1107.伝わった事件
あれ以来、フェレトルム司祭は数日に一回はクブルム街道の電波が届く所まで行くようになった。
西のザカート方面と南のラクリマリス領への分岐までとのことなので、若い彼の足なら、行って戻るのもすぐだ。
星光新聞のアーテル版をタブレット端末に入れ、礼拝で一般信徒にも最新情報を教えてくれる。リストヴァー自治区西教会だけでなく、東教会でも同じニュースを語るので、礼拝に訪れる信徒が増えた。
……これまでは、区長さんたちがこっそり読むだけだったものね。
ゼルノー市など、周辺諸都市は未だ立入制限が解除されず、国営放送の本局はネミュス解放軍に乗っ取られたままだ。
リストヴァー自治区の外で何が起きているのか。
フェレトルム司祭の端末は、外を覗く小さな窓のように渇望された。
クフシーンカは星道の職人として、地元のウェンツス司祭とヌーベス司祭らと共に、大聖堂から派遣されたフェレトルム司祭の言葉を訳す。
星光新聞の本社は、バルバツム連邦にある為、世界の多くの国では共通語で記事が書かれる。
アーテル共和国では、湖南語版が紙の新聞とインターネット配信、共通語版はインターネット配信のみだ。フェレトルム司祭は、同じ日のふたつの版を端末に入れて持ち帰った。
礼拝で語るニュースは、この戦争について、アーテルとネモラリス双方に関するものを一本か二本選んで紹介するだけだ。
それでも、湖南地方各国の動向について、自治区の行く末を占う材料を全く与えられないよりずっとマシだ。
「自治区のみなさんが、不安になるといけないと思って伏せましたが……」
フェレトルム司祭は、東教会の応接室でソファに浅く腰掛け、ローテーブルに端末を置いた。今日、礼拝後の休憩で同席するのは、東教区担当のウェンツス司祭と星道の職人クフシーンカだけだ。
画面上には、星光新聞一面の縮小版が表示され、特大フォントはクフシーンカの老いた目でも読めた。
「ルフスの教会で司祭様が刺された……ですって?」
我が目を疑ったが、画面上の小さな新聞には、確かにそう書いてある。フェレトルム司祭が端末を撫で、一面トップ記事を拡大表示させて言った。
「昨日、レフレクシオ司祭にメールを送ったのですが、応答がありません。ラニスタに派遣されたチェルニテース司祭に聞いてみましたが、彼もレフレクシオ司祭と連絡が取れないそうなのです」
二人は後輩を案じる声を聞きながら、記事に目を走らせた。信じがたい言葉が幾つも並び、ウェンツス司祭の顔色が変わる。クフシーンカも地元の司祭同様、血の気が引いた。
……礼拝堂に魔獣が入り込んだですって?
キルクルス教徒は、「魔物に襲われたら、礼拝堂に逃げなさい」と教えられて育つ。
内乱前に生まれた星道の職人であるクフシーンカには、その理由がよくわかる。
教会の建物には【巣懸ける懸巣】学派の防護の術が幾つも組込まれるからだ。無自覚な力ある民が居れば、それらが発動する。
現に東教会の礼拝堂で、アシーナが吐き出した雑妖は、消えてなくなった。誰かの魔力……冬の大火で亡くなった人々の【魔道士の涙】から供給された魔力で建物の術が発動したからだ。
幾つかの術は、呪文を唱えなければ発動しないらしいことがわかったが、少なくとも、【魔除け】などはそうではない。
礼拝の最中に侵入した魔獣は、逃げ惑う信徒を次々と咬み殺して回った。
レフレクシオ司祭は礼拝堂に留まり、逃げ遅れた信徒を救おうと、銀の燭台を手にして魔獣と対峙したが、混乱に乗じた暴漢に刺されて倒れたと書いてある。
刺したのは少年で、兇器の刃物は何者かが持ち去った。
魔獣は偶然、現場に居合わせた非番の対魔獣特殊作戦群の隊員が倒した……との安心材料で記事を締め括ってある。
写真は、ルフス光跡教会の外観だ。多数の救急車やパトカー、軍用車が集まって警察官と兵士が働く姿が写る。
「犯人は捕まったのですか?」
ウェンツス司祭が呆然と問うと、フェレトルム司祭は頷いた。
「未成年だとわかったので、詳細は報道されておりませんが、インターネット上には、ネモラリスのテロリストなのではないかなどと様々な憶測が飛び交い、アーテル人にかなり動揺が広がっております」
「記事の日付……フェレトルム司祭が街道に行かれる前ですね」
地元のウェンツス司祭が端末を指差し、クフシーンカは改めて見た。
「はい。現在は、報道規制が敷かれたらしく、小さな記事がほんの僅かしか載りません。この新聞は昨日、事件を話題にした一般信徒の方が、お譲り下さったものなのです」
「レフレクシオ司祭の容態もわからないのですか?」
ウェンツス司祭が端末から顔を上げ、不安の濃い声で聞いた。大聖堂のエリート司祭は、やわらかな微笑で応える。
「重傷でしたが、命に別条はないそうです。私はこの新聞を大聖堂に転送し、レフレクシオ司祭について尋ねたのですが、教団本部は事件そのものを全く把握しておりませんでした」
「大ニュースなのに……ですか?」
クフシーンカとウェンツス司祭が同時に聞くと、大聖堂から派遣された司祭は、重々しく頷いた。
「意図的な隠蔽なのか、混乱の渦中にあって失念したのか、現時点で、私には何も申し上げられません」
……大聖堂に知られては困ることでもあるのかしら?
大聖堂が三人の司祭を派遣した理由が、彼らを亡き者にする為だとすれば、願ったり叶ったりだ。報告を受けて、敢えてとぼけた可能性もある。
「私は、自治区の現状を報告し、アーテルに派遣されたレフレクシオ司祭と連絡して支援に当たるよう、大聖堂から指示されたのですが、まさか、こんな事態が発生しようとは……」
リストヴァー自治区にインターネットの設備がなく、クブルム街道に登ってラクリマリス王国の電波を拾わねばならないのも、誤算だったろう。
三人はそれぞれ悩みを抱え、聖者キルクルスに祈った。
☆あれ以来……「1038.逃げた者たち」→「1079.街道での司祭」「1080.街道の休憩所」参照
☆星光新聞
アーテル版……「261.身を守る魔法」「339.戦争遂行目的」「369.歴史の教え方」参照
ダウンロード版……「289.情報の共有化」「630.外部との連絡」参照
リストヴァー自治区版……「629.自治区の号外」参照
☆区長さんたちがこっそり読むだけ……「276.区画整理事業」「505.三十年の隔絶」参照
☆キルクルス教徒は「魔物などに襲われたら、礼拝堂に逃げなさい」と教えられて育つ……「432.人集めの仕組」参照
☆東教会の礼拝堂でアシーナが吐き出した雑妖は、消えてなくなった……「483.惑わされぬ眼」参照
☆冬の大火で亡くなった人々の【魔道士の涙】……「560.分断の皺寄せ」参照
☆幾つかの術は、呪文を唱えなければ発動しない……「896.聖者のご加護」参照
☆礼拝の最中に侵入した魔獣……「1074.侵入した怨念」参照
☆レフレクシオ司祭は礼拝堂に留まった(中略)混乱に乗じた暴漢に刺されて倒れた……「1075.犠牲者と戦う」参照
☆魔獣は偶然、現場に居合わせた非番の対魔獣特殊作戦群の隊員が倒した……「1103.ルフス再調査」と言う発表。実際は「1076.復讐の果てに」「1077.涸れ果てた涙」参照




