1108.深夜の訪問者
クラウストラは、雑居ビルの非常階段で【索敵】を唱えた。
目標はルフス中央病院。
ルフス神学校の礼拝堂爆破テロと、ルフス光跡教会に侵入した魔獣による負傷者が最も多く収容され、報道陣などの立入りが規制される。
彼女が捜すのは、大聖堂からルフス光跡教会に派遣されたレフレクシオ司祭だ。
ロークは【索敵】に集中する彼女に代わって周囲を警戒した。
事務所や店が入居するビルで、このフロアにはカードゲームの中古屋や貸会議室がある。
五年前、バルバツム連邦で人気のカードゲームがアーテルにも輸入され、アーテル共和国に住む少年少女の心も掴んだ。
夏休みの今、戦争中だと言うのにこのフロアを訪れる中高生は多かった。
……怪しまれないのはいいけど、何だかなぁ。
ネモラリス共和国との差に何とも言えない気持ちになる。
「みつけた」
クラウストラが殆ど唇の動きだけで言い、一点を見詰める。
非常階段に出て景色を眺めるカップルのフリをしたが、ロークとクラウストラにちょっかいを出す者はなかった。
二人はバスで別の隠れ家に移動し、【跳躍】であの隠れ家に戻った。冷蔵庫からお茶を出し、二台のベッドに向かい合って座る。
「レフレクシオ司祭の病室を確認できた。面会謝絶だ。個室で、扉の前に警察官が二人。病室内は司祭一人。容態が安定したようで、横たわって紙の本を読んでいた」
「紙の本?」
ロークはタブレット端末ではなく、普通の本だと理解するのに少し時間が掛かった。
「題名までは読み取れなかったが、端末を取り上げられたのかもしれん」
「どうしてそう思うんです?」
クラウストラは、唇を歪めて答えた。
「あの場に居合わせた者たちから、【魔道士の涙】が語った連続殺人事件の真相が広まった。マスコミには箝口令が敷かれ、正式な報道はなく、SNSの書き込みも片っ端から削除されるが、人の口には戸を立てられんからな」
「でも、レフレクシオ司祭が今、外部に意思表示できなくても、退院したら一緒じゃないんですか?」
「退院できるかどうか、司祭の反応次第なのではないか?」
キルクルス教団が長らく隠し続けたことを礼拝で暴露した。
大聖堂から派遣されたエリート司祭で、信徒の人気が高い。
ただでさえ、礼拝に訪れる者が減る中、ルフス光跡教会の聖職者が相次いで殺害され、ますます「客足」が遠のいた。
……生かしとく利益と、バラされた後のコトを考えて、相談中なのか。
「死体がみつからなければ、魔獣に食われたことにできるからな」
「病院と警察が叩かれると思いますけど……」
「この国では、キルクルス教団と政界の繋がりが強い」
「どうするんです?」
「消灯後、会って話す。脱出については、本人の意思を尊重しよう」
二人は夜に備え、仮眠を取った。
商業ビルの屋上へ【跳躍】し、再び【索敵】で様子を窺う。
「病室前の警備は外れた。ナースステーションに警察官が一人、エレベーターホールに二人。本人は眠ったようだ」
見回りの看護師が司祭の病室を出て行くのを確認し、【跳躍】した。
ロークがハンカチ越しにナースコールを持って数歩離れる。クラウストラは、タブレット端末を片手にレフレクシオ司祭を揺り起した。
寝惚け眼の患者が声を出そうとするのを手振りで黙らせ、予め文章を入力したテキストファイルの画面を向ける。
深夜の病室で、四角い光が眩しい。
黙読した司祭が息を呑み、身を起こそうとして顔を顰めた。
諦めた顔で横たわり、侵入者二人組に目を向けたが、顔は見えない筈だ。
クラウストラが端末を撫で、手振りでロークを呼んだ。
打合せ通り、ロークはナースコールを落として司祭が身を起こすのを手伝った。少女の手から入院患者に端末が渡る。
レフレクシオ司祭に渡した端末には、ルフス光跡教会で発生した事件の記事が表示してあった。星光新聞と湖南経済新聞の縮刷版をダウンロードして、フォルダに保存したが、その後の報道規制で二日分しかない。
渦中から辛くも命を拾った司祭は、端末に指を走らせ、驚愕と悲嘆も露わにゆっくりと息を吐いた。
読み終えるのを待って、クラウストラが身振りで返却を促すと、素直に応じ、小さく一礼して二人を見る。黒髪の魔女は、用意した別のテキストファイルを表示させ、司祭に渡した。
患者の指は迷うことなく画面をつつき、深夜の訪問者に返す。
私は、歪んだ信仰を正す為、この地に赴きました。
ここで逃げ出しては、誰も私を信じてくれなくなります。
お気遣いは嬉しく思いますが、信仰に捧げたこの命、惜しくはありません。
危険を押しての情報提供、ありがとうございました。
クラウストラが素早く入力して画面を向けると、司祭は力強く頷いた。
少女は端末をポシェットに片付け、ロークと手を繋ぐ。次いで司祭の手を握り、小声で【跳躍】を唱えた。
やわらかい所にふわりと着地する。
ベッドを下りて、クラウストラが【灯】を点した。ロークも下り、ポケットの中で【魔力の水晶】を握って【癒しの風】を歌う。
ここも病室だが、窓に掛かるのは遮光カーテンだ。
一人、ベッドに残ったレフレクシオ司祭は、夜中にいきなり歌い出した少年に戸惑いの目を向け、黒髪の少女を見た。
「癒しの術です。完治させると怪しまれるので、痛みが少しマシになる程度に留めます」
クラウストラが声に出して答えると、司祭は改めて部屋を見回した。カーテン以外は普通に見えるが、病院特有の匂いはない。
別の仲間が、イグニカーンス市の廃病院の一室を現役に見えるように手入れしてくれた。遮光カーテンと新品の寝具は、明朝、彼らが回収する手筈だ。
「……ありがとうございます。ここは」
「余計なお喋りをする暇はありません。司祭様の端末はどうされました?」
「ルフス光跡教会の聖職者用宿舎にあります。お願いしたのですが、安静にしなさいとおっしゃって、持って来て下さらないのです」
「持ってこられないのですよ。ここにありますから」
クラウストラはあの日、ロークを隠れ家に運んだ時に、ここを整えた仲間に頼んで、レフレクシオ司祭の居室からタブレット端末と菓子箱を回収してもらった。
その仲間は、首都ルフスでずっと、レフレクシオ司祭を監視していたと言う。
クラウストラは一切、事情を説明せず、真新しい枕を除けた。振り向いた司祭が端末を手に取り、電源を入れる。
「確かに……私のものです。あなた方は一体……?」
尋ねたキルクルス教の聖職者には、怯えの色はなく、純粋な疑問だけがあった。
☆ルフス神学校の礼拝堂爆破テロ……「868.廃屋で留守番」「869.復讐派のテロ」、「908.生存した級友」~「910.身を以て知る」参照
☆ルフス光跡教会に侵入した魔獣による負傷者……「1074.侵入した怨念」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆あの隠れ家/あの日、ロークを隠れ家に運んだ時……「1081.隠れ家で待つ」「1082.自力で癒す傷」参照
☆イグニカーンス市の廃病院……「798.使い魔に給餌」~「800.第二の隠れ家」「0995.貼り紙の依頼」「0998.デートのフリ」「1000.廃病院の探索」~「1002.ポスター設置」参照




