1146.交流とラジオ
「おかえりなさい」
「お疲れさまでした」
「ただいま。大丈夫だったっス」
「無事に渡せましたよ」
リストヴァー自治区東教会の礼拝堂に笑顔が満ちる。
工員プラエソーとリストヴァー大学の男子学生が、満面の笑みで汗を拭い、クフシーンカたちは胸を撫で下ろした。
クブルム山脈の山小屋には、警告を貼ってあったにも関わらず、湖の民の運び屋たちが自治区との遣り取りに使うリュックサックが盗まれてしまった。
今回は用心して先に手紙を置き、魔法使いの農家と山小屋で待合わせしたのだ。
余分な日数が掛かったが、無事に渡る方が大事だ。
湖の民の運び屋からは手紙で、リュックを盗んだ者はもう生きていないであろうこと、代わりの袋を用意するのにしばらく掛かること、あちらで急を要する連絡がある場合は、フィアールカが東教会へ直接【跳躍】で来ることが伝えられた。
……状況からして、逃げた星の標の仕業なんでしょうけど。
盗みを働くのが悪いとは言え、クフシーンカは、悲惨な最期を未然に防げなかったことが、遣る瀬なく悲しかった。
大聖堂からフェレトルム司祭が派遣された今は、元・星の標にとって精神的にかなり厳しい教育が施される。
……異端の考えを再教育するにしても、もう少しゆっくり様子を見ながらすればよかったのかしら。
それでは、大切な人々を奪われた者たちの復讐で、先に命を失ったかもしれず、ますますどうすればいいのかわからなくなった。
「ラジオが壊れた家の人が凄い喜んでくれました」
大学生が我が事のように喜ぶ。
「あっちの村、星の道義勇軍じゃなくて、ゼルノー市民に略奪されたって言ってました」
「ゼルノー市民が?」
クフシーンカだけでなく、東教区担当のウェンツス司祭も目を丸くした。
「何でも、星の道義勇軍の作戦で焼け出された市民や、まだ無事な内に逃げようとした市民が、そっちへ行って……」
「ラジオが無事な家も電池切れだったんで、喜んでくれたッス」
「そう。よかったわ」
工員プラエソーの報告を受け、クフシーンカは僅かに心が軽くなった。
「それなら、クブルム街道に登れば、ラクリマリスの放送を拾えますね」
ウェンツス司祭の一言で、礼拝堂に居合わせた人々が顔を上げ、動きを止めた。
……どうして今まで気付かなかったのかしら。
インターネット用電波の出力が、どの程度あるか知る由もないが、リストヴァー自治区とクブルム山脈を挟んだ隣には、ラクリマリス王国のノージ市がある。
タブレット端末ではなく、普通のラジオでも、ラクリマリス王国のニュースを聞ける可能性に気付き、クフシーンカは胸が高鳴った。
サロートカの手紙では、ノージ市は大きな街だとのことだ。魔術偏重政策とは言え、放送局くらいは残しただろう。
「小屋が守られてるんなら、泊まりでイケそうですね」
大学生が目を輝かせる。
「それは、親御さんともよく相談して……ちょっと奥で話しましょうか」
クフシーンカが促し、ウェンツス司祭、工員プラエソー、大学生は集会室に移動した。
壁新聞発行の為、数名の学生ボランティアが辞書を片手に奮闘する。
先日の礼拝で、フェレトルム司祭が語った時事ネタを共通語から湖南語に翻訳する作業だ。原稿として、インターネットニュースの手書きメモをもらった。
ネミュス解放軍の襲撃以来、リストヴァー大学は休校が続き、とうとう夏休みに入った。
後期に再開できるか微妙なところだが、学生たちは自分にできることで自治区の復興に尽力する。
「農家の人たち、手紙と一緒に置いといた情報も、凄く喜んでました」
「これ、お礼にって」
プラエソーが普通の買物袋を空いた作業台に置く。中身は芋や南瓜など日持ちする野菜だ。
「こんなにたくさん!」
学生たちが翻訳の手を止めて歓声を上げた。
もらった食糧は、協力者への謝礼や生活困窮者への炊き出しに使われる。
ウェンツス司祭が、山へ行ってくれた二人に小振りの南瓜をひとつずつ渡した。
「バルバツム製でも何でも、電池は電池だから、有難いってさ」
工員プラエソーが複雑な顔でぽつりと言う。
クフシーンカは、信仰が変質してしまったキルクルス教の不寛容に頭の痛い思いがした。
