1143.その生き証人
会議机を囲む聖歌隊の前には、一枚ずつ楽譜がある。
「どうせ、キルクルス教徒の身内が、悪しき業を使う奴らと縁続きになるのは許さないって、破談しようとしたんでしょう」
「全くなかったとは言い切れませんが、双方の聖職者は、異教徒との婚姻を禁止しませんでした」
「えぇッ?」
何人もの驚きが会議室に響いた。
アミエーラも祖父母の結婚当時、他の身内がどうだったかは知らない。だが、少なくとも大伯母カリンドゥラは、キルクルス教徒のクフシーンカ店長と親友だったのだから、信仰を理由に反対などしなかっただろうと思った。
大伯母の話によると、二人はキルクルス教の教会で結婚式を挙げたらしい。
「あの、いいですか?」
「どうぞ」
小さく手を挙げると、ギームン神官が微笑で促した。
アミエーラは身体ごと聖歌隊に向き直って言う。
「結婚だけじゃなくて、友達も普通に……信仰が違っても、仲のいい人たちって居ましたよ」
無言で向けられた視線は、案の定、冷たく鋭かった。
「例えば、私の祖母と大伯母には、キルクルス教徒の親友が居ました」
聖歌隊の視線には、疑念や困惑など様々な感情が混じり、言葉以上に鋭くアミエーラの胸を刺した。
「その人は、星道の職人って言う、信仰が篤い人じゃないとなれない特別な職人ですけど、大伯母たちから届いた手紙や、一緒に写った写真をずっと大事に持ってました。私はそれを手掛かりにして、大伯母と会えたんです」
会議室の空気が驚きに揺れる。
「リストヴァー自治区のラクエウス議員は若い頃、ラキュス・ラクリマリス交響楽団で竪琴を担当してらして、それで『真の教えを』の作曲に参加したんです」
「彼の竪琴は、今でもユアキャストで聞けるわよ」
フィアールカが端末をつついて言うが、聖歌隊は一人も反応しない。
運び屋はどこ吹く風だが、アミエーラの方が気マズくなった。
「えっと、その当時の交響楽団には、色んな信仰の人が居たそうです。でも、呪歌をアレンジした曲とか、祝日には信仰に関係ある曲とかも、みんなちゃんと演奏したそうです」
「ホントに?」
「具体的にどんな曲を?」
「誰も気にしなかったのか?」
「音楽に信仰は関係ないって?」
会議室のあちこちから疑問が飛ぶ。
アミエーラは目を逸らさず、一人一人を見て答えた。
「本当です。具体的な曲は……天気予報の『この大空をみつめて』と『すべて ひとしい ひとつの花』です」
「えッ? どう言うコト?」
アルトの婦人が頬肉をたぷつかせて聞く。
「天気予報は、えーっと……何学派か忘れましたけど、雨を降らせる呪歌のアレンジです」
「それは知ってます。【飛翔する燕】学派の【やさしき降雨】でしょ」
ソプラノの一人が言うと、残りは同時に頷いた。
「ご存知でしたか。レコードがあるんですけど、演奏はラキュス・ラクリマリス交響楽団でした」
「そのレコードって、今ここにあるの?」
「ネモラリス島で、移動放送局プラエテルミッサの人たちが持っています。大伯母が歌を担当したので、機会がありましたら、本人に確認なさって下さい」
あちこちから、小さな溜め息が漏れる。
アミエーラは背筋を伸ばした。
「大伯母も、キルクルス教徒と結婚しました」
声にならない驚きが会議室に満ち、空気が凍る。
アミエーラは、膝の上で両拳を握って続けた。
「今、歌詞を募集している『すべて ひとしい ひとつの花』の曲は、ウーガリ山脈のアサエート村の里謡です」
そこまでは聖歌隊も知らされており、小さく頷いて先を促す。
「ラキュス・ラクリマリス共和制移行百周年記念の曲として、半世紀の内乱の少し前に別の歌詞を作ると決まって、大伯母は民族融和の象徴として、歌い手に選ばれたんです」
「異教徒と……結婚……」
「あのニプトラさんが?」
溜め息混じりの囁きが会議室に広がる。
「大伯母の夫は、キルクルス教徒だから力なき民の常命人種で……でも、当時はそう言う違いに関係なく結婚できて、それを隠さなくてよかったんです」
