1147.動き出す歯車
「アーテル共和国では、間もなく大統領予備選と国会議員の半数が改選される国政選挙が行われます」
フェレトルム司祭の良く通る声が、リストヴァー自治区東教会の礼拝堂に染み渡る。
元バラック街の住民たちは、外国……しかも敵国の選挙が、礼拝とどう関係するのかと怪訝な顔をしたが、静かに続きを待った。
大聖堂から来た司祭は、礼拝堂を埋める信徒を見回して語る。
「いずれの候補者も、敬虔なキルクルス教徒として、三界の魔物の再来となり得る魔哮砲の存在は容認できないとし、専ら、ネモラリス共和国との徹底抗戦を呼掛けました」
礼拝堂内に不安が満ちる。
「一部の候補は、この戦争によって、リストヴァー自治区の信徒を救いたいと決意を表明しておりました」
会衆の反応に構わず、フェレトルム司祭が見て来たかのように語ると、半数近い会衆が首を捻って隣と顔を見合わせた。
通訳にあたる地元のウェンツス司祭が、隣に立つフェレトルム司祭の広い額を見る。
「回線が繋がる場所がわかりましたからね。選管の公式サイトにアクセスして、各候補者の演説動画を視聴して来たのです」
クフシーンカには半分くらいわからず、ウェンツス司祭がこれをどう訳すか、興味深く待った。
「フェレトルム司祭は、区長たちと同じ方法で、アーテルの大統領候補者の演説をご覧になったそうです」
それで多くの会衆がなんとなく納得した。
インターネットのことを詳しく説明されたところで、どの途、わからないのだ。
「現職のポデレス大統領も出馬し、既に着手した工業団地計画を更に推進すると語りました」
クフシーンカたちは、運び屋ら、直接の武力に依らず平和を目指すボランティアからの手紙で知り、壁新聞に情報を折り込む作業中だ。フェレトルム司祭が言及してくれたお陰で、入れやすくなった。
現職のポデレス大統領は、アーテル党で、支持基盤は最も厚い。
レプス大統領補佐官は殺害されたが、ポデレス大統領は、巧みにバルバツム連邦とのパイプを引継ぎ、強力に工業団地計画を推し進める。
大統領補佐官の他、有力な大統領選立候補者も数名、殺害された。
多くのアーテル人は、ネモラリス人のテロリストの仕業だと決めつけ、ポデレス大統領自身もそう認識し、ネモラリスとの徹底抗戦を呼び掛けた。しかし、一部はポデレス大統領に疑惑の目を向ける。
「戦争にカネを掛けるより、景気をよくして欲しい」
「武器ばかり作って、未来の為に投資しないのは教義に悖る」
「そもそも、空爆しなければ、寝た子を起こさなかったのではないか」
低所得層を中心にそんな不満の声も上がった。
ポデレス大統領は治安維持を強化し、不満を逸らす為、就学年齢の子が居る失業家庭に学用品を現物支給し、工業団地計画に力を入れた。
工業団地計画区域内での相続に限り、故人の借金を土地の明け渡し代金で相殺するとの優遇策を打ち出した。
地権者が存命の場合も、相場より二割近く高い移転費用が支払われる。
立退き料を借金と同額にされては、遺族が国から何ももらえないとの不満も出たが、多くは特別措置を歓迎した。借金が相殺されることで、故人名義の自家用車や株式など、現金化処分が面倒な上、借金の存在で相続を躊躇したプラスの遺産を受け取れるようになるからだ。
債権者からは、国の肩代わりに異論が出よう筈がない。
遺族が借金と相続の板挟みから解放されことで、塩漬けだった土地が動いた。
停滞したアーテル経済が回り始める。
どんな手段で得たのか、クフシーンカには見当もつかなかったが、湖の民の運び屋が山小屋に置いた手紙には、優遇策の財源まで書いてある。
進出予定のバルバツム企業だ。
数十社が出資して「ラキュス地方企業団地合同委員会」を設立し、アーテル政府に用地取得代金を先渡しした。
後々、工業団地の運営や税制などで優遇措置を求める狙いは明らかだが、国民の批判を躱したいポデレス大統領とアーテル党は、一も二もなく飛びついた。
この計画が頓挫すれば、アーテル政府は委員会に対して莫大な借金を背負う事態に陥る。
どう転んでも、外国企業によるアーテルの土地取得は避けられなくなった。
ポデレス大統領が再選できなかったとしても、アーテル党が与党でなくなったとしても、外堀を埋められた工業団地計画はもう止められない。
「情報収集だけでなく、情報提供も行いました」
運び屋の情報とほぼ同じだが、欠けが多く密度の低いフェレトルム司祭の話が終わり、話題が次へ移る。
クフシーンカは、フェレトルム司祭がどこへ何を伝えたのか、専門用語混じりの共通語を一言一句聞き漏らすまいと、居住まいを正した。
「大聖堂にメールで定期報告する予定だったのですが、まさか、インターネット回線がないとは夢にも思いませんでした」
東教区住民の大部分は、フェレトルム司祭の共通語を解さず、ウェンツス司祭の湖南語訳に耳を傾ける。案の定、会衆はあまり通訳内容を理解できないようだ。
クフシーンカも、一緒に行ったのでなければ、何の話かわからなかっただろう。
「先日、回線が繋がる場所を教えていただいたお陰で、溜まっていた分も、まとめて報告できました。ご案内して下さった皆様には、大変感謝しております」
右端の通路に立つ記者が写真を撮り、カメラを手帳に持ち替えた。
腕章は星光新聞。リストヴァー支局も、区長とフェレトルム司祭のタブレット端末以外に自治区外の情報源がないらしく、熱心にメモを取る。
「星の標の異端思想の矯正と、ネミュス解放軍の攻撃による被害状況について、写真も添えて報告しました。秋頃には、焼け出された方々の聖典などが、寄付とは別に届く予定です」
左端の通路では、国営放送リストヴァー支局が大型テープレコーダーを回す。あの会合の後、支局長らが改めて話し合いの場を設け、録音の了承を取りつけた。
後日、ラジオでは壁新聞を読み上げるだけだが、それはそれとして、壁新聞の元になった情報は記録しなければならないらしい。
「アーテル領の工業団地が軌道に乗れば、リストヴァー自治区にも、工場が進出する可能性が高まります」
やっと会衆にも理解できる内容に繋がった。
フェレトルム司祭は知ってか知らずか、バルバツム企業によるアーテル共和国への経済支配について触れない。
「しかし、経済活動を健全に行うには、平和であることが大前提です。共に祈りましょう」
自治区民に希望を与える言葉で、インターネットで得た情報に関する談話を締め括った。
☆工業団地計画……「0966.中心街で調査」「1027.工業団地計画」~「1029.分断の阻止へ」「1088.短絡的皮算用」参照
☆レプス大統領補佐官は殺害された……「0957.緊急ニュース」「0967.市役所の地下」「0998.デートのフリ」「1022.選挙への影響」「1112.曖昧な口約束」参照
☆一部はポデレス大統領に疑惑の目……「1022.選挙への影響」参照
☆借金の存在で相続を躊躇……「0966.中心街で調査」参照
☆外国企業によるアーテルの土地取得……「1027.工業団地計画」「1028.大国の目論見」参照
☆クフシーンカも、一緒に行った……「1079.街道での司祭」「1080.街道の休憩所」参照
☆ラジオでは壁新聞を読み上げる……「1121.壁新聞を発行」参照




