1123.覆面作家の顔
薬師アウェッラーナと工員クルィーロは、地下街チェルノクニージニクで二泊した。宿に籠って、運び屋フィアールカと契約した「虫下し千回分」を作り、呪符屋へ届けに行く。
ついでに郭公の巣に寄った。僅かに開いた扉の隙間から、先客の話声が漏れる。
「じゃあ、ロークさんには内緒にして下さいね」
「勿論よ。本人がいいって言わない限り、誰に何を売ったかなんて、フツーは言わないもの」
呪符屋の店番……元神学生の声だ。
二人は顔を見合わせ、足を止めた。
魔法の道具屋は狭い通路の突き当りで静かな分、中の話し声がよく聞こえる。元神学生スキーヌムは、こちらの足音に気付かなかったようだ。
なんとなく入り難く、息を殺して戸の隙間から窺う。
カウンターには大きな段ボール箱が置いてあるが、内緒の買物とやらはそれではないらしい。クロエーニィエ店長が戸棚から名刺入れのようなものを出し、一枚だけ抜いてスキーヌムに渡す。
「有効期限は登録から二カ月。期限内に新しいのを登録すれば、残高が引継がれるから、忘れずに登録しに来てね」
「はい。またその前に必要な物を教えて下さい」
スキーヌムのもう一方の手には、タブレット端末があった。
クルィーロが吸い寄せられるように入店し、止める間もなく声を掛ける。
「こんにちは。それって日之本帝国製の端末だよね? ちょっとだけ見せてもらっていい? ダメ?」
アウェッラーナは慌てて中に入った。
元神学生が、瞳を輝かせた魔法使いに青褪める。顔見知りに怯えられ、クルィーロは肩を落とした。
クロエーニィエ店長が、取り成すような営業スマイルで迎える。
「あら、二人ともいらっしゃい。何がご入り用かしら?」
「こんにちは。私たちが買うんじゃなくて、値段を聞いて来て欲しいって頼まれたんですけど、【耐衝撃】の【護りのリボン】と【守りの手袋】って小麦とか農産物だと、どのくらいで交換してもらえるんですか?」
「ん? あぁ、村の人が要るのね?」
「はい。四眼狼の群と戦ってるんですけど、怪我人が多くて……」
アウェッラーナが言葉を切ると、クロエーニィエ店長は力強く言った。
「要は、魔力の負担が軽くて着脱しやすい防具が要るのね? 在庫はたくさんあるから、心配しないで」
「そうです。盾とかも、あれば欲しいそうなんですけど」
「盾は……ちゃんとした訓練受けてないと、扱いが難しいのよ」
「軽くて小さいのでも、ですか?」
アウェッラーナは意外だった。
クルィーロの青い眼は、スキーヌムの手にある端末に釘付けだ。
「それなら【不可視の盾】の方がマシね。素人だと攻撃の受け流し方が身に着いてないのに、盾の存在だけで安心しちゃって逃げ遅れたり、盾が邪魔で却って戦い難くなったりするから」
「そう言うものなんですか……?」
「物体の盾がなければ、魔獣の攻撃が届く間合いに入らないように気を付けるでしょ?」
「あぁ……そう言われてみれば、魔法で遠くからどうにかしようとしますね」
クロエーニィエ店長は、筋肉質な身体をレースやフリルたっぷりのエプロンドレスで包んだ今も、元騎士だけあって戦い方に詳しかった。
太い指が優雅な動きでメモ用紙に何事か書き付ける。
「じゃ、これ、交換の相場よ」
「ありがとうございます」
アウェッラーナがメモを手帳に挟んでも、クルィーロはまだ動かない。スキーヌムが、か細く震える声で言った。
「あ、あの、僕が端末を持っていること、ロークさんには内緒にして下さいませんか?」
淡い色の目が潤む。
クルィーロが改めて驚いてみせた。
「えっ? 家出したのに実家から持って来たのか? GPSで居場所」
「いえ、このお店で買いましたから、それは大丈夫です。でも、ロークさんに叱られるかもしれないので、その……」
簡単な誘導尋問にあっさり引っ掛かり、余計なことまで口走る。何故、彼がタブレット端末を持つとロークが叱るのか、話が見えない。
この分なら、近い内に自分から口を滑らせる気がしたが、アウェッラーナは黙っておいた。
……色々あるんでしょうね。
「黙っとく代わりに、それで何するつもりなのか、教えてもらっていいかな? ヤミ端末……しかも日之本帝国製なんて、無茶苦茶高いんじゃないのか?」
「小説の更新です。多分、この内容では出版できないので、ネットで」
「小説?」
三人同時にひ弱な少年の顔を見た。
「僕にできることで、アーテルを変えたいんです」
「国を変えるですって? 小説でそんなコトできるの?」
クロエーニィエ店長が訝った。元騎士を見詰め返す淡い色の瞳には、強い決意の光が宿る。
「勿論、今すぐには無理です。でも、読んだ人が、現実の社会の矛盾について、少しでも考えるきっかけになればと思って、ずっと書き続けてきました」
「あら、書き掛けのがあったの」
「二十六巻まで出版されて、二十七巻の〆切が近いんですけど、それとは別に無料で公開するウェブ版を……」
「自費出版?」
クルィーロの問いは、明らかに「違うのを確める声」だ。
案の定、スキーヌムが首を横に振る。アウェッラーナは思わず確認した。
「えっ? 本屋さんで売ってる本なんですか?」
「はい。三巻まではネットで無料公開していますから、ダウンロードすれば読めますよ」
「それってどこのサイト?」
クルィーロがポケットから手帳を出して聞く。スキーヌムは端末を操作して、場所とダウンロードの仕方を説明した。
……このコ、プロの小説家ってコトよね? 神学生だったのに?
スキーヌム少年は、昨年末から「行方不明」だ。親は捜索願を出さなくても、出版社が出したのではないか。
「私たちが言わなくても、原稿を渡す時、出版社の人に居場所が知られちゃうんじゃありませんか?」
「お気遣いありがとうございます。打合せなども全部ネットで済ませますから、大丈夫ですよ」
「会社の人と会わないのに、本が出るんですか?」
アウェッラーナは本当に驚いた。
大学生の頃、出版社の担当編集者は、何度も教授の許に通い、二年近く掛けて魔法薬の素材に関する専門書を刊行した。
ネモラリスとアーテルでは、この三十年で、仕事の進め方まで全く変わったらしい。
薬師アウェラーナは、常命人種にとっての三十年の重みを改めて痛感した。
☆運び屋フィアールカと契約した「虫下し千回分」……「1106.ふたつの契約」参照
☆名刺入れのようなもの……「333.金さえあれば」「334.接続料の補充」参照
※ ネット接続料のプリペイドカード
☆二十六巻まで出版/三巻まではネットで無料公開……「764.ルフスの街並」「794.異端の冒険者」~「796.共通の話題で」参照
☆スキーヌム少年は、昨年末から「行方不明」……「843.優等生の家出」~「847.引受けた依頼」参照
☆親は捜索願を出さなくても……「801.優等生の帰郷」~「803.行方不明事件」「809.変質した信仰」「810.魔女を焼く炎」参照




