1132.事実より強く
村の自警団は、地下街チェルノクニージニクで防具を仕入れた。
郭公の巣のクロエーニィエ店長の助言には素直に従ったが、これで気が大きくなり過ぎて、却って怪我人が増えるのではないかとの懸念は拭えない。
……でも、少しでも抵抗できるんなら、したいわよね。
魔獣でも、疫病でも、敗北の行き着く先は、死かも知れない。
諦めて何もしないより、できることを全てした方が後悔が少なく、マシなような気がした。
力を持たない者、弱い者は何もできないワケではないのだ。
今日は、薬師アウェッラーナと老漁師アビエース、工員クルィーロの三人でランテルナ島へ【跳躍】し、先に緑髪の兄妹だけ戻った。
アマナと同じ金髪のクルィーロは、チェルノクニージニクに泊まり、ロークたちと共に情報収集する。
集めたアーテル界隈の情報は、フィアールカ、ラゾールニク、ファーキルらが取りまとめ、ラクエウス議員やアサコール党首を介してネモラリス共和国の駐アミトスチグマ大使に届けられる。
アマナは兄の不在にいい顔はしなかったが、父の服を掴んで涙を堪え、何も言わなかった。
呪医セプテントリオーは保健室で負傷者を治療中。レノ店長と葬儀屋アゴーニ、DJレーフはアミトスチグマで、帰りは明後日の予定だ。
先に戻った二人は、重い荷物を降ろすと肩をさすった。
国営放送アナウンサーのジョールチが、書きかけの原稿から顔を上げて労う。
「お疲れ様です。随分重そうですが、何を買ったんですか?」
「本です。小説の」
「小説……ですか?」
「アーテルの若いコの間で流行ってて、このファンの人たちが廃病院でポスターを見て」
「あぁ、『冒険者カクタケア』ですか」
皆まで言わずとも、意図まで伝わったらしい。ジョールチは、二人が荷物を出すのを手伝ってくれた。パドールリクとソルニャーク隊長が、荷台の真ん中辺りを片付けて場所を空ける。
文庫本でも、派手な色使いの表紙が二十六冊も並べば壮観だ。
「隊長、ショーセツって何スか?」
「物語だ。昔から伝わる伝承や事実ではなく、大抵は、書いた者が想像して作った話だ」
「国語の教科書にもちょびっと載ってたろ」
メドヴェージに言われ、少年兵モーフは教科書の詰まった木箱を見た。
「作り話なんスか?」
「そうだ」
「今度はこれで字ィ読む練習するんスか?」
「坊主、おめぇすっかり勉強好きになったんだな」
メドヴェージが嬉しそうに笑ってモーフの肩をポンと叩く。
「何だよ、悪ィかよ?」
「スゲーいいぞ」
「小説は作り話だけど、これが流行ってるってコトは、アーテルにはこう言うのが好きな人が多いってコトなの」
アウェッラーナは頭を捻り、少年兵にもわかりやすそうな言い回しを組立てた。彼はソルニャーク隊長を見て、一瞬ピナティフィダに目を遣り、再び隊長を窺う。
「これがアーテルで流行って……それで何でねーちゃんが買って来るんスか?」
ネモラリス人の自分たちには、無関係だと言いたいらしい。
アウェッラーナは、何と言ったものかと兄アビエースと顔を見合わせた。ジョールチが先に口を開く。
「アーテルの文化を知る手掛かりになるからですよ」
「ブンカ?」
モーフはこの村に滞在中、一気にたくさん知識を詰め込んだが、まだまだ整理と理解が追い付かないらしい。
……改めて聞かれると、案外、説明が難しいわね。
アウェッラーナが思案する間にも、ジョールチがニュースの解説をするような調子で答える。
「同じ地域に住む人、同じ言葉や信仰を共有する人たちなどの間にある生活全般の“ゆるい繋がり”のようなものですよ」
「……難しくてわかんねぇ」
声と同時に項垂れる。
「そうだね。難しいね。具体的に考えればわかりやすくなるよ。例えば、その地域の人たちの服装や家の形、よく作る料理、婚礼などの仕来り。他所へ行けば、全然違うんだけど……想像付くかな?」
ジョールチは、モーフだけでなく女の子たちも見回して聞いた。
「うーん……俺らが呪文入りの服着たりしねぇのとか、そう言うの?」
「そうだね。同じ地域に住んでいても、信仰が違えば、文化も違ってくる。それも、ひとつの正解だよ」
エランティスがアウェッラーナに聞く。
「じゃあ、湖の民の人たちが緑青入りのごはん食べるのも?」
「そうね、身体の仕組みの違いが始まりだけど、そこから発展して色んな緑青料理ができたから、これも食文化のひとつね」
黒髪のジョールチが頷く。
「同じ地域に住むだけで共有できる文化もあれば、特定の人たちだけのものもあり、一口に文化と言っても様々です」
