1148.祈りを湖水に
ファーキルは、フリーマーケット参加者らと共にパテンス市から難民キャンプに戻るバスに乗った。
総合商社パルンビナ株式会社の取締役の一人、マリャーナが手配してくれた大型観光バスだ。
ファーキルは一番奥の補助椅子に落ち着く。座席とは別に荷物を積む場所はあるが、それでも車内がいっぱいになった。
パテンス市民のボランティアらが手を振り、窓際席の難民たちが名残を惜しんで振り返す。
ファーキルはタブレット端末を出し、今回の報告書作成に取り掛かった。
初参加の時、レノ店長がプロの知恵を授けてくれた。可能な限り活用した結果、予想以上に売れ行きが伸びた。一泊しても疲れが抜けず、寝息を立て始めた者も居るが、難民たちの顔は明るい。
「行き先わかったから、次から買物とお参り、自力で行けると思う」
「私もー」
「門の外の景色、目に焼き付けて来た」
「王都に渡った時は、とにかく逃げなきゃで景色とか見る余裕なかったし」
「長居した割に、外に出なかったから、憶えらんなかったよね」
今回、パテンス市へ行った五十人の内、力ある民は十一人だ。
「忘れない内に、明日にでももう一回、行こうかなって」
「前に行った人たち、どうなのかな」
「聞いときゃよかったなー」
力なき民も話に加わる。
「改めて、お祈りのコト聞いてびっくりした」
「私らが幾らお祈りしたって意味なかったなんてねぇ」
寝た者を起こさないよう小声だが、溜め息はファーキルの席まで聞こえた。
「神様たちは、誰のお祈りでも気持ちを受け止めて下さるから、意味ないなんてことありませんよ」
「そうそう。すべて ひとしい 水の同胞」
「神様だって、感謝されて嬉しくないワケないと思いますよ」
「ウチらだって今回、これだけ売れたし、交換してもらった【魔力の水晶】お供えしたら、直接、神様のお役に立てるって言うか」
だんだん声が大きくなる。
ファーキルは入力の手を止め、車内を見回した。背もたれしか見えないが、何人かは通路に身を乗り出して話す。
「お供え用の【水晶】、素材買って自分で呪文彫るのは、流石に無理だけど」
「代わりに【編む葦切】の刺繍習って【水晶】と交換してもらえる物をどんどん作ればいいよね」
「石は失敗したらオワリだけど、刺繍は上手く解けばやり直せるもんな」
弾む声が増えてゆく。
「そうそう。【保温の鍋敷き】も割と人気あったよなぁ」
「あれ、原価安くていいよな」
「ビーズ用の銅線でもできるもんね」
「私らは作る間ずっと【水晶】握ってなきゃいけないけどね」
バスがパテンス市の防壁を抜けると、顔が一斉に窓へ向いた。【跳躍】できる者もできない者も、景色を目に焼き付ける。
大型の観光バスは、パテンス市から南東方向へ伸びる真新しい道を行く。
アスファルトの二車線道路は、両脇と中央分離帯に石材が埋め込まれ、要所要所に【魔除け】の石柱が建つ。ないよりはマシだが、間隔の広さが心許ない。
今、バスの前を走るのは大型トラックだ。
この道を通るのは主に物資運搬のトラック、地元医師会や国連機関などが出す健診車などの医療用車輌、地元建設業組合のボランティア建機、市民団体や信徒会などのボランティア車輌、プロバイダのアンテナ車、アミトスチグマの政治家や役所が来ることもあれば、マスコミが来る日もあった。
普通の商売をする移動販売車は来ない。
……まだまだ、一方的に援助される立場なんだよな。
「お参りのついでにお買物もできるわね」
「そうね。【水晶】がいっぱいあったら、何人か一緒に行けるし」
「食べ物は勿論、有難いけど、子供らの教科書やらノートも、そろそろ欲しいのよねぇ」
「ネモラリスの教科書って手に入るの?」
「さぁ? でも、理科や数学はどこも一緒なんじゃない?」
ファーキルは学用品と教科書の需要を手早くメモした。
難民の中には、教職員や大学生も居る。今も集会所などでアミトスチグマの新聞などを使って学習会をする者が居て、教える者の人手は足りるだろう。
幼児向けの絵本は、湖南経済新聞が寄付品を取りまとめ、三か月に一回程度、難民キャンプの各区画に配布してくれて、それなりに充実した。
