1139.安らぎの光党
クルィーロたちは、イグニカーンス市立陸上競技場前の広場でも、大統領選立候補者の演説を聞いた。
この候補も、対ネモラリス共和国では好戦的な意見だ。
ネモラリス島北部をアーテル領に組み入れるか、リストヴァー自治区を拡大するなどして、キルクルス教化すべきだと訴える。
足を止めて耳を傾ける者は、誰一人として野次を飛ばさなかった。
各候補の主張は、手段が異なっても「ネモラリス討つべし」で一致する。
……アーテルじゃ、完全に悪者なんだな。
クルィーロは気が重かったが、演説の写真を撮るのは忘れなかった。
クラウストラが、それぞれ別の使い方をするので、データは三種類必要だと説明し、ロークは動画、彼女は録音を担当する。
タブレット端末は、カメラとテープレコーダーなどたくさんの機能を備えても、手帳くらいの大きさしかない。
ネモラリス共和国が、半世紀の内乱からの復興でもたついた三十年間で、科学文明の国々は遙かに遠い所まで行ってしまった。
これだけ生活が変われば、考え方も、半世紀の内乱時代より隔たりが大きくなって当然だ。
三人は今日最後の演説場所に移動した。
コンサートホール前の待機用広場でマイクを握るのは、アーテルでそこそこ人気の歌手兼作曲家だ。
日が傾いて、ラキュス湖から吹き上がる風が涼しくなった。
「私は、みなさんと共に、このアーテル共和国を真の教えに基づく本当の民主主義国家にしたいと考えております」
ベテラン歌手の大統領選立候補者は、他の候補者同様、ワゴン車の上に設けた演台から有権者に呼び掛ける。聴衆は老若男女幅広く、今日、クルィーロが見た中では一番多かった。
警備員が演台に近付き過ぎないよう、また、広場から溢れた人々が通行の妨げにならないよう、人の流れを整理する。
クルィーロたち三人は、分厚い人垣に阻まれて全く近付けなかった。
「こうして選挙運動をしておりますが、現在の政府は、ランテルナ自治区の住民に選挙権を与えておりません。彼らからも税を徴収するにも拘らず、です。このような差別がある限り、我が国は国際社会から“真の民主主義国家”と認めてもらえません」
中性的な候補者が見回すと、ファンらしき聴衆はハッとして歌手を見上げた。
「私はこれまで何度も、コンサートでアルトン・ガザ大陸北部の国々へ行きましたが、非常に驚きました。みなさん、パソコンメーカーのテンプスをご存知でしょうか?」
聴衆がコンサートと同じノリで「知ってる!」と応え、中には手を挙げる者も見えた。
「テンプスは大聖堂のお膝元、バンクシア共和国に本社があります。そこでは、両輪の国出身の社員や、力ある民の技術者も働いていました」
悲鳴に近い驚きの声が上がる。
……そう言えば、ファーキル君の報告書で見たな。
どよめきが鎮まるのを待って、候補者が落ち着いた声で告げる。
「テンプスは、聖者様が提唱した本来の教えを忠実に守り、魔力があることを理由に門戸を閉ざさず、企業活動の中で実践しているのです」
大多数がファンである聴衆は、心酔する歌手の声にじっと耳を傾けるが、微妙な表情だ。
「聖者様は、三界の魔物の惨禍を再び招かないよう、魔術の一部を悪しき業として禁止されましたが、その他の術は禁じられておりません」
聴衆の動揺が、辺りを地鳴りのように揺るがす。
警備員も、呆けた顔で候補者を見上げた。
「おいおい、ヒュムヌス、大丈夫かよ」
「星の標に聞かれたら、消されんじゃね?」
「俺らじゃ守り切れねぇよ」
「シーッ!」
近くのファンが囁きを交わすが、ヒュムヌス候補が話し始めると静かになった。
「私たちは今こそ、真の信仰に立ち帰り、本当の民主主義国家を築かなければなりません。聖典には、魔法使いを排除せよとは一行たりとも書かれておりません。現にバンクシアやバルバツムも、力ある民の入国を禁じておらず、彼らへの差別を禁止しております」
……ファーキル君の報告書で、査証の発給とかで差別はあるって見たけど、それ以外は普通なのか?
クルィーロまで、ヒュムヌス候補の身が心配になってきた。
どこかで星の標が聞いていないかと、恐る恐る辺りを窺う。
「多くのアーテル人が、ネモラリス共和国を『キルクルス教徒の人権を侵害し、宗教弾圧を行う野蛮で邪悪な国だ』と評価しますが、本当にそうでしょうか?」
言葉を切り、車上の演台からファンである聴衆一人一人に目を向ける。
「彼の国では、リストヴァー自治区内に限られるとは言え、キルクルス教の信仰が認められ、教会があり、正式な聖職者も居ます」
「どうして知ってるんですか?」
疑問を発したファンに微笑を向けて答える。
「ニュースをご記憶でしょうか? ついこの間、大聖堂からリストヴァー自治区に派遣されたフェレトルム司祭を受け容れたと言う内容です。詳しくは、大聖堂の公式サイトをご覧下さい」
ファンたちが頷く。
ヒュムヌス候補は彼方を見詰めて言った。
「リストヴァー自治区出身の国会議員が居て、自治区民の意見も、ある程度は国政に反映されます」
……どうやって調べたんだ?
少なくとも、大聖堂のサイトには載せないだろう。
「対して、我が国やラクリマリス王国はどうでしょう?」
国交が断絶した隣国はともかく、自国のことならわかる。
人々は気マズそうに目を伏せた。
「我が国でのネモラリスの評判は、彼の国ではなく、我が国の自己紹介だと思いませんか? 今こそ、聖なる星の道から降り注ぐ一条の光に目を凝らし、イメージの闇を拓いて下さい。何が真実であるか、あなた自身の目で見極めるのです」
聴衆が眩しげに演台のヒュムヌス候補を仰ぎ見る。
「半世紀の内乱中は、人種や信仰、魔力の有無や思想などによって人々が引き裂かれ、互いに憎しみ合って多くの血が流れました。しかし、政治的にはどんな立場の人も平等でした。ある意味、対等の立場で殺し合ったと言えます。勿論、私は争いや暴力を肯定する者ではありません」
年配のファンたちが息を呑む。
「戦後、信仰と思想によって国が分断され、ラクリマリスではキルクルス教の信仰が禁止され、力なき民の選挙権は半分奪われました。我が国のランテルナ自治区への仕打ちは、いかがでしょう?」
聴衆が静まり返る。
「今こそ、意図的に作られたイメージの闇を拓き、あなた自身の目で事実と真実に向き合って下さい。万一、私が居なくなるようなことがあったとしても、事実と真実からは決して目を逸らさないと約束して下さい」
広場を満たす沈黙には、言葉にならない熱気があった。
☆安らぎの光
支持母体……「328.あちらの様子」「347.武力に依らず」「371.真の敵を探す」「693.各勢力の情報」参照
声明……「353.いいニュース」参照
党……「868.廃屋で留守番」参照
☆ランテルナ自治区の住民に選挙権を与えておりません……「285.諜報員の負傷」「1120.武器職人の今」「1135.島民の選挙権」参照
☆彼らからも税を徴収……「532.出発の荷造り」参照
☆両輪の国出身の社員や、力ある民の技術者も働いて/ファーキル君の報告書……「812.SNSの反響」参照
☆査証の発給とかで差別はある……「434.矛盾と閉塞感」参照
☆戦後、信仰と思想によって国が分断……「0001.半世紀の内乱」参照