「人種や信仰が同じでも、若いコだけに流行るのもあれば、年寄りにしか受けないのもあって、文化を共有する層は、縺れた漁網みたいに入り乱れてるんだよ」
老漁師アビエースが言うと、モーフは頭を掻いた。
「うーん……やっぱ難しいや」
「そうですね。今のモーフ君たちは、“単純に一纏めにはできないもの”とだけわかれば充分です」
ジョールチがやさしく言うと、モーフは文庫本を一冊手に取った。
「じゃあ、これもアーテルのブンカって奴ッスか? 図書館と本屋いっぱい行ったけど、ネモラリスにはこんなの一個もなかったッスよ」
「そうですね。私もこんな雰囲気の小説本を見るのは初めてです」
ジョールチも手近の一冊を取る。
表紙の絵は、登場人物を中心に全体が鮮やかな色彩で描いてある。人物の姿はかなりデフォルメされ、目が大きく、髪の色は現実にはあり得ないものばかりだ。服装も、アーテルの軍服を模したものなのか、ネモラリスでは見たことがない。女性の胸が無闇に強調されて、何となく目のやり場に困る巻もあった。
アウェッラーナは情報源を伏せて説明する。
「登場人物や出来事は想像だけど、場所やアーテルの社会、制度、問題点……そう言うのは全部ホンモノと同じに描いてあるそうです」
「そう言えば、ローク君とファーキル君の報告書にも、神学生たちがこの小説について議論しているとありましたね」
ジョールチが眼鏡を押し上げて言うと、ソルニャーク隊長とパドールリクも「思い出した」と頷いた。
パドールリクが、隣に座って文庫本の塊を見詰める娘に言う。
「小説……本はその言語がわからないと読めなくて、伝わり難いけど、音楽には言葉が要らないから、世界中の人に伝わりやすいんだ」
「言葉が要らない? 歌は、歌詞がないとわかんないよ?」
作詞したアマナは、間髪入れず反論した。
「勿論、歌詞も大事だ。でも、旋律だけでも伝わることがたくさんある。楽しいとか悲しいとか」
「あ、あぁ……気持ち……雰囲気?」
パドールリクは深く頷いた。
「そうだ。気持ち……言葉にできない部分を伝えられるから、心を直接揺さぶる時があるんだ」
薬師アウェッラーナは、移動販売店プラエテルミッサの歌が世界中のインターネット使用者の心を揺さぶり、難民支援の流れが生まれた件にやっと納得できた。
「小説などの物語だってそうだ。現実から一歩退いた位置で描かれるからこそ、時には事実より強く、人の心に働き掛ける」
「小説に出て来た場所へ、ホントに行く人が居るって書いてあったね」
ピナティフィダが、報告書の束を入れた木箱に手を置いた。
☆郭公の巣のクロエーニィエ店長の助言……「1123.覆面作家の顔」参照
☆ラクエウス議員やアサコール党首を介して駐アミトスチグマ大使に届けられる……「1118.攻めの守りで」参照
☆呪医セプテントリオーは、まだ保健室で治療……「1126.癒せない悩み」参照
☆ファンの人たちが廃病院でポスターを見て……「0995.貼り紙の依頼」「1002.ポスター設置」→「1006.公開済み画像」→「1014.あの歌手たち」~「1018.星道記を歌う」→「1023.特番への反応」「1105.窓を開ける鍵」参照
☆冒険者カクタケア……「764.ルフスの街並」「794.異端の冒険者」参照
☆色んな緑青料理/特定の人たちだけのもの……湖の民専用の飲食店「1084.変わらぬ場所」参照
☆図書館と本屋いっぱい行った
図書館……「168.図書館で勉強」「169.得られる知識」「0948.術を学び直す」「0949.変わらぬ動き」「0961.信じられない」参照
本屋……「647.初めての本屋」「1021.古本屋で調達」参照
☆神学生たちがこの小説について議論……「764.ルフスの街並」「795.謎の覆面作家」「796.共通の話題で」「1105.窓を開ける鍵」参照
☆場所やアーテルの社会(中略)全部ホンモノと同じに描いてある……「795.謎の覆面作家」「801.優等生の帰郷」参照
☆作詞したアマナ……「207.妹の営業努力」「210.パン屋合唱団」「275.みつかった歌」「290.平和を謳う声」「349.呪歌癒しの風」「511.歌詞の続きを」「1016.特番花の約束」参照
☆移動販売店プラエテルミッサの歌が(中略)難民支援の流れが生まれた……「219.動画を載せる」「290.平和を謳う声」「291.歌を広める者」「402.情報インフラ」「531.その歌を心に」「572.別れ難い人々」「789.臨時FM放送」「1017.心から願おう」参照
☆小説に出て来た場所へ、ホントに行く人……「795.謎の覆面作家」参照




