1111.報復の手助け
魔装兵ルベルは、雑居ビルの最上階に移動した。
ガラスが抜けた窓に椅子を寄せ、【索敵】を唱える。
目標はランテルナ島。ネモラリス憂撃隊穏健派の拠点だ。ラズートチク少尉が【化粧】の首飾りを外して単身、オリョールに会いに行った。
荒れ果てた庭園に少尉の姿が現れ、立派な扉を叩いた。
見張りなどは一人も居ない。
ややあって、気の弱そうな男が扉の隙間から顔を出した。
「あ、あの、どちら様でしょう」
少尉の襟に着いた【花の耳】が怯えた声を拾い、ネーニア島で見るルベルの許に届ける。
「オリョールさんか、連絡役のシルヴァさんは居るか」
「あ、あの、どちら様でしょう」
「ラズートチクだ」
扉が閉まり、鍵を掛ける音が続いた。
しばらく待つと、小柄な男性が顔を出した。こちらは見覚えがある。確か、北ザカート市の拠点で呪符作りを手掛けた者だ。
「オリョールさんは留守で、シルヴァさんは料理で手が離せないんだ。僕でよければ聞くけど?」
「君でわかるなら」
「知ってても、教えてあげられるとは限らないけどね」
小柄な呪符職人は、少尉を応接間らしき部屋に通した。向かい合わせでソファに腰を降ろす。
「どうせ飲まないだろうから、お茶は出さないよ」
「うむ。気遣いは無用に願う。単刀直入に聞こう」
「どうぞ」
浅く腰掛けた呪符職人が少尉を見上げる。
「ルフス光跡教会で、礼拝中に双頭狼が侵入し、多数のキルクルス教徒を殺傷した」
「それで?」
「ネモラリス憂撃隊の【涙】を呑んだ個体だ。知っているか?」
「心当たりがあり過ぎてわかんないよ。誰の【涙】かわかる?」
「メドソースだ」
呪符職人の目が一瞬、輝いたが、すぐ表情を消した。
「僕は【召喚符】を作るところまでで、その先、どこでどう使うかまでは教えてもらえないんだ」
張り詰めた空気が、北ザカート市で監視するルベルにも、ひしひしと伝わる。
「情報交換をしたい。わかる者は居るか?」
「オリョールさんはまとめ役をしてくれてるけど、全部の作戦を細かいとこまで把握してるワケじゃない。軍が北ザカート市の拠点を壊滅させてから、こっちのグループでも辞めた人が多くてね」
「個人活動に戻ったのか」
「そう言って出てった人も居るけど、アーテルに復讐するのを諦めて、帰る人、難民キャンプに行く人……色々だね」
外に見張りが居ない理由はわかった。
拠点……シルヴァの身内のものだと言う広々とした別荘は、この呪符職人と、台所に立つ老婦人シルヴァ、食器の用意をする先程の男、別室のベッドで負傷者が五人眠る他は、無人の部屋ばかりだ。
オリョールが、何人率いて作戦行動に出たかは不明。
邸内をざっと見回したルベルは、ラズートチク少尉に報告しようと心に留めた。
「アーテル軍の基地は、ランテルナ島に二カ所を残すのみ。賢明な判断だ」
「軍の邪魔になれば、武闘派の連中みたいに皆殺しにされるんじゃ、ハンパな覚悟しかない奴は逃げちゃうよ」
呪符職人の声音にうっすら嘲りが混じる。
「排除せずに済むよう、情報交換をしたいのだ」
……そうだよな。漏洩覚悟で先に警告したのに、武闘派は、俺たちの作戦の邪魔になるとこに居たもんな。
「それは、少尉殿の考え? もっと上の人の指示?」
「情報を持ち帰るのは、私だ」
「やさしいんだ?」
「どんな情報をお求めですの?」
シルヴァが応接間の手前の廊下から声を掛けた。傍らで、茶器を乗せた盆を持つ先程の男が震える。少尉の席からは死角だが、【索敵】の眼には丸見えだ。
「あなた方が、ルフス光跡教会の件にどの程度、関与したか知りたい」
魔装兵ルベルとラズートチク少尉は、現場に居合わせた。
魔獣に取り込まれた【魔道士の涙】が砕け、蓄えられた記憶と感情の一部に触れて、事情の断片を知った。
「どこからお話すればよろしいのかしらね」
「僕の担当は【召喚符】を作るとこまでだ」
老婦人シルヴァは呪符職人の声に微笑を浮かべ、傍らの気弱な男を促して応接間に入る。彼は呪符職人の前に盆を置き、逃げるように出て行った。
「私は、アーテル軍の攻撃で亡くなった憂撃隊の仲間が、死んでも復讐したいと言い残したから、その願いを叶えるお手伝いをしたんですのよ」
「具体的に」
「メドソースさんの【涙】をアーテル人の姉弟にあげたんです」
