1141.帰らない日々
少し離れた所の仮設舞台で、主催の市民団体代表が開催の挨拶を述べる。
型通りの言葉が終わると同時にトランペットの音色が響いた。
高校生のブラスバンドだ。軽快な曲がフリーマーケットの会場を盛り上げる。
「これ系の曲、久し振りに聞いたわ」
エプロン姿の難民女性が足で軽く拍子を取る。
休憩兼買出しの者たちが、交換用の手芸品を抱えて他所のブースへ散ってゆく。
レノが前回見たのとは別の組だが、初参加の反省を踏まえて臨む今回は、少し挑戦の意欲が高そうに見えた。
初回の組は、失敗を恐れて萎縮したが、この組にはそれがない。
前回、葬儀屋アゴーニが、真実を探す旅人ファーキルにこっそり聞いてくれた。
「何でド素人ばっかなんだ?」
「……それは」
ファーキルは躊躇う素振りを見せたが、難民のブースから少し離れて説明した。
レノたち椿屋一家同様、すべてを喪った商店主は難民キャンプにも大勢居る。
フリーマーケットに出られない理由は、人の数だけあると言っていい。
本人の怪我や病気。家族に乳幼児や介護が必要な老人、傷病者などが居て何日も留守にできない。老いて体力が心配。精神的な打撃が大きく、何もする気になれない者や、環境の変化に耐え難い苦痛を感じる者……単独の理由は少なく、幾つもの事情が絡み合う。
一口に個人商店主と言っても様々だ。
飲食店、時計の修理屋、仕立屋、靴磨きなど、役務を提供する系統の店主にとって、物販は全く勝手が違う。薬屋は難民キャンプ内で使う薬作りで忙殺され、それどころではなかった。
「物販でも、魔法の鍋専門店とか家具屋さんとか、ジャンルが全然違ったら交換相場わかんないし、ウチみたいに作って売る店で製造と販売が別の人で、素人に聞かれても、作る人しか居なくて応えられなかったら気マズいもんな」
パン屋のレノが納得すると、葬儀屋アゴーニも同意した。
「俺も一応、店長の端くれだが、卸しの花屋から花環を買付けるだけだからな。言われてみりゃ、菓子やら小間物の売り方はわかんねぇな」
「ですよね」
「やっぱ、客として店行くのと、店するんじゃ勝手が違わぁな」
「それに、それだけじゃないんです」
「まだ何かあんのか?」
説明するファーキルの顔は暗い。
「売れないのがわかってるから行きたくないとか、今は平和な街を見るのが辛いとか、自分の店以外で商売したくないとかって人も結構居て……あ、でも、その人たちも売り物や値札作るの手伝ってくれたり、行く人の家族の面倒見てくれたりとか、難民キャンプの中では凄く協力してくれるんです」
「なんだそりゃ?」
葬儀屋アゴーニが呆れた顔で聞く。
レノはファーキルに頷いてみせ、話を引き取った。
「その人たちの気持ち、俺はよくわかります」
「えっ? 兄ちゃんも催しモンで売ンのはヤだってのか?」
意外そうなアゴーニに苦い笑みを返す。
「俺たち、トラックで移動販売しましたけど、売り物、ここと似たようなモンでした。相手にしてくれる人があんまり居なかったり、チラ見するだけで買ってもらえないのって、自分の店で売れないよりずっと心に来るんですよ」
「そう言うモンなのか」
「えぇ。買ってもらえても、それが同情だったら、何て言うか……嬉しいけど、悲しいし惨めだし悔しいし……お客さんに感謝の気持ちはありますよ。けど、何か上手く言葉にできないんですけど、泣けて来るって言うか」
「魔法薬は人気あり過ぎて命の危険感じましたし、色々ですよ」
ファーキルが言うと、葬儀屋アゴーニは校庭を見回した。
「平和な街に居ンのが辛ぇってのは、何となくわからんでもない。帰りたくても地元にゃ帰れねぇ。ここの普通の日常を見ちまったら、森へ戻った時、余計落ち込みそうだもんな」
「事情は色々だし、本人が行きたいって手を挙げない限り、無理強いはできませんから」
理由を知ったレノは、素人に楽しんで帰ってもらおうと気持ちを切り替えて、今回のフリーマーケットに臨んだ。
地元との付き合いが濃密な商店街の店主たちは、自分の店や家族だけでなく、気心の知れた馴染みの客も失った。商売のノウハウはあっても、故郷から遠く離れた異国の地で商売する気が起きないのは、痛い程よくわかる。
……夏の都やパテンス市には、常連さん、居ないもんな。
王都ラクリマリスの西神殿で、レノが常連の男子高校生と再会できたのは、奇跡だ。彼はロークの友人でもある。正に湖の女神パニセア・ユニ・フローラによる水の縁のお導きとしか言いようがない。
スカラー高校の男子生徒の顔を見た瞬間、レノの中で喜びが爆発した。
自分でも信じられないくらい激しい思いに衝き動かされ、勢いに任せて店の再建を約束した。
たった一人、名も知らぬ常連客と再会できただけで、あんなに嬉しくなるとは思わなかった。
……だから逆に、常連さんが絶対来ない外国の平和な街で商売すんのって、心抉られると思うんだよな。
異国人の群に常連客の面影を捜しながら、売れる見込みの薄い品を販ぐ辛さは身に染みていた。
ザカートトンネルを抜けた後、ネーニア島南部のラクリマリス領を通過中、ずっとそんな日々の連続だった。
レノは妹たちを思って口には出さなかったが、次の街へ移る度、先に逃れた地元の誰かと再会できるのではないか、母の安否を教えてくれるのではないかと淡い期待を抱き続けた。
レノは、難民たちの出店を振り返った。
香草茶をその場で飲めるコーナーに行列ができ、工事現場の誘導員だった青年が列の整理にあたる。どうやら読みが当たったらしい。
活気に惹かれ、客が更に集まって来た。
☆レノが前回見た……「1114.バザーの出店」参照
☆真実を探す旅人ファーキル……ハンドルネーム「188.真実を伝える」参照
☆トラックで移動販売しましたけど、売り物、ここと似たようなモン……「217.モールニヤ市」「218.移動販売の歌」「222.通過するだけ」、「223.ドーシチ市へ」「226.出店の出店料」、「286.プラヴィーク」~「288.どの道を選ぶ」参照
☆魔法薬は人気あり過ぎて命の危険感じました……「235.薬師は居ない」「236.迫りくる群衆」参照
☆レノが常連の男子高校生と再会できた/彼はロークの友人……「544.懐かしい友人」参照




