1112.曖昧な口約束
「僕も少しだけルフスに行って、情報収集を手伝ったんだけど……ルフス光跡教会の近所で、アーテル人を食い殺して回った双頭狼は、あの二人が乗っ取った個体だったんだな」
小柄な呪符職人が口を挟み、布の包みを解いた。
現れたのは【鋭利】の呪文と呪印が刻まれたナイフだ。職人はナイフからラズートチク少尉に視線を移した。
「僕が、シルヴァさんに護身用として渡した奴だ」
「礼拝堂の爆破が成功した後、チェルノクニージニクであの男のコと会いましてね。お姉さんが行方不明になったって、とても落ち込んでいたものですから、可哀想になって、あげたんですのよ」
「これで、姉の仇を討てと?」
「使い方までは言いませんよ」
連絡役の老婦人シルヴァは薄く笑った。
呪符職人は、術で強化されたナイフを弄びながら聞く。
「これ、返してもらっていいかな?」
「本来の所有者ならば、返そう」
「鞘は?」
「それだけだ」
「じゃ、自分で作るよ。僕がルフスで集めた情報、欲しい?」
「モノによる」
「アーテルで今月、大統領予備選と国政選挙があるの、知ってるよね?」
呪符職人が下から少尉の顔を窺う。
「把握しておる。国会議員の半数が改選されるが、候補者や大物政治家が何人も消され、今回は荒れそうだな」
「選挙に絡めて、バルバツム連邦が色々仕掛けてるっぽい話を掴んだんだけど、どう?」
「聞かせてもらおうか」
ラズートチク少尉が膝に肘を置き、手を組んで身を乗り出す。
「情報はふたつあるんだけど、その前に、僕たちを、ネモラリス憂撃隊を攻撃しないって約束してくれる?」
「アーテルに復讐する為ならば、その命など惜しくはないのではなかったか?」
「アーテルと戦う為なら惜しくないけど、味方の筈のネモラリス軍に消されンのはヤだよ」
呪符職人が苦笑を浮かべ、戸口に立ったままのシルヴァも頷いた。
「検討しよう」
「頼むよ。バルバツムの連中は、官民挙げてこの戦争の戦後処理に動き出した」
「気の早いハナシだな」
ラズートチク少尉は苦笑した。
……まだ、停戦の糸口すら掴めてないのに。
バルバツム人は、ネモラリス共和国とアーテル共和国、どちらが勝つつもりで皮算用するのか。
魔装兵ルベルは、北ザカート市の雑居ビルから【索敵】と【花の耳】で伺いながら、ウェストポーチをそっと撫でた。
魔哮砲は【従魔の檻】に詰められ、大人しく出番を待つ。
ルベルは、あのあたたかくやわらかな塊に触れられないのを淋しく思ったが、魔法の小瓶を出すのを堪え、ネモラリス憂撃隊の拠点に神経を集中した。
「首都ルフスの一帯を再開発して、バルバツム連邦資本の工業得団地を作る計画が、ひとつ目。リストヴァー自治区の復興には、既に多額の寄付金が注ぎ込まれたけど、次はそこを足場に企業を進出させて、近隣都市にも工場や営業所を建てさせる計画が、ふたつ目」
「ネモラリスとアーテル、双方にバルバツム企業を進出させるのか」
少尉の眼に暗い火が点る。
「ネモラリスに対する計画の詳しいコトまではわかんないけど、アーテル側に関しては、星の標とポデレス大統領の党が一枚噛んでる」
「そちらは詳細がわかるのか」
「星の標のレプス大統領補佐官が、バルバツム企業と繋がるパイプだった」
その情報は、ネモラリス政府軍も把握済みだが、何も知らない体で聞く。
「消したのは、あの二人か」
「そう。メドソースさんが、大司教お気に入りのオンナに身体を借りて、始末した。でも、ポデレス大統領がパイプ役を引継いだ」
……ネモラリス側の事情は、パジョーモク議員に聞けばわかるんだろうな。
密かにアーテルの首都ルフスに逃れた隠れキルクルス教徒は、この雑居ビル一階の部屋に居る。
この時間帯は、民間の魔獣駆除業者に扮したネモラリス正規兵とのお茶会だ。ようやく、危害を加えられないと理解したらしく、出されたお茶を素直に飲むようになった。
同時に捕えたラクリマリス人の隠れキルクルス教徒シストスも、もしかすると何か知っているかもしれない。
「……で、選挙の公約に経済政策のテコ入れを盛り込んだから、ポデレス大統領と仲間の候補者は人気が急上昇だ」
呪符職人も、ポデレス大統領がルフス神学校礼拝堂爆破テロを受け、ネモラリス共和国との徹底抗戦を呼び掛けた件を知っているのか、表情が暗い。
ラズートチク少尉は、顎を小さく引いて言った。
「諸君らの希望が叶うよう、善処しよう」
ルベルは、少尉が庭に出て【跳躍】を唱えると同時に【索敵】の術を解いた。
しばらくして、廃墟の街を歩く上官の姿が見えた。
北ザカート港に近い西側の地区は、瓦礫の処理が進んだ。
空襲が鳴りを潜めて以来、【穿つ啄木鳥】学派の術者を多数投入し、術で瓦礫の破砕して分別。回収した素材を建築素材として再生させた。
当面は、ネーニア島北東部の比較的、住民が多く残る都市に魔道機船で運搬し、防壁の再構築に充てる。
ルベルたちが身を置く雑居ビルは、北ザカート市の東部寄りにあった。
「尋問は明日、行う」
「了解」
ラズートチク少尉は、ルベルに【花の耳】越しに伝え、防空艦ヒュムノディアが駐屯する北ザカート港に向かった。
☆ルフス光跡教会の近所でアーテル人を食い殺して回ってた双頭狼……「1013.噴き出す不満」「1022.選挙への影響」「1065.海賊版のCD」参照
☆アーテルで今月、大統領予備選と国政選挙がある……「291.歌を広める者」「867.報道しない話」「868.廃屋で留守番」「0998.デートのフリ」「1022.選挙への影響」「1102.定着した目的」参照
☆候補者や大物政治家が何人も消され……「0957.緊急ニュース」「0967.市役所の地下」「0998.デートのフリ」「1013.噴き出す不満」「1022.選挙への影響」、どさくさに紛れて消された「1025.二人の犠牲者」参照
☆バルバツムの連中は、官民挙げてこの戦争の戦後処理に動き出した……「0966.中心街で調査」「1027.工業団地計画」~「1029.分断の阻止へ」「1088.短絡的皮算用」参照
☆レプス大統領補佐官……「0957.緊急ニュース」「0967.市役所の地下」「0998.デートのフリ」「1022.選挙への影響」参照
☆パジョーモク議員に聞けば……「1078.交渉材料確保」「1100.議員への質問」「1101.間諜への尋問」参照
☆ポデレス大統領が(中略)徹底抗戦を呼び掛けた件……「869.復讐派のテロ」参照




