1142.共存を証す者
針子のアミエーラは、ひとつ深呼吸すると、思い切って水に手を入れた。
冷たさに一瞬、息が止まる。
じっとしていると、微かに魔力の流れを感じられた。
アミエーラが、波紋の消えた水面から顔を上げて視線を合わせると、向かいに座る赤毛の神官は、神託を伺うような調子で言った。
「あなたの出身地はどこですか」
「私は、ネーニア島のリストヴァー自治区出身です」
しばらく待ったが、水はゼリーにでもなったように動かなかった。
書庫の二階にある会議室には、アミエーラと向き合うギームン神官の他、王都第二神殿付属合唱団……所謂、聖歌隊の面々が集まり、息を詰めて【明かし水鏡】の反応を窺う。
アミエーラをここに連れて来た運び屋フィアールカは、離れた席で他人事のように紅茶を啜った。
ギームン神官が、動かない水から顔を上げ、聖歌隊を見回す。
「次の質問に移りますが、よろしいですね」
深い溜め息と共に了承が返された。
「あなたには、魔力がありますね」
「はい。私には、魔力があります」
アミエーラは迷いなく答えられた。動かしようのない事実で、改めて自分は【歌う鷦鷯】学派の魔女フリザンテーマの孫なのだと自覚する。
水は彼女の答えに反応を示さなかった。
ギームン神官が、一呼吸置いて続ける。
「あなたの信仰は何ですか」
「キルクルス教です。……でも、フラクシヌス教は否定しません」
「魔力不足で動かないと思われてもアレだし、何かテキトーにハッキリ嘘吐いてみたら?」
運び屋フィアールカがティーカップを置いて口を挟んだ。
聖歌隊は一瞬、声の主を見たが、何も言わず赤毛の神官に向き直る。何人かは微かに顎を引き、彼に目顔で促した。
「では……あなたの性別は何ですか」
「私はじょ……男性です」
アミエーラの意図的な「事実と異なる発言」に水面が牙を剥く。銀の深皿の縁から無数に三角の波が立ち、中心に向かって倒れた。
会議室の空気が更に張り詰める。
「あなたは、魔法を使ったことがありますか」
「自治区に居た頃は、何も知らなかったので使えませんでした。出てからは、色んな人が教えて下さって、今は少しだけ使えるようになりました。……えぇっと、まだ一人では無理ですけど、難民キャンプでみんなと一緒に【道守り】の呪歌を歌いました」
水は、先程の動揺が嘘のように静かだ。
「あなたは、歌手ニプトラ・ネウマエの血縁者ですか」
「はい。歌手ニプトラ・ネウマエは私の祖母の姉です」
アミエーラの容姿は、ニプトラ・ネウマエこと大伯母カリンドゥラの姉妹と言っても通用する程よく似ている。
聖歌隊のあちこちから【化粧】の術ではないかとの囁きが漏れた。
「あなたのお祖母さんの信仰と魔力の有無、学派を教えて下さい」
「私の祖母の信仰はフラクシヌス教です。大伯母と同じ力ある民で【歌う鷦鷯】学派でした」
水は動かない。
「お祖母さんの夫、あなたのお祖父さんの信仰と魔力の有無、学派を教えて下さい」
「祖父は私が生まれる前に亡くなって、祖母の親友から少し聞いただけなんですけど、いいですか?」
「大丈夫です。その方から聞いた話を断言する形で答えて下さい」
アミエーラは無言で頷き、ひとつ深呼吸して答えた。
「私の祖父は、力なき民のキルクルス教徒で、魔法は使えません」
「そろそろ魔力切れが心配って顔してる人が居るから、テキトーに嘘よろしく」
フィアールカが、小さな三脚で固定したタブレット端末を覗いて言う。
ギームン神官は困った顔で少し考え、質問を捻り出した。
「あなたは力なき民ですか」
「えーっと、はい。私は力なき民です」
再び水がざわめいた。【明かし水鏡】の反応で発言の真偽を再確認し、聖歌隊に動揺が走る。
「あなたの祖父母は半世紀の内乱前、どちらにお住まいでしたか」
「私の祖父母は、ネモラリス島に住んでいました。でも、半世紀の内乱が起きてからは、信仰が違う一家は迫害されるようになって、あちこち逃げて、内乱が終わるまでに私の伯父伯母はみんな亡くなって、内乱後まで生き延びられたのは末っ子の母だけです」
聖歌隊は、漣ひとつ立たない【明かし水鏡】にざわついたが、ギームン神官が咳払いひとつで黙らせた。
「それでは、最後の質問です。平和の花束と言う歌手グループが歌う『真の教えを』と言う歌曲は、誰が歌ってもいいと思いますか」
「はい。『真の教えを』はキルクルス教本来の教えについて謳った曲で、音楽ですから、誰が歌ってもいいと思います。キルクルス教徒も、フラクシヌス教や他の信仰を持つ人でも、誰でも歌って大丈夫です」
最後は物事の虚実を問うには微妙な問答だが、水が動かなかったことと、これまでの流れで、人々は事実だと思うだろう。
湖の民フィアールカが、タブレット端末の録画を止めた。
「で、まだ何か質問ある人、居る?」
元神官フィアールカが、王都第二神殿の聖歌隊を一人一人しっかり見て聞いた。
様々な髪色の聖歌隊は、緑色の瞳から逃れるように視線を逸らす。長命人種の元神官は、もう一度、会議室を見回した。誰も声を発さない。
アミエーラは【明かし水鏡】の水から冷え切った手を出し、ハンカチで拭った。
赤毛のギームン神官が、紅茶で口を湿して言う。
「半世紀の内乱前は、彼女の祖父母同様、信仰の異なる夫婦は大して咎められることなく成立しました」
「大して? 多少はお咎めがあったんですよね?」
テノールの青年が間髪入れず質問した。
「どんな結婚でも、とやかく言う身内は居るもので」
「誤魔化さないで下さい」
青年のよく通る声が、神官の穏やかな声を遮った。
☆書庫の二階にある会議室……「1085.書庫での会議」参照
☆ギームン神官/王都第二神殿付属合唱団……「1036.楽譜を預ける」参照
☆【明かし水鏡】……「596.安否を確める」参照
☆まだ一人では無理です……「872.流れを感じる」参照
☆難民キャンプでみんなと一緒に【道守り】の呪歌を歌いました……「927.捨てた故郷が」~「929.慕われた人物」参照
☆お祖母さんの信仰と魔力の有無、学派/祖母の親友から聞いた……「0059.仕立屋の店長」「0090.恵まれた境遇」「0091.魔除けの護符」、後日サロートカから聞いた「554.信仰への疑問」「555.壊れない友情」参照
☆半世紀の内乱が起きてからは、信仰が違う一家は迫害……「859.自治区民の話」参照