……魔法使いの人たちは、機械や何かを使うのに禁忌なんてないのにね。
ゾーラタ区民に渡したラジオは、リストヴァー自治区の工場で製造したものだ。
開戦前は国内向けだったが、開戦後、レーチカにある親会社は同じ規格のラクリマリス王国向けに振替えた。国内は被害が少ないネモラリス島内でも売れず、外貨獲得に舵を切ったのかもしれない。
ネーニア島はゾーラタ区があるゼルノー市だけでなく、周辺諸都市も空襲で壊滅し、立入制限のせいで未だに復旧が進まない。リストヴァー自治区の為にゼルノー市のグリャージ港が仮復旧しただけだ。
ゾーラタ区民がラジオを手に入れても、自宅では国営放送リストヴァー支局の放送しか聞けない。
……こちらの様子が少しわかるだけでも、マシなのかしらね。
リストヴァー自治区ができて三十年。
ついこの間、ネミュス解放軍の攻撃があるまで、外界とは殆ど没交渉だった。
クフシーンカの弟であるラクエウス議員は、国会などで外へ出られるが、一般の自治区民は滅多に外へ行く許可が下りなかった。
せいぜい、警察や警備会社の監視下で、トラックの運転手が自治区とグリャージ港を往復する場合か、協定を結んだ工場や企業の労災事故で、ゼルノー市立中央市民病院に救急搬送される場合だけだ。
それ以外は、本社や支社勤務の者が、業務で自治区内の工場などに短時間立入り、逆はない。
……三十年の溝は大きいわね。
「喜んでもらえてよかったわ。音楽か何か、ゾーラタ区の人も一緒に楽しめる番組があればいいのだけれど」
「高校の放送部が、土曜に十五分番組もらってたよな」
学生の一人が言うと、そう言えば、と囁きが広がる。
……あら、あの番組、今も続いてるのね。
大火以降、クフシーンカは忙しくなり、ラジオにゆっくり耳を傾ける余裕がなかった。
「じゃ、山へラジオ聞きに行く時、農家の人の手紙に書いてみようか」
「放送部のコたちに音楽流してもらえないか、聞いてからね」
国営放送は戦時特別態勢だ。
リストヴァー自治区は、アーテル・ラニスタ連合軍の空襲こそ免れたものの、大火やネミュス解放軍の襲撃に遭い、音楽番組など娯楽が削られ、短い放送時間の大半が生活情報やニュースに割り当てられた。
高校の放送部……教育・訓練目的の放送とは言え、音楽を放送させてもらえるものだろうか。
「先に放送局の偉い人たちに頼んだ方がよくない?」
「どの曲だったらイケるか、みんなで案出し合って」
少しでも断絶を埋めるべく、地道な交流を途切れさせまいとの思いが、自治区の若者たちを動かし始めた。
☆山小屋には、警告を貼ってあった……「1080.街道の休憩所」参照
☆湖の民の運び屋たちが自治区との遣り取り……「0940.事後処理開始」「0941.双方向の風を」参照
☆リュックサックが盗まれ……「1037.盗まれた物資」「1038.逃げた者たち」「1131.あり得ぬ接点」参照
☆元・星の標にとって精神的にかなり厳しい教育……「1007.大聖堂の司祭」「1008.動かぬ大聖堂」参照
☆大切な人々を奪われた者たちの復讐……「0991.古く新しい道」参照
☆星の道義勇軍じゃなくて、ゼルノー市民に略奪された……「129.支局長の疑惑」「537.ゾーラタ区民」参照
☆ネミュス解放軍の襲撃……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」参照
☆リストヴァー大学……「914.生き延びた朝」参照
☆グリャージ港が仮復旧した……「527.あの街の現在」「528.復旧した理由」「789.臨時FM放送」参照
☆ラクエウス議員は、国会などで外へ出られる……「0026.三十年の不満」参照
☆協定を結んだ工場や企業の労災事故で、ゼルノー市立中央市民病院に救急搬送……「369.歴史の教え方」参照
☆本社や支社勤務の者が、業務で自治区内の工場などに短時間立入り……「0035.隠れ一神教徒」「0036.義勇軍の計画」「0069.心掛けの護り」「492.後悔と復讐と」参照
☆大火……「054.自治区の災厄」「055.山積みの号外」「212.自治区の様子」~「214.老いた姉と弟」参照




