1119.罪負う迷い子
「あッ!」
スキーヌムは、ロークが止める間もなく、その席に駆け寄った。
「やっぱりあれは人違いだったんですね」
「どうしてこんな所に?」
その者が顔を向けたのと、スキーヌムが安堵を漏らし、ロークが疑問をぶつけたのは同時だった。そこには何の表情もなく、昼時の喧騒から取り残されたように水の入ったコップだけが置いてある。
スキーヌムは、相手がコップに視線を戻すと、助けを求めるような目でロークの顔色を窺った。
……観察してから声掛ければいいのに。
様子を見ながら、反応あり、無視、逃亡などに場合分けして、対応を考える。反応も、友好、敵対、中立など複数だ。
最悪の場合を想定し、刃物などによる攻撃に備えて一定の距離を保ち、安全を確保した上で声を掛ける――ローク、いや、世間の大多数が「逮捕の情報を得た後、何故か地下街の定食屋に居る殺人未遂犯」に抱く警戒心が、スキーヌムには欠けていた。
……いつまで同級生気分でいるんだよ。
スキーヌムが全てを捨てて、地下街チェルノクニージニクに来て、八か月目になる。店の仕事にもかなり慣れ、客たちもスキーヌムが淹れたお茶に口を付けるようになった。
「あ、あの、ヂオリート君、相席してもいいですか?」
ロークは、スキーヌムの間抜けな質問に頭を抱えたくなった。扉脇の壁に面したカウンター席だ。相席も何もあったものではない。
獅子屋は今日も繁盛して、テーブル席は満席だ。
「ご注文、お決まりですか?」
給仕の娘に愛想良く声を掛けられ、ロークとスキーヌムは、本日のオススメ定食を頼んだ。給仕は、続けてヂオリートに期待を籠めた眼差しを向けたが、反応がない。無表情で水のコップを見詰める深緑の眼には、力がなかった。
他の席から声が掛かり、慌てて離れる。
スキーヌムはヂオリートの隣に座り、ロークはスキーヌムの隣に浅く腰掛けた。
……カネ、持ってんのかな?
逃亡中なら、無一文の可能性もある。
ヂオリートがこれからどうしたいのか、スキーヌムは彼をどうしたくて声を掛けたのか。理解したいとは思わなかった。
定食が来るまで、スキーヌムは頻りに話し掛けたが、ヂオリートは反応しない。
ロークが鶏肉の蜂蜜焼きを一口頬張ると、ヂオリートはコップから目を逸らさずに声を発した。
「あの時、あの場に居ましたか?」
とぼけてもよかったが、ロークは鶏肉を咀嚼しながら頷いた。
スキーヌムが食事の手を止める。
注文や雑談、笑い声が飛び交う昼の定食屋で、この一画だけ、息が詰まるような沈黙の檻に閉じ込められた。スキーヌムは身じろぎひとつできないらしいが、ロークは黙々と食べ進める。
「何故、あの場に居たんですか?」
ヂオリートはコップに手を付けず、一点を凝視して口だけを動かした。
スキーヌムが二人を交互に見る。ロークは彼を肘で小突いて食べるよう促して、聞き返した。
「それを知って、どうするんです?」
「シルヴァさんが、姉さんから預かったって、手紙を渡してくれたんです」
スキーヌムが、元同級生に怯えた目を向ける。
「遺書でした。それで、前にシルヴァさんがくれたナイフを持って行きました」
「仇を討つ為に?」
ロークの問いが届いたのか、ヂオリートは小さく顎を引いた。
「シルヴァさんは、姉さんとどこで会ったか教えてくれませんでした。でも、筆跡は本当に姉さんで、俺のこと、小さい頃からずっと勉強漬けで、全然遊ばせてもらえなくて可哀想だと思ってたって……俺は悪いことしてないから、姉さんの身に何があっても、俺のことは恨んでないから、気にしないで自分の人生を生きて欲しいって」
カウンターに置いた手が、拳を握る。
ロークはこの際なので聞いてみた。
「あのナイフは?」
「宝石を渡した後、姉さんが行方不明になって、シルヴァさんに相談したらくれたんです。多分、魔物に襲われた時用だと思いますけど」
「あの司祭は、大聖堂から派遣されたばかりで、ポーチカさんとは会ったコトないと思いますけど、どうして……」
「聖職者なら誰だって同じですよ。何かやらかして、こんな辺境に飛ばされたに決まってます」
ヂオリートが冷たく言い放つと、スキーヌムは息を呑んで凍りついた。
神学校の礼拝堂爆破テロの手引と、ルフス光跡教会で礼拝中に司祭を刺した。そんな彼をテロリストや殺人未遂犯としてではなく、同級生として見られるスキーヌムのアタマはどうなっているのか。
……いや、逆に純粋培養の聖職者だから、罪のない者として見られるのか? 魂の救済でもしてやるつもりで?
「父が手を回して保釈されて、家に連れて行かれそうになったから、信号待ちの時に車から逃げたんです」
事情を告げるヂオリートの話には、脈絡がない。ロークは、彼が本土で非常線を張られる前にランテルナ島まで逃れた手腕に驚いた。
逃亡犯がふらりと席を立つ。
「無理でも、自分の血で教会を穢してやろうと思ったんですけど、姉さんは、俺に死ぬことを許してくれませんでした」
「あっ……どこへ……?」
スキーヌムが腰を浮かしたが、ヂオリートは振り向きもせず扉に向かう。
「早く食べないと、お昼休みが終わりますよ」
スキーヌムは、そのままの姿勢でヂオリートを見送り、彼が店を出ると同時に食べ始めた。
☆逮捕の情報を得た後、何故か地下街の定食屋に居る殺人未遂犯……「1104.隠せない腐敗」参照
☆スキーヌムが全てを捨てて地下街チェルノクニージニクに来て、八か月目……「843.優等生の家出」~「847.引受けた依頼」参照
☆姉さんが行方不明になって、シルヴァさんに相談したらくれた……「1111.報復の手助け」参照
☆何かやらかして、こんな辺境に飛ばされた……「1012.信仰エリート」参照
☆姉さんは、俺に死ぬことを許してくれません……「1076.復讐の果てに」参照




