1126.癒せない悩み
……こんなことなら、もっと【白き片翼】学派もしっかり学ぶのだった。
村人の治療を終え、一人になった途端、何度目になるかわからない溜め息を吐いた。呪医セプテントリオーは、村で唯一の小中一貫校の保健室を臨時診療所にし、魔獣の群と戦った自警団の治療に当たる。
軽傷者は、薬師アウェッラーナが用意してくれた傷薬を使い、尾の蛇に咬まれても毒消しがある。
懸念した程には、呪医セプテントリオーの負担は重くなかった。
……それでも、病はどうにもできない。
薬師アウェッラーナは、他所へ出掛ける度に解熱剤など対症療法用の薬を少しずつ作り、密かに備えを進めるが、内心、穏やかではないだろう。
一昨日、臨時政府が、ネモラリス島北東部ミャータ市以東への立入制限を実施した。表向きは「魔獣の群が出現した為」だが、真の理由は、麻疹の流行を封じ込める為だ。
移動放送局プラエテルミッサの一行は、外部の情報を得られたが、地元住民のパニックを防ぐ為、小学生の二人でさえ知らないフリで通す。
政府軍は、アーテルとの戦争に兵員を取られ、魔獣退治までは手が回らないと説明した。地方の住民は納得した訳ではないが、逆らうことなどできよう筈もなく、粛々と日々の営みを続ける。
一般の国民にできることなど、ないに等しい。疫病の流行を教えれば、却って不安を煽り、取り返しのつかない事態を招きかねなかった。
複数の村が相談し、自警団を結成して四眼狼の群と戦い続ける。
本職の狩人はほんの数人で、自警団の大半が素人だ。目撃情報を受けて出動しても確実に倒せる訳ではなく、一度に駆除できるのはせいぜい一頭か二頭。毎回出るのは怪我人だけだ。
何も知らないこの付近の村人たちは、四眼狼の駆除で一喜一憂した。
……教えたところで、苦しめるだけだ。
沈黙の重みが胸を圧迫し、また、溜め息に変わる。
移動放送局のトラックに戻ると、丁度、地下街チェルノクニージニクに出掛けた薬師アウェッラーナと工員クルィーロが帰って来た。
「おかえりなさい」
「ただいま。呪医もお疲れ様です」
互いの無事な姿にホッとする。
「手に入りました」
クルィーロが少年のように瞳を輝かせ、タブレット端末をこちらに向ける。
その声で、アマナが荷台から飛び出した。
「お兄ちゃん、おかえりなさい!」
「ただいま。勉強、捗ったか?」
他愛ない話をしながら、手を繋いで荷台に上がる。
力ある民と力なき民の三組、葬儀屋アゴーニとレノ店長、アナウンサーのジョールチとパドールリク、DJレーフとソルニャーク隊長は、【跳躍】で遠方に出掛けてまだ戻らない。
老漁師アビエースが妹の無事な姿に顔を綻ばせ、みんなにお茶を淹れてくれた。
「ここじゃインターネットに繋がらないんで、端末にデータ入れて来ました」
「へぇー、こんなちっせぇモンになぁ」
メドヴェージが横から覗いて首を傾げた。
「ん? ファーキル君のと随分、違うな。機種が違うのか?」
「機種も違いますけど、契約が……新聞とか買えなくて、無料で見られるのを複写して保存したから、表示が違うんです」
「タダで新聞読ませてもらえンのか?」
メドヴェージが目を丸くする。
「少しですけどね。広告の表示が邪魔だし……まぁ、タダで見せてもらって文句言っちゃ悪いですけど」
「まぁなぁ」
メドヴェージと老漁師アビエースが同時に苦笑した。
……若いだけあって、流石に順応が早いな。
クルィーロが、運び屋フィアールカからタブレット端末を受け取ったのは今日の筈だが、もうこんなに使いこなし、問題点にも気付いたらしい。
戦争前は工員で、元々機械に強いのだろう。魔法を使うのは苦手らしいが、端末を手にした彼は水を得た魚のようだ。
「何か目新しい情報が入りましたか?」
呪医セプテントリオーが聞くと、クルィーロは端末から顔を上げた。何とも言えない表情だ。
「アーテルの国内ニュースは、選挙の件が多いですね」
「選挙ですか。ファーキル君も少し前から集めていますが……」
「まとめた時に内容が被っても、こっち用にってコトで。今週から不在者投票が始まったとか、候補者の動向と主張、争点に対する意見」
「お兄ちゃん、そーてんって何?」
アマナが聞くと、エランティスと少年兵モーフもクルィーロに注目した。
「えぇっと……みんなが気にしてることだな。今回は国政選挙と大統領予備選だから、その候補者がどんな考えを持ってて、国全体の方針に関することをどうしようと思ってるか……例えば、戦争のことだったら、うん、まぁ……大体がネモラリスを滅ぼせ! みたいなのだったけど、まぁそんなカンジ」
セプテントリオーは、選挙権を得て数年経つか経たないかの若者が、民主主義の仕組みをきちんと理解していることに驚いた。
……共和制移行後に生まれた者は、学校で、国政や選挙に関する教育を受けられたのか。
自身を振り返り、申し訳なくなる。
選挙公報が配布されても、表の見方がわからず、中身をじっくり吟味したことがない。
顔見知りが立候補した年は、気が向けば投票したが、そうでなければ、忙しさを言い訳に投票所へ足を運ばず、時間を作って不在者投票に行くこともなかった。
子供たちが理解したと見て、セプテントリオーは質問を続けた。
「そうなのですか。戦争に反対する意見は、ひとつもニュースで取り上げられないのですか?」
「えーっと、ちょっと待って下さいね。……どこやったっけな?」
呪医が重ねて質問すると、クルィーロはあぁでもない、こうでもないと端末を撫で回し、目当ての情報を探した。
☆麻疹の流行を封じ込める為/移動放送局プラエテルミッサの一行は、外部の情報を得られた……「1058.ワクチン不足」「1090.行くなの理由」「1117.一対一の対話」「1118.攻めの守りで」参照
☆取り返しのつかない事態……既に発生「1090.行くなの理由」参照
☆葬儀屋アゴーニとレノ店長(中略)【跳躍】で遠方に出掛け……「1116.買い手の視点」参照
☆アーテルの国内ニュースは、選挙の件が多い……「291.歌を広める者」「867.報道しない話」「868.廃屋で留守番」「1022.選挙への影響」参照
※ ネモラリス共和国は、戦争を理由に死亡議員を補充する選挙を行っていない……「378.この歌を作る」「415.非公式の視察」「0983.この国の現状」参照
☆民主主義の仕組み……「370.時代の空気が」「613.熱弁する若者」参照
※ 魔装兵ルベルの選挙への認識も、呪医セプテントリオーと大差ない……「756.軍内の不協和」「0996.議員捕縛命令」参照
※ ゼルノー選挙区の有権者も、割とぬるい反応……「0974.行方不明の子」参照
※ クルィーロの認識……「0983.この国の現状」参照
▼「この付近の村」はカーメンシク市とミャータ市の間の地域。




