1121.壁新聞を発行
リストヴァー自治区西教会の集会室に乾いた音が重なって響く。
一心にペンを走らせるのは、西教区のヌーベス司祭と銀行員の妻、星道の職人クフシーンカ、数名の学生ボランティアだ。
大聖堂から派遣されたフェレトルム司祭が数日に一度、クブルム街道の分岐まで行って、タブレット端末に共通語版の星光新聞を入れて来る。
紙に書き写してくれた記事を共通語から湖南語に翻訳する作業中だ。
クフシーンカは、翻訳文に運び屋フィアールカの手紙で得た情報を織り交ぜ、内容を補強した。
大学生のボランティアが構成を考え、新聞と同じ大きさの紙に書き写す。四枚同じ壁新聞を作り、西教区と東教区の教会と中学に貼り出す予定だ。
「フェレトルム司祭様、こんなに書き写して下さって、有難いですわね」
「そうですよね。睡眠時間を削ってまで……」
銀行員の妻が一枚訳し終え、溜め息混じりにしみじみ言うと、女子学生が相槌を打った。
星光新聞アーテル版からリストヴァー自治区に関係がある記事は、国際面だけでなく、社会面、経済面など多岐に亘る。目を通し、どの記事を自治区民に伝えるか判断するだけでも、大変な手間だ。
「聖職者の仕事じゃないのに、親切だよなぁ」
別の学生が口を滑らせ、他の学生たちがヌーベス司祭を窺う。地元の司祭はメモから顔を上げ、静かに言った。
「私たち自治区の住民は、周辺諸都市への立入制限でこの地に取り残され、外部の情報が殆ど入らなくなりました。フェレトルム司祭は、そんな私たちに一条の光を与えて下さったのです。これも、聖職者の勤めと言って差し支えないでしょう」
祈りの言葉で締め括ると、学生たちも唱和した。
「聖者キルクルス・ラクテウス様。闇に呑まれ塞がれた目に知の灯点し、一条の光により闇を拓き、我らと彼らを聖き星の道へお導き下さい」
壁新聞を完成させるのに二週間掛かった。
夏休みだが、箒作りや裁縫などで住民が空き教室に通い、人の出入りは多い。
公道に面した掲示板には、壁新聞の告知だけ貼り出し、本体は風雨から守る為、空き教室のひとつに貼ってもらった。教会は、ホワイトボードに磁石で留めて、礼拝堂内に置く。
壁新聞第一号を貼り出した三日後、リストヴァー自治区東教会の集会所に信仰と報道の関係者が集まった。
ウェンツス司祭、ヌーベス司祭、フェレトルム司祭、老いた尼僧、星道の職人のクフシーンカと大工の親方、星光新聞リストヴァー支社の支社長と社会部編集長、国営放送リストヴァー支局の支局長の九人だ。
「著作権的には、グレーゾーンですので、私共が関与しますと、何かと言えばアレですので、今後もそっとしておくと言うことで……」
星光新聞の支社長が、ハンカチで汗を拭いながら答えを出す。彼も共通語は堪能な筈だが、何とも歯切れが悪い。
国営放送の支局長は頷いただけで、何も言わなかった。
「じゃあ、娘が手伝いを続けても大丈夫なんですね?」
大工の親方が流暢な共通語で、支社長に念を押す。
「まぁ、その、アレです。非常時ですし、学生さんの勉強名目でしたら、ハイ、その、どうにか……」
「非常時ですからね」
支社長がしどろもどろに応え、社会部編集長が溜め息混じりに言って、フェレトルム司祭を見る。
壁新聞は、予想以上に人気で「何故、同じ星光新聞なのに地元版はこんなに情報が薄いのか」と新聞社に多数の苦情が寄せられた。
国営放送もとばっちりで苦情を言われ、壁新聞の発行を続けるかどうか、話し合いを持つことになったのだ。
「本物の新聞には、載せられないのですよね?」
老いた尼僧が改めて確認すると、支社長は汗を拭き拭き答えた。
「空襲のアレで、回線の復旧がいつになるかわかりませんので、その、本社版の国際ファックスが届かないんですよ。アーテル版は独自記事も含まれるようで、その、向こうの許可もなしに、こちらでと言うのは、戦時下で、その、何かと言いますと、アレなものですから、ハイ」
「記事丸写しではなく、“フェレトルム司祭様が、大聖堂を経由してお聞きになられたアーテルの状況”と言う形でしたら、ギリギリ可能かもしれません」
社会部編集長が明瞭な発音の共通語で言うと、フェレトルム司祭は頷いた。
「つまり、礼拝でお話ししたことを文字に書き起こされるということですね?」
「そうです、そうです」
「同じ会社なのに世知辛いハナシですな」
大工の親方が肩を竦める。
「それでしたら、『今日の紙面』でも取り上げられますよ。司祭様さえよろしければ、礼拝の様子を録音して、別の番組として翌日に流しても……」
国営放送の支局長が、ここへ来て初めて口を開いた。
リストヴァー支局の独自番組だ。
東部の旧バラック街は識字率が低い為、昼休みの時間帯に新聞記事の一部を読み上げて、ちょっとした解説を付けてラジオで流す。支局の開設当初から続く人気の長寿番組だ。
全員の顔が明るくなり、西教区のヌーベス司祭が話をまとめる。
「それでは、司祭様のお話の要点を紙面に掲載」
「私共と致しましては、礼拝には可能な限り、お越しいただきたいですね」
フェレトルム司祭が、国営放送の支局長に礼拝の録音をやんわり断る。支局長は反論せず、静かに頷いた。
ヌーベス司祭が、決定したものとして話を進める。
「では、要点の記事を『今日の紙面』でも放送。壁新聞はそれとは別にアーテル版の抜粋と言うことで、紙面読者の皆さんには、現在、自治区が孤立状態にあることから、独自記事を充実させていると言う説明で、ご納得いただく方向性で協力させていただきます」
「よろしくお願いします」
「それでは、次の議題に移ります」
大聖堂のエリート司祭が発案者だからだろう。
新聞社も放送局も強くは言えない。
クフシーンカは胸を撫で下ろした。
☆フェレトルム司祭が数日に一度、クブルム街道の分岐まで行って、タブレット端末に共通語版の星光新聞を入れて来る……「1079.街道での司祭」「1080.街道の休憩所」参照




