1129.追われる連中
蜂角鷹の眼を使うまでもなく見えた。
粗末な身形の男性たちが、瓦礫の間を逃げ惑う。
蹄で駆ける追手は背の毒……硬い筋肉に覆われた身に灰緑と黒の縦縞が走る魔獣だ。背には、無数の蛇がたてがみのように生え、好き勝手な方向に毒気を吐く。
……何でこんな平野に?
魔装兵ルベルは、場違いな魔獣に首を捻った。
普通は山地に出現するモノだ。鈍重そうな外見に似合わず、身軽に岩場を駆ける。模様は木立に紛れ、肉眼では捉え難いが、灰色の瓦礫と廃墟に覆われた北ザカート市内では、逆に目立った。
追われる人間たちは、どれだけ走り続けたのか息も絶え絶えだ。
魔獣の捩れた角が、夕日を照り返して鋭く輝く。
背の毒はまだ小振りだ。この世に迷い込んで日が浅いのか、普通の牛くらいの大きさしかない。しかも、右の後足を引き摺って本来の俊敏さを発揮できなかった。大した速度は出ないが、人間たちも疲れ切って逃げ切れない。
つかず離れずの距離は変わらず、日が傾き、影が伸びた瓦礫の間で、追う者と追われる者が見え隠れする。
魔装兵ルベルが立ち止まると、瓦礫の隙間から闇が這い出した。見回すと、この付近の雑妖が食い尽され、廃墟とは思えないくらいキレイだ。
不定形の闇が足に纏わりつき、伸び上って手に触れる。ルベルは魔哮砲を撫でながら、廃墟の街の闖入者を肉眼で追った。
「バラバラに逃げりゃ、三人の内、二人は助かりそうなモンなのにな」
「仲間を見捨てられないんでしょう」
「それで三人揃って魔獣の腹ン中か?」
ルベルと同じ服装の男性が嘲る。ルベルに付き添う彼は、民間の魔獣駆除業者に扮したネモラリス正規兵だ。
「手負いですし、我々だけでも倒せそうですが、助けなくていいんですか?」
魔装兵ルベルが聞くと、付添いの魔装兵は不定形の闇を見て言った。
「今の我々の任務は、そいつの給餌と護衛だ。あんなモノに近付いて、こいつを食われるワケにはいかん」
「しかし、現に国民が……」
「この辺りは立入制限区域だ。駆除屋やゲリラならまだしも、何で丸腰の力なき民が東から来るんだ?」
指摘されてやっと逃げる者たちの不審さに気付き、【索敵】を唱えて観察する。
北ザカート市東端は、昨年の空襲から未だに手つかずの廃墟だ。
大半の道が瓦礫で塞がれ、男たちは何度も転びながら逃げ惑う。
手ぶらで、衣服に呪文や呪印はない。
汗で衣服が貼り付き、埃に塗れた姿は、少なくとも力ある民には見えなかった。
背の毒が不意に足を止めた。肉を食む鋭い牙を剥き、地の底まで揺るがす咆哮を上げる。
三人が硬直し、自ら走った勢いで瓦礫に叩きつけられた。
「ま、あいつらが何者で、何でこんなとこに居ンのか、仲間は居るのか、生け捕りにして尋問すっか」
「……そうですね」
救助ではなく尋問の為なのが納得ゆかないが、今はそれどころではない。食い尽されたのでは【鵠しき燭台】も使えなくなってしまう。
魔獣が、背中の蛇から毒液を飛ばしながら、動けなくなった獲物に近付く。
「お前はここで待機。魔哮砲を【従魔の檻】に詰めて守れ」
「了解。“入れ、人の手になる懐生”」
闇の塊が茶色の小瓶に吸い込まれる。
付添いの魔装兵は、安全を見届けて【飛翔】した。魔獣の牙と毒気の届かぬ上空から接近し、【光の槍】を撃ち込む。
手負いの魔獣は存在の核を撃ち抜かれ、あっけなく灰と化して散った。
魔獣駆除業者に擬装した正規兵が降下し、男たちの手の届かない高さで止まる。
「危ないとこだったな。怪我はないか?」
三人は身を寄せ合って命の恩人を見上げるが、咆哮の効果が切れないのか、荒い息を吐いて答えない。
正規兵が少し待って再び問うと、ぎこちなく首を振った。
「知り合いでも捜しに来たのか?」
「そ、そうだ。遠縁の親戚を頼って来たんだ」
「ここはまだ、立入制限が解除されてないぞ」
大声の遣り取りは、ルベルの耳にも届いた。
聞いた瞬間、嘘とわかる不自然な答えに身構える。
正規兵がやさしく聞く。
「食い物とか持ってンのか?」
「いや、ないんだ」
「追い掛けられた時に投げたから」
「どこから逃げて来たんだ?」
「レサルーブ古道を抜けて来たんだ」
「レサルーブ古道? クルブニーカから来たのか?」
「そうだ」
クルブニーカは昨年の空襲で壊滅的な打撃を蒙り、防壁の機能が失われた。
政府軍は自主避難しなかった住民を他都市に移送し、無人にした上で立入制限を宣言したのだ。
……即バレる嘘なんか吐いて、コイツら何者だ?
「た、助けてくれてありがとう。今は無一物だから何のお礼もできねぇが、恩に着るよ」
「あんた、スゲー強ぇな。何者なんだ?」
「俺? 見ての通り、駆除屋だよ。街の西の方から港とかの復旧作業してて、作業員守るのに雇われてんだ」
「西って……ザカート港、使えるようになったのか?」
男たちの汗と埃に塗れた顔が明るくなる。
「まだまだだよ。俺たちの仕事料、倒した魔獣から回収した素材なんだよな」
「素材?」
「灰になっちまったぞ」
正規兵がぼやいてみせると、三人はバツの悪そうな顔で見上げた。
「あんたら助けるのに、存在の核を撃ち抜いたから、何も残らねぇんだ。タダ働きってこった。【魔力の水晶】とかも持ってないのか?」
「すまねぇ」
「何もないんだ」
正規兵は大袈裟に溜め息を吐き、西の空を振り返った。
黄昏に染まる雲の下で、間もなく日が沈む。
「あんたら、今夜どうすんだ?」
「どっか、その辺の建物で……」
「防壁壊れてんの見たろ? この辺一帯、雑妖だらけだぞ」
正規兵は、自信なさそうに答えた男に追い打ちを掛けた。
「さっきみたいに魔獣もホイホイ入って来る」
力なき民三人組は、顔色を失って震え上がった。
「あ、安全なとこに連れてってくんねぇか?」
「後で絶対、働いて返すから」
「知り合いに会えたら、借金してでも今回の分、耳揃えて払う」
正規兵が少し迷うフリをする。
遣り取りの間にも、日はどんどん傾く。
東の空が暗くなるに従い、男たちの焦りが募った。
「た、頼む、助けてくれ!」
「何でもするから!」
「一生のお願いだ!」
懇願されても、つい先程、即バレる嘘を吐いた連中の言葉など、微塵も信用できない。正規兵は高度を保ち、手振りでついて来るように促して移動した。




