1150.意味のない歌
「どんな曲だと思います?」
タイゲタが、深夜ラジオのリスナーに問い掛けた。可愛く小首を傾げる様子が目に浮かぶ。
ラクエウス議員らは、アミトスチグマ王国の支援者宅で、本番より先に放送用音声の複製に耳を傾ける。
白壁に囲まれた窓の外には青空が広がり、ぽっかり浮かんだ白い雲の下には、同じ色の街並が湖岸まで続く。
この番組を流すAMシェリアクは、ラキュス湖南部に浮かぶラクリマリス王国領フナリス群島にあった。アーテル領とは目と鼻の先で、軍の受信妨害がなければ、同国北東の都市部まで充分届く。
「僕たち魔法使いとキルクルス教徒、両方が驚くって、全然、想像つかないんだけど、何?」
DJレーフが明るい声に困惑を混ぜ、リスナーを代弁した。
アステローペが、悪戯っぽい笑みを含んだ声で答える。
「聞けばわかりますよ」
「曲名は『巡る日の始まり』です」
「歌詞は共通語でーす」
アルキオーネが告げ、タイゲタが付け足した。
「曲名で検索したら、湖南語訳いっぱい出て来るからねー」
エレクトラのやさしい声を受け、DJレーフが繰り返した。
「今夜の一曲目、お聞き下さい。平和の花束で『巡る日の始まり』です」
ピアノの前奏が流れる。本来の曲にはないが、聖典の楽譜では、最初の数小節を編曲して付け加えられた。
四人の少女が訛のない共通語で厳かに歌い始める。
通常よりゆっくりと、一語一語を明瞭な発音で、噛んで含めるように歌われるこれは、キルクルス教徒の結婚式などで歌われる聖歌だ。
アサコール党首、モルコーヴ議員、クラピーフニク議員は、初めて耳にしたらしく、顔を強張らせた。
ファーキル少年はタブレット端末を机に置き、音声レートが波打つパソコンの画面を冷ややかに見詰める。
……大したものだな。
ラクエウス議員は、共通語でも揺るぎなく歌唱力を発揮する少女たちに改めて感心した。
DJレーフは口を挟まず、厳かな時間が五分余りで終わる。
「平和の花束のみなさんで『巡る日の始まり』でした。……これ、僕も何回か聞いたコトあるけど、共通語で歌って、何か意味あんの?」
「えっ? 意味って?」
エレクトラが戸惑いの声を上げ、アルキオーネがやや棘のある声で説明する。
「共通語の文化圏では、結婚式とか門出を祝う時の讃美歌ですよ」
「そうそう。歌詞の意味は検索したら出て来ますよ。曲名は『巡る日の始まり』です」
タイゲタが繰り返し、リスナーに記憶を定着させる。
「共通語文化圏の結婚式? もしかして、これをキルクルス教の教会で歌ってんの?」
DJレーフが声を裏返らせると、アルキオーネが尖った声で言い返した。
「なんですかそれー? 教会で歌っちゃダメなんですか?」
「聖典に載ってる聖歌ですよぉ?」
エレクトラもふんわり抗議し、他の二人も「そうそう」と加勢した。
三人の議員が、キルクルス教徒のラクエウスを見る。老議員は、魔法使いの議員たちに頷いた。
DJレーフが内緒話のような調子で告げる。
「だってこれ【歌う鷦鷯】学派の【空の守り謳】って言う呪歌なんだけど?」
「そう。私がびっくりしたのも、そこなんですよね。アミトスチグマの難民キャンプで魔法使いの人たちが歌ってて」
「結婚式かと思ったけど、歌詞が全然違うから、何かなって」
アステローペの声にタイゲタが続いた。
アルキオーネが言う。
「私も気になって、後でそっちの歌詞、教えてもらったんです」
「僕は【歌う鷦鷯】学派じゃないから、詳しい歌詞って言うか呪文までは知らないんだけど、どうだった?」
「すっごく歌いやすくて、こっちが本来の歌詞なのかなって」
「じゃあ、ちょっと聴き比べてみようか。【歌う鷦鷯】学派の術者でソプラノ歌手のオラトリックスさんと、ニプトラ・ネウマエさんの親戚アミエーラさんで、呪歌【空の守り謳】です」
DJレーフが口調を改めて紹介し、一拍置いて、二人の力ある言葉による歌唱が始まる。
針子のアミエーラは、スニェーグとオラトリックスについて相当な練習を重ねたらしく、力ある言葉で堂々と歌う。
ラクエウス議員には、魔力の制御符号である人工言語は全くわからないが、旋律は、耳に馴染んだ聖歌「巡る日の始まり」と全く同じだとわかった。
呪歌の詠唱が終わると、少女たちから溜め息が漏れた。
「オラトリックスさんとアミエーラさんで、【歌う鷦鷯】学派の呪歌【空の守り謳】でした」
リスナーは、DJレーフが明るく曲名を繰り返した声をどう聞くだろう。
魔法使いの議員たちの目は疑問でいっぱいだ。
「これ、魔法の効果って何ですか?」
タイゲタが無邪気に聞く。リスナーを代弁する質問だ。魔法使いでも、修めた学派が異なれば、個々の術の詳細までは知らない。
「僕も詳しくは知らないんだけど、先に【道守り】って言う呪歌を歌いながら歩いて囲んだ土地で【空の守り謳】を歌うと、その範囲内の雑妖を全部浄化できるんだったかな?」
「えっ? じゃあ、これ一曲だけ歌っても、何も起きない?」
アステローペが驚いてみせると、DJレーフが苦笑交じりに言った。
「それもあるけど、呪歌だからね。力ある言葉で魔力を乗せて歌わないと、魔法としての効果は発動しないんだ」
「じゃあ、さっきの『共通語で歌って、何か意味あんの?』って」
エレクトラが、リスナーの考える時間を一呼吸分だけ置いた。