「アーテル人の姉弟だと?」
「キルクルス教団に食い物にされて、苦しんでたんですよ。カルダフストヴォー市で弟の方を見掛けて、ピンと来て声を掛けたら、大喜びで身の上話をしてくれましたよ。アーテル人の誰にも……キルクルス教徒の誰にも悩みを打ち明けられなかったんでしょうね」
ルベルは、あの少年の悲しみと狂気を含む深緑の瞳を思い出した。
今にして思えば、あれは絶望と憎悪だったのだろう。身近なキルクルス教徒よりも、初対面の異教徒や魔法使いの方が信用に値すると思い込むところまで、追い詰められた目だったのだ。
「他の仲間にあのコの身元を調べてもらったら、神学生だってわかったんです。私、可哀想になりましてね。教団に復讐するお手伝いをしてあげたんですのよ」
「それが、ルフス神学校の礼拝堂爆破か」
質問するラズートチク少尉の声には、何の感情もない。
連絡役の老婦人は、今にも泣き出しそうな顔で答えた。
「そうよ。力なき民のあのコには、神学校の情報を色々教えてもらっただけで、危険なことは何もさせなかったわ。それでも、胸の閊えが取れたでしょうよ」
「姉の方はどうした」
「メドソースさんの【涙】に力を借りて、聖職者たちを甚振り殺して歩いてましたわ。よっぽど腹に据えかねたのでしょうね」
老婦人シルヴァが成果を並べる。
「メドソースさんは、あの娘の身体を借りて、アーテルの政治家を始末して回って……少しは軍のお役に立てましたかしら?」
「私は、評価する立場にない」
ここまでは、あの【魔道士の涙】の記憶通りだ。
薄く笑った老婆に素っ気なく答えて、ラズートチク少尉が質問を続ける。
「ルフス光跡教会を襲った双頭狼と、大聖堂から派遣された司祭を刺した少年との繋がりは?」
「あの娘が、魔獣にでも食べられて消えてなくなりたいと言うから、願いを叶えてあげたんですよ。職人さんが拵えてくれた【召喚符】で呼び出したモノに食べてもらって……司祭を刺したというのは見ておりませんので、わかりませんわ」
少尉がポケットから布の包みを取り出し、ローテーブルに置いた。
誰も、お茶に手を付けない。
「現場から回収した兇器だ」
「あら、いらしたんですの。双頭狼にあの娘とメドソースさんの【涙】を食べさせて【命令】を掛けたんですけれど、二人の怨念が双頭狼を乗っ取ってしまいましてね。【渡る白鳥】学派はつい最近、勉強を始めたばかりなものですから……」
老婆は困ったように眉を下げたが、その言葉を発した口は、喜びの笑みを浮かべた。
☆ネモラリス憂撃隊穏健派の拠点……「840.本拠地の移転」参照
☆小柄な男性が顔を出した。こちらは見覚えがある……「837.憂撃隊と交渉」参照
☆ルフス光跡教会で礼拝中、双頭狼が侵入/メドソース……「1074.侵入した怨念」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆辞めた人が多く……「838.ゲリラの離反」「853.戻ったゲリラ」「0946.新しい生活へ」参照
☆難民キャンプに行く人……「863.武器を手放す」参照
☆軍の邪魔になれば、武闘派の連中みたいに皆殺しにされる……「911.復讐派を殲滅」参照
☆漏洩覚悟で先に警告したのに、武闘派は、俺たちの作戦の邪魔になるとこに居た……「838.ゲリラの離反」参照
☆【魔道士の涙】が砕け、蓄えられた記憶と感情の一部に触れて事情の断片を知った……「1076.復讐の果てに」「1077.涸れ果てた涙」参照
☆あの少年の悲しみと狂気を含む深緑の瞳……「0945.食下がる少年」参照
☆教団に復讐するお手伝いをしてあげた……「923.人捜しの少年」~「925.薄汚れた教団」「0945.食下がる少年」参照
☆ルフス神学校の礼拝堂爆破……「868.廃屋で留守番」「869.復讐派のテロ」参照
☆聖職者たちを甚振り殺して歩いて……「870.要人暗殺事件」「0952.復讐に歩く涙」「0998.デートのフリ」「1025.二人の犠牲者」参照
☆アーテルの政治家を始末して回って……「0998.デートのフリ」参照
☆あの娘が、魔獣にでも食べられて消えてなくなりたいと言う……「1077.涸れ果てた涙」参照




