNS上の一般人の動きを追う。
午後八時の投票締め切り後は、開票速報と出口調査の報道に貼り付いた。
特にSNSは、検閲に引っ掛かればすぐに削除されるか、投稿者が公職選挙法違反で逮捕されてしまう。
フィアールカから、アーテル人の生の声を拾うよう指示された二人は、最低限の用以外はずっと小さな画面とにらめっこして過ごした。
誰からもメールなどで連絡が来ない。
今頃はきっと、ファーキルたち他の同志も同じ作業をするのだろう。
〈景気対策の財源が増税ってイミあんのかよ?〉
〈企業年金の支払いが滞ったのに、まだ戦争するの?〉
〈武器ばっか買ってないで、もっと福祉にカネ回してくれよ〉
ネモラリス共和国への宣戦布告後、アーテル共和国内の景気は悪化した。
〈テロ犠牲者の弔慰金、支払が来年になるって〉
〈世帯主やられて収入なくなったのに、どうしてくれるのよ〉
〈保険会社が潰れたのに引受け企業を決めてくれないなんて〉
開戦後、ラクリマリス王国が湖上封鎖を実施し、湖南地方の物流が滞った煽りを受け、物価が軒並み高騰。また、昨年から続く先物相場の乱調で、手形の不渡りが相次ぎ、金融機関にも大きな影響が波及した。
〈戦争に手を割いてないで、もっと国民の暮らしをなんとかしてくれよ〉
〈全部ネモラリスが悪いんだ〉
〈魔哮砲戦争、いつになったら終わるんだ?〉
〈ネモラリスを完全に滅ぼしたら終わるんじゃね?〉
〈それか、魔哮砲を潰すか……〉
〈さっさと終わらせらんねぇのは無能ってこったろ〉
そんな恨み節が、現職大統領と与党名の様々なスラングと共に投稿されては消えてゆく。
ファーキルの話では、当局が消したものもあるが、みつかる前に本人が消す場合もあると言う。
ロークには、書いてすぐ消すことにどんな意味があるのかわからないが、今はとにかく何も考えずに手を動かし、ひたすらデータを集めた。
開票速報のグラフは、与党であるアーテル党の伸びが大きい。
……こんなに罵られてるのにな。
ロークは、昨夜の遣り取りを思い出した。
「ネットでぶつぶつ言ってる人たちって、声は大きいけど人数は少ないからね」
「そんなの集めてどうするんです?」
工員クルィーロが、運び屋フィアールカの説明を訝る。
「使えるものが含まれてたりするのよ。発信者が誰かなんて気にしなくていいから、会話の流れも含めてとにかく集めてくれる?」
「集めるのはいいんですけど、要らないデータが多いの、どうなのかなって思うんですけど」
「容量とパケ代なら気にしないで。後で丸ごとこっちに渡して、重かったら、その端末のは消してくれていいから」
クルィーロの心配を他所にフィアールカは事もなげに言う。
「探すの大変じゃないですか?」
「データのチェックは大勢でやるし、発信元の属性とかもわかる限り集計するから、発信者のアカウント名だけじゃなくて、ニュースのコメント欄や掲示板とかのURLも忘れないようにコメントとくっつけて保存してね」
「大勢って誰々が手伝ってくれるんです?」
「わかんないわ」
「えぇッ?」
フィアールカのあっけらかんとした答えに二人揃って驚く。
湖の民の運び屋は、遠くを見る目で付け加えた。
「私が直接、声掛けただけでも七十人ちょっと居るし、ラゾールニクさん、アサコール党首、ジュバーメン議員、マリャーナさんやバルバツムの同志にも動員頼んだし、知り合いの知り合いとかも入れたら、全部で何人が手伝うかなんて、誰もわかんないんじゃないかしら?」
「ヘンな人、混ざりませんか? オースト倉庫の社長みたいに、手伝うフリしてこの活動を利用する人とか、邪魔する人とか……」
ロークは、隠し教会で見たオースト社長夫妻の笑顔を思い出して鳥肌が立った。
