1106.ふたつの契約
クルィーロは、薬師アウェッラーナと二人で、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクに行った。【無尽袋】なしで運べる量には限りがあり、村人に頼まれた薬を一度に全ては作れない。
二人は、アミトスチグマの市場で仕入れた薬の素材を宿に置き、伝言を頼むつもりで呪符屋に向かった。
竜胆の彫刻看板が掛かる扉を開ける。目当ての人はカウンター席の一番奥に座っていた。店番の少年が掠れた声で挨拶する。
「今日は呪符じゃなくてフィアールカさんに用なんです」
クルィーロが言うと、店番は何故かホッとした顔で作業を再開する。運び屋フィアールカは、タブレット端末から顔を上げ、愛想良く応じた。
「あら、久し振り。薬師さんもおはよう。何を運べばいいの?」
「おはようございます。それと似たような端末が欲しいんですけど、幾らくらいするのか、取敢えず代金の相談を……」
「何? ネモラリスを出るの?」
クルィーロはフィアールカの隣に腰掛け、アウェッラーナが店番の少年に声を掛ける。
「個人的な用件ですみませんが、ロークさんに渡していただけますか?」
「急ぎの用? あのコ、今週はずっと、私の用事で出てもらうんだけど」
「いえ、特に急ぎって言う程じゃありません」
アウェッラーナも座ったが、どちらに預けるか迷ったらしく、封筒をカウンターに置いた。
「そう。キレイに治ってたわ。お薬作るの頼んでいい? 素材は後で渡すわ」
「たくさんですか? 村で作業できなくて、時間掛かりますけど」
「今月半ばくらいまでに虫下しを千回分なんだけど、どう?」
クルィーロは大量発注に目を剥いたが、薬師アウェッラーナは大したことなさそうに応じた。
「どこかで丸二日、じっくり作業できれば、間に合いますよ」
「そう。じゃ、来週頭、この近くで宿をとるけど、予定は? 勿論、宿代は経費として出すわ」
「予定って言っても、村の人に頼まれたお薬の調達があるだけで……今、魔獣の群と疫病で足止めされてるんです」
「疫病?」
運び屋フィアールカが、アウェッラーナと同じ緑の眉を曇らせる。
「麻疹です。ワクチンが足りなくて」
「臨時政府とネミュス解放軍が別々に手を打ったんで、もうしばらく待てば、何とか落ち着くと思うんですけど」
クルィーロが、DJレーフと共にネミュス解放軍クリュークウァ支部長から聞いた件を簡単に説明する。運び屋フィアールカは、タブレット端末をつつきながら耳を傾けた。
「ありがと。こっちでも臨時政府の動きは把握したけど、解放軍も動いたとは知らなかったわ」
幾つか質問されて、クルィーロがカピヨー支部長から聞いた話をそのまま答え、薬師アウェッラーナが医療者として補足した。
クルィーロは、消毒薬不足だけが原因だと思ったが、薬師は医療用のマスクや手袋など防疫資材の不足も関係があると言う。更に、大人でも、ワクチン接種から長い時間が経った者は抗体が不足し、発症する場合があると言う。
クルィーロは思いもよらない情報に背筋が凍った。
「今の情報で、端末代、半額に負けていいくらいね。それと、月々の接続料なんだけど、プリペイド式で二カ月に一回、支払カードの情報を入力。こっちも、陸の民の君が情報収集を手伝ってくれるんなら、負けるけど、どう?」
「情報収集ってどこで何をすればいいんですか?」
何となく不安になる。
「あちこちよ。ネットが繋がらない場所で集めた情報は、写真と文章で貯めて、繋がるとこに来た時、まとめて送信。もし、あなたさえよければ、ローク君と一緒にアーテル本土で活動してくれると助かるんだけど」
「アーテルの本土で……」
湖の民フィアールカでは、【化粧】の首飾りを使っても調査に行けない。
半世紀の内乱後、アーテル共和国はキルクルス教国として独立し、科学文明に大きく舵を切った。
