1117.一対一の対話
「ラクエウス先生、本当によろしいんですの?」
モルコーヴ議員が繋いだ手を離そうとしない。
「うむ。送ってくれてありがとう。後は儂一人で充分だ。若いモルコーヴさんを巻き添えにはできん」
「巻き添えだなんてそんな……それに、私ももう若くはありませんよ」
ニンジン色の髪に白い物が混じるが、年齢はラクエウス議員の半分程だ。
二人が居るのは、夏の都の公園にある【跳躍】許可地点だ。
駐アミトスチグマ王国ネモラリス共和国大使館は、ここから街区ふたつ東へ行ったところにあった。植込みの木々から蝉の声が降って来る。齢九十を越える身には、なかなか辛い距離だが、行くしかない。
「儂の身に何かあれば、アサコールさんたちに伝える者が必要だ。頼まれてくれんかね?」
これから何を話すかは、今朝、ラゾールニクに頼んで動画に収めてもらった。
この件については、王都第二神殿の書庫での会合後、報告の席で話し合い、両輪の軸党のアサコール党首や、秦皮の枝党のクラピーフニク議員も了承済みだ。
「でも、ジュバーメンさんのご都合のよろしい日に、改めませんか?」
「大使館側に予定を空けてもらえたのだ。この機を逃せば……」
アミトスチグマ人のジュバーメンが同行する予定だったが、昨夜、地元で問題が起きて来られなくなった。
駐在国の国会議員が同席ならば、滅多なことはあるまいが、ラクエウス議員は自国の大使館を信用できないのが情けなかった。
一般の大使館員は、難民キャンプや知人宅などに身を寄せるネモラリス国民の身分証再発行で忙殺され、それどころではなさそうだが、駐在武官はどうだろう。
前回の態度を考えれば、モルコーヴ議員に付き添ってもらうのは酷だ。
「老い先短い無所属の儂一人ならば、何の値打もないが、モルコーヴさんは両輪の軸党に対して人質として価値がある」
「……わかりました。約束のお時間に」
「儂がそこの店に行こう。大使館に近付いてはならん。一時間過ぎても戻らなければ、帰ってくれ給え」
「どうかご無事で」
「なぁに、外交官の方は、情報交換で協力関係を結べそうな感触があった。彼に賭けるよ」
モルコーヴ議員が、握った手に一度力を籠めてそっと離す。ラクエウス議員は杖に身を預け、振り向かずに歩いた。
今回は正式に面談を申し込んだ為、ラクエウス議員一人でも待たずに通された。
「ジュバーメン議員から、急用で来られなくなったとのご連絡をいただいたのですが」
「儂一人では不満かね?」
ネモラリスの外交官は、応接室に入るなり言った。ラクエウス議員も立ったまま応じる。
「大使閣下に用があるのは儂の方で、この歳では足下が危ういものでね。地元の彼に付き添いをお願いしたのだよ。心配させるといかんから、代わりの人に近くまで送ってもらったが」
「お一人で大丈夫ですか?」
「まぁ、膝は痛むが、どうにか転ばずに来られましたよ」
大使館側も、駐在武官が姿を見せず、大使一人だ。
社交辞令なのか、本物の気遣いなのか定かでないが、微笑を交わす。
「どうぞ、お掛け下さい」
斜め掛けした鞄をソファに置き、膝を庇ってそろりそろりと腰を屈める。大使がローテーブルを回り込み、手ずから老議員を介助した。
意外なことに思わずこぼれた本物の笑顔で礼を言うと、彼も本物らしいはにかみで応えた。
「お忙しい中、お時間空けて下さいまして恐れ入ります。本日参ったのは、新たな情報を閣下のお耳に入れておきたく」
「魔哮砲の件ですか?」
「それもありますが、国内外の件です」
茶が運ばれ、口を閉ざす。
二人分だけだ。駐在武官は遅刻ではないらしい。
退室した係官の足音が遠ざかるのを待って、説明を続ける。
「ひとつは、既にご存知かと思いますが、ネモラリス島北東部の麻疹の件です」
「今、ワクチンが世界的に不足しておるのですよ。特許を持つバルバツム連邦の製薬会社でトラブルが発生しまして」
ネモラリス共和国内では、臨時政府が報道規制を敷き、ネミュス解放軍もパニックを恐れ、上層部以外には伏せた情報だ。
ラクエウス議員らは、既に複数の筋から得たが、外交官が亡命中の老議員に明かした理由に頭を巡らせる。
「他の製薬会社も特許料を払って製造しますが、契約で年間の生産量に制限があるとかで、世界的に品薄なのですよ」
「魔法でどうにかできんのかね?」
キルクルス教徒の老議員がとぼけてみせると、外交官は沈痛な面持ちで力なく首を振った。
「感染症そのものを何とかする術はありますよ。【白き片翼】学派の【攻めの守り】と言う術ですが、高度な技術が必要で、使える呪医が少ないのです」
「ふむ。しかし、居るには居るのですな?」
外交官は目だけで老議員を窺い、魔術の知識を持たないキルクルス教徒に説明する。
「一部の術には、薬で言う副作用のようなものがありまして、これも、かなり高熱が出ますので、体力のない乳幼児は却って命を縮めることになりかねません」
ラクエウス議員の沈黙を埋めようとするかの如く、外交官は捲し立てた。
☆王都第二神殿の書庫での会合……「1085.書庫での会議」~「1088.短絡的皮算用」参照
☆ラクエウス議員は自国の大使館を信用できない……「440.経済的な攻撃」「514.動画への反応」「626.保険を掛ける」参照
☆外交官の方は、情報交換で協力関係を結べそうな感触……「627.大使との面談」「628.獅子身中の虫」参照
☆特許を持つバルバツム連邦の製薬会社でトラブル……「1058.ワクチン不足」参照
☆ネミュス解放軍もパニックを恐れ、上層部以外には伏せた情報……「1090.行くなの理由」参照
☆ラクエウス議員らは、既に複数の筋から得た……「1050.販売拒否の害」「1058.ワクチン不足」「1090.行くなの理由」参照