幼稚園児まではそれでいいが、小学生以上を対象とした本は殆どない。特に、まだ自力では新聞を読めない低学年の学習環境は深刻だろう。
……情報……新聞とかがあっても、字が読めない人にとっては、ないのと一緒なんだよな。
ファーキルは、少年兵モーフを思い出し、どうして今まで気付かなかったのかと情けなくなった。
アサコール党首ら亡命議員の手配で、学用品やホワイトボードなどは各区画の集会室に置いてあるが、先程の口振りでは、全く足りないようだ。
……まず、死なないのが一番だから、食べ物、薬、服が最優先になるし、住むとこ作るのに精一杯だったり、食べ物や薬草の現地調達、呪符の内職したり、交換品作ったりとか……忙しいよなぁ。
大人も子供も、日々を生き抜く為の仕事に追われ、学習に割ける時間は少ない。
難民キャンプ開拓当初は、国民健康体操を広め、健康増進とストレス解消を促したが、今も続ける余裕がある難民はどのくらいいるだろう。
魔法の学習も、身を守る為に【歌う鷦鷯】学派の呪歌や【編む葦切】学派の呪符や細工物作り、生活全般の【霊性の鳩】学派などが中心で、適性に応じた専門的な学派の選択肢や学習機会がない。
……これって、平和になってネモラリスに帰国できても、専門家の魔法使いが足りなくて、また復興が遅れるんじゃないのか?
亡命議員や他の大人たちも当然、それに気付いて手段を模索中なのだろうが、情報を取りまとめるファーキルのところまで、その活動の話が回って来ないのを見ると、捗々しくないのだろう。
……勉強するには、気持ちと生活に余裕がないとダメなんだよな。
ファーキル自身、もう一年以上学校へ行かず、勉強もしていない。
共通語圏との遣り取りや情報収集で、語学力だけは多少、上がったかもしれないが、それだけだ。
どうせ戦闘に巻き込まれてすぐ死ぬだろうと思い、将来のことなど全く考えもしなかった。
「空襲が止んだら、すぐ帰れると思ったんだけどな」
「まさか、こんな長い間、外国でお世話になるなんてねぇ」
「立入制限、いつ終わんのかな」
「こんなことなら、子供らの教科書持って避難すればよかったよ」
将来への希望がなければ、勉強する意欲など涌く筈がない。
……アゴーニさんかレーフさんにネモラリスの教科書、手に入らないか相談してみよう。
ファーキルはひとまずメモして、報告書作成の続きに戻った。
☆マリャーナが手配してくれた大型観光バス……「1114.バザーの出店」参照
☆フリーマーケット参加者ら……「1140.自活力の回復」「1141.帰らない日々」参照
☆前に行った人たち……「1114.バザーの出店」~「1116.買い手の視点」参照
☆私らが幾らお祈りしたって意味なかった……「534.女神のご加護」「542.ふたつの宗教」「821.ラキュスの水」参照
☆すべて ひとしい 水の同胞……「541.女神への祈り」参照
☆地元医師会や国連機関などが出す健診車などの医療用車輌……健診車は半月に一回「805.巡回する薬師」参照
☆プロバイダのアンテナ車……「806.惑わせる情報」「821.ラキュスの水」参照
☆住むとこ作るのに精一杯……「415.非公式の視察」、負傷者も多い「738.前線の診療所」0986.失業した難民」参照
☆食べ物や薬草の現地調達……「738.前線の診療所」「739.医薬品もなく」「0986.失業した難民」参照
☆呪符の内職……「403.いつ明かすか」「771.平和の旗印を」参照
☆国民健康体操を広め、健康増進とストレス解消を促した……「291.歌を広める者」参照
☆身を守る為に【歌う鷦鷯】学派の呪歌……「804.歌う心の準備」「805.巡回する薬師」「927.捨てた故郷が」~「929.慕われた人物」参照
☆専門家の魔法使いが足りなくて、また復興が遅れる……「0005.通勤の上り坂」参照
☆どうせ戦闘に巻き込まれてすぐ死ぬだろうと思い……「188.真実を伝える」「1091.夏休みの計画」参照
☆立入制限……「128.地下の探索へ」「168.図書館で勉強」「181.調査団の派遣」「190.南部領の惨状」「304.都市部の荒廃」「527.あの街の現在」参照