「すべて ひとしい 水の同胞。私たちのフラクシヌス教には、人種や信仰、魔力の有無の違いを理由に、誰かと仲良くなることを禁じる戒律などありません」
ギームン神官が言うと、先程の青年が反論した。
「でも、キルクルス教徒は、俺たち魔法使いを悪者扱いするじゃないですか」
「それが異端の考えだと謳うのが、この曲です」
赤毛の神官が机上の楽譜を掌で示した。
「いつ、どこでキルクルス教の教えが歪んだか、私の与り知らぬことですが、その不寛容の歪みこそが、半世紀の内乱の原因に思えてなりません」
「これを歌えば平和になるって?」
「そんな無茶な」
「どうやってアーテルに届けるんです?」
「いや、届いちゃダメなんじゃない?」
「異教徒がキルクルス教の歌を歌ったって、我が国まで攻撃されたらどうするんですか!」
「それでも、歌い続けるのよ」
不可能との断言や、危険を訴える叫びが、運び屋フィアールカのよく通る声で鎮まった。
「ユアキャストにはもう上げてあるけど、ネットで音楽聞かない人は、まだまだ多いのよ」
「だから、それは危ないって思うんですけど」
「そうでもないわよ。この間一回だけAMシェリアクの深夜放送で流したの。首都圏を含むアーテル北部にも届いたけど、概ね好評だったわ。試しにランテルナ島でCDを販売したら、びっくりするくらい売れてるの」
聖歌隊たちの目が見開かれる。
「だから、なるべく多くの人に届くように歌い続けるのよ。巡礼者に届けば湖東地方にも広がるわ。あっちのキルクルス教徒にもその内、届くでしょう」
「湖東地方経由で、いつかアーテル全体にも届くって?」
「そんな暢気な」
「そんなコト言ってたら、また五十年も戦争が続いて、ラクリマリスはもっと巻き込まれるかもしれないのに?」
昨年、アーテル陸軍の戦車部隊が北ヴィエートフィ大橋を渡ってネーニア島南部に侵入、腥風樹の種子を植え付けられた。ラクリマリス王国も既に充分、巻き込まれている。
フィアールカが言うと、テノールの青年が楽譜を手に立ち上がった。
☆双方の聖職者は、異教徒との婚姻を禁止しません/二人はキルクルス教の教会で結婚式……「859.自治区民の話」参照
☆一緒に写った写真をずっと大事に持ってました……「0091.魔除けの護符」参照
☆私はそれを手掛かりにして、大伯母と会えた……「548.薄く遠い血縁」「549.定まらない心」参照
☆ラクエウス議員は若い頃、ラキュス・ラクリマリス交響楽団で竪琴を担当……「220.追憶の琴の音」参照
☆『真の教えを』の作曲に参加した……「0987.作詞作曲の日」「1018.星道記を歌う」参照
☆祝日には信仰に関係ある曲……「295.潜伏する議員」参照
☆天気予報の『この大空をみつめて』……「170.天気予報の歌」参照
☆【飛翔する燕】学派の【やさしき降雨】……「178.やさしき降雨」「253.中庭の独奏会」「268.歌を探す鷦鷯」参照
☆大伯母は民族融和の象徴として、歌い手に選ばれた……「220.追憶の琴の音」参照
☆すべて ひとしい 水の同胞……「541.女神への祈り」参照
☆一回だけAMシェリアクの深夜放送で流した……「1014.あの歌手たち」~「1018.星道記を歌う」参照
☆ランテルナ島でCDを販売……「1065.海賊版のCD」「1067.揉め事のタネ」「1088.短絡的皮算用」「1105.窓を開ける鍵」「1125.制作費の支払」参照
☆昨年、アーテル陸軍の戦車部隊が北ヴィエートフィ大橋を渡ってネーニア島南部に侵入、腥風樹の種子を植え付けられた
戦車部隊の侵攻……「449.アーテル陸軍」「455.正規軍の動き」~「457.問題点と影響」
種蒔き作戦実行……「487.森の作戦会議」「488.敵軍との交戦」「498.災厄の種蒔き」
ラクリマリスの一般人への影響……「490.避難の呼掛け」「544.懐かしい友人」「862.今冬の出来事」参照