クルィーロも頷いてフィアールカを見る。ファーキルがまとめた報告書を読んだらしい。
運び屋は唇に薄い笑みを浮かべた。
「心配してくれてありがとね。そう言うのも織り込み済みだから、いいのよ」
二人は言葉もなく、緑の瞳を見た。
「今から集めてもらうのって、元々ネット上に出てるものだから、規制さえなければ、誰でもアクセスできるデータなのよ」
フィアールカはそこで言葉を切り、二人の反応を待つ。インターネットに不慣れなロークとクルィーロが反芻して頷くと、満足げに頷き返して続けた。
「それを集めて、使えそうな情報……例えば、不満の声を挙げたアカウントの属性を調べて、どういう層に働き掛ければいいか探ったり、どの辺をつつけばいいか探ったり……まぁ、頭を使えば色々使い途あるのよ」
そう言われても、ロークにはその使い途とやらが想像もつかない。
「抽出する為には、資料になるデータはなるべく多い方がいいのよ」
「今回の目的は、後で情報操作するの為の基礎データ集めってコトですか?」
「そう言うコト」
フィアールカがにっこり笑う。ロークはクルィーロの聡明さに驚いた。
「誰でも見られるデータだから、星の標とかと繋がってる人の手に……渡ってもいい?」
クルィーロが、半信半疑の顔で首を捻りながら、ポツポツ考えを述べる。
ロークは何とも言えない気持ちでフィアールカの手許を見た。彼女の端末は保護フィルムが貼られ、この角度からは表示が見えない。
「そうよ。私たちが今回の選挙からアーテルの何を探ろうとしてるか、知ってもらいたいくらいよ」
「わざと教えるってコトですか?」
ロークが驚いて声を上げると、運び屋は曖昧な表情でこちらを見た。
「わざと漏らすと怪しまれるかもしれないから、気付かないフリでさりげなくって言うのが理想ね」
「さりげなくデータを……? それで、どうするんです?」
クルィーロにも、全く話が見えないらしい。
「私たちがどんな世論操作をするか予測させて、それに対してカウンターを打ってきたら、逆にそれがアーテル側の不利に働くように罠を張れたらいいんだけど、上手く引っ掛かってくれるか……ま、伝わらないなら伝わらないで支障ないし、今はどっちでもいいのよ」
……ネモラリスのゲリラが、アーテル軍の武器庫から発信機付きの武器を掴まされたのの情報版ってコトなのか?
二人は取敢えず納得し、調査対象の割り当てを指示された。
☆アーテル共和国の大統領予備選と国政選挙……「291.歌を広める者」「868.廃屋で留守番」参照
☆アーテル共和国内の景気は悪化/去年の先物相場の乱調……「424.旧知との再会」「440.経済的な攻撃」「588.掌で踊る手駒」「750.魔装兵の休日」「800.第二の隠れ家」「868.廃屋で留守番」「907.同級生の被害」「0956.フリグス基地」参照
☆テロ犠牲者……「265.伝えない政策」「279.悲しい誓いに」「869.復讐派のテロ」参照
☆開戦後、ラクリマリス王国が湖上封鎖を実施……「144.非番の一兵卒」「154.【遠望】の術」「161.議員と外交官」「259.古新聞の情報」「885.公開生放送中」参照
☆魔哮砲戦争……「774.詩人が加わる」「788.あの日の歌声」参照
☆オースト倉庫の社長みたいに、手伝うフリしてこの活動を利用する人……「722.社長宅の教会」~「724.利用するもの」参照
☆ネモラリスのゲリラが、アーテル軍の武器庫から発信機付きの武器を掴まされた……「269.失われた拠点」「367.廃墟の拠点で」「389.発信機を発見」「456.ゲリラの動き」参照
▼湖上封鎖の範囲