キルクルス教団や世界中の信仰を同じくする国々から支援を受け、両輪の国として歩むネモラリス共和国より、ずっと早く復興が進んだ。
地下街チェルノクニージニクの中古屋の品揃えから、バルバツム連邦など科学の先進国から様々な最新機器を輸入するのが窺えた。
アーテル本土、科学文明国の街を生で見られるのは、大きな魅力だ。
……アマナはスゲー心配するだろうな。
あの冬の混乱を思えば、当然だ。何もかも失った衝撃と不安で、妹は長い間、ロクに喋れなくなってしまった。
……でも、俺はもう、あの頃の俺じゃないんだ。
あれから必死に勉強し直して、前よりたくさんの呪文を覚え、元々知っていた術も上手くなった。
何より、イザとなれば【跳躍】で逃げられるようになったのが大きい。
父も、クルィーロの成長を認めてくれた。
「わかりました。俺、やります」
「ありがとう。助かるわ。その恰好じゃ目立つから、来週、アウェッラーナさんと一緒に来てくれる? パッと見でバレない魔法の服と【化粧】の首飾り、用意して来るから」
「助かります」
魔法のマントは、暑さ寒さだけでなく、あの爆発からも守ってくれた。
外見について文句を言っては罰が当たりそうだが、Tシャツの上から魔法のマントを羽織ったこの恰好は、ネモラリス領でも周囲から浮きまくりで、少し恥ずかしかった。
「端末も服と一緒に持ってくるけど、今の内に説明できるトコだけ言っとくわ」
端末の操作方法や使用上の注意、禁忌などを教わり、薬師アウェッラーナも一緒にメモを取ってくれた。
小一時間、フィアールカの端末を見詰めて過ごし、急いで宿に戻る。
……大量の薬作りと、端末使ってアーテルで情報収集か。
恐れより期待が勝り、早く時が経って欲しいと願いながら、魔法薬の下拵えを手伝った。
☆キレイに治ってた……「1095.本格的な治療」参照
☆麻疹です。ワクチンが足りなくて
湖上封鎖の影響で輸入が激減、空襲で医療機関と国内の製薬会社も被害を受けた……「750.魔装兵の休日」「0976.議員への陳情」「1050.販売拒否の害」「1056.連絡の可否は」「1058.ワクチン不足」参照
特許を持つ製薬会社の工場でトラブルが発生……「1058.ワクチン不足」参照
☆臨時政府とネミュス解放軍が別々に手を打った/ネミュス解放軍クリュークウァ支部長から聞いた件……「1090.行くなの理由」参照
☆プリペイド式で二カ月に一回、支払カードの情報を入力……「188.真実を伝える」参照
☆科学文明国の街を生で見られるのは、大きな魅力……メカマニア「0028.運河沿いの道」「0041.安否不明の兄」「270.歌を記録する」参照
☆あの冬の混乱……「0029.妹の救出作戦」「0030.状況を読む力」「0039.子供らの一夜」~「0041.安否不明の兄」参照
☆妹は長い間、ロクに喋れなくなってしまった……「138.嵐のお勉強会」参照
☆あの頃の俺……「0039.子供らの一夜」「0060.水晶に注ぐ力」「0095.仮橋をかける」「139.魔法の使い方」「140.歌と舞の魔法」参照
☆前よりたくさんの呪文を覚え、元々知っていた術も上手くなった……「152.空襲後の地図」「296.力を得る努力」「349.呪歌癒しの風」「354.盾の実践訓練」「454.力の循環効率」「615.首都外の情報」「0948.術を学び直す」参照
☆【跳躍】で逃げられるようになった……「687.都の疑心暗鬼」「740.農村への近道」「778.自覚のない傷」参照
☆父も、クルィーロの成長を認めてくれた……「638.再発行を待つ」「639.一時のお別れ」「687.都の疑心暗鬼」「740.農村への近道」参照
☆あの爆発からも守ってくれた……「710.西地区の轟音」~「720.一段落の安堵」参照




