1105.窓を開ける鍵
「本当に……いえ、あなたには失礼ですが、留学生の彼に言われたみたいで……もしかして、ネモラリスにローク・ディアファネスさんと言うご親戚がいらっしゃいませんか?」
親戚も何も、本人だ。【化粧】の首飾りを外す気はなく、ロークはアーテル共和国のキルクルス教徒で押し通した。
「いえ、身内はみんなアーテルとラニスタ在住なので……そんなに似てるんですか?」
「お顔は全く似ていませんが、声と話し方がそっくりで」
「ちょっと待って! 留学生って、ネモラリス人なの?」
クラウストラが驚いてみせる。
「はい。異教徒の中にあって信仰を守り続けたご家庭で育った方です。試練の中で過ごした彼は、神学校で学ぶ我々よりずっと深く、信仰の本質を理解していらっしゃいました」
「その留学生……」
クラウストラが、立入禁止のロープに囲まれた礼拝堂跡地を恐ろしげに見遣る。
神学生ファーキル・ラティ・フォリウスは安心させようと作った微笑を向けた。
「いえ、彼は冬に帰国なさいました。アーテルの空爆は止みましたし、きっとお元気ですよ」
北の空へ向けた彼の目には、憧れに似た輝きが宿る。
ルフス神学校に留学生として潜入する間、ファーキル・ラティ・フォリウスとはあまり話す機会がなかった。
……俺のこと、こんな目で見てたのか。
「信仰の本質って……あ、質問ばっかりでごめんなさい。暑いですし、お時間よろしければ、どこかでお茶しながらゆっくりお話しませんか?」
クラウストラの積極的な誘いに神学生だけでなく、ロークも驚いた。確かに真夏の屋外で長時間話し込んでは、汗ひとつかかないクラウストラは怪しまれる惧れがある。
「い、いえ、こちらこそ、気が利かなくてすみません。暑かったでしょう」
神学生ファーキルが恐縮する。
ロークは腕時計を見た。もうすぐショッピングモールの無料送迎バスが来る。
「俺たちは別に急ぎの用とかないんで大丈夫ですよ。学食って部外者でも入れてもらえるんですか?」
「普段は利用できますが、夏休みと冬休みは解放しないんです」
神学生ファーキルが申し訳なさそうに言って門へ向かい、二人もついて行く。丁度、ルフス神学校の敷地を出たところへ無料のバスが来た。
神学生は、広大なショッピングモールを迷いのない足取りで進む。
二人が案内されたのは、奥まった場所の喫茶店だ。静かな一画で、落ち着いた佇まいは高校生が入るには敷居が高い。
「商談とかで来る人が多くて、個室があるんですよ」
「でも、高そうですよ?」
「私たち、お小遣い、そんなには」
「親戚の店なので、心配しないで下さい」
神学生ファーキルが木製の扉を開けると、代用品ではない本物の珈琲の香が流れ出た。
「いつものお席、空いておりますよ」
従業員が愛想良く迎え、何も言わないのに場違いな少年少女三人を奥の個室に通した。カウンター席とテーブル席の間を抜け、扉が並ぶ通路に入る。奥から二番目の個室が彼の定位置らしい。
客として招かれた二人は、神学生ファーキルに注文を任せて席に着く。
ロークは王都ラクリマリスで泊まった宿のティーサロンを思い出した。
「私はよく、ここに何人かで集まって、神学校では話せない信仰のことや、カクタケアのことを話すんです」
「信仰の話なのに、神学校で言えないんですか?」
クラウストラが目を丸くする。
ロークも、そんな集まりがあったなどとは初耳だ。
……スキーヌム君とばかり付き合わないで、そっちも繋がっとけばよかったな。
本物の珈琲だけでなく、クラウストラの前にはチーズケーキまで置かれた。
「ん? お部屋、違いますよ」
「いえ、彼からでございます」
給仕は、経営者の親戚を掌で示すと、優雅な動作で一礼して退室した。
「どうぞ、私からの奢りです」
「いいんですか?」
クラウストラが驚いた目で神学生ファーキルを見る。
戦争の影響で食糧価格が暴騰した。
報道規制で正式なキュースは少ないが、SNSではデモや暴動の動画や書き込みを見ない日がない。当局は発見次第、SNSの情報を削除するが、追い付かない勢いだ。
「ありがとうございます。私、ファクスって言います。折角ですから、三人で分けっこしませんか?」
「光明さん……素敵なお名前ですね」
神学生ファーキルは、卓上の呼び鈴を鳴らして、フォークと取り皿を持って来させた。
「本当の信仰って、最近こっそり流行ってるあの歌と関係あるんですか?」
「流行に疎いもので……どんな歌ですか?」
神学生がファクスと名乗った魔女クラウストラに聞き返す。
ロークは見守ることにして、珈琲をちびちび啜った。
「瞬く星っ娘の行方不明になった四人が歌ってるんですけど、知りません?」
「いえ、全く」
「平和の花束って言う新しいユニットを作って、ランテルナ島のあちこちのお店でCD売ってますよ」
「では、脱退メンバーがランテルナ島に居ると言う噂は……」
「さぁ? 直接見たって言うハナシは出てませんけど、CDに特典画像のアクセスキーがついてて、撮影場所の憶測はいっぱいありますね」
「アルキオーネたちは脱退してからも、信仰の歌を歌い続けてるんですね」
神学生が明るい声で聞いたが、クラウストラは難しい顔をしてみせた。
「それは新しいの一曲だけで、後は半世紀の内乱前の体操の歌と、天気予報の歌と、何かの百周年記念の歌でしたよ」
「ランテルナ島……少し遠いですけど、確実にカルダフストヴォー市で手に入るんですよね?」
「地下街の方が安いって、買った後で知りましたけど、あちこちのお店で売ってましたよ」
クラウストラは、ラジオ番組の海賊版CDであることや、ユアキャストのアクセス規制を突破する違法アプリが仕込まれたことなどを伏せて情報を与える。
……欲しそうだけど、夏休みも神学校の宿舎に居るんじゃ、門限間に合わないよな。
神学生ファーキルは、珈琲を一気に半分くらい飲むと、大きく息を吐いてロークに視線を定めた。
「申し遅れまして失礼しました。私、ルフス神学校聖職者クラス高等部のファーキル・ラティ・フォリウスと申します」
「丁寧にありがとうございます。こちらこそ、ご挨拶が遅れてすみません。ファクスの従弟ガレチャーフキって言います」
咄嗟に設定を練って握手に応じる。
「ガレチャーフキさん、初対面で大変厚かましいお願いをして恐縮ですが、アルキオーネたちの新作CD、宿舎にお送りいただけないでしょうか?」
ズボンのポケットから革財布を出し、高額紙幣を一枚卓上に置いた。
CD三枚には少し足りないが、何枚買わせる気かと顔を見る。
「CD一枚と往復の交通費と送料です。足りなければおっしゃって下さい。残りは手間賃として……」
「多過ぎますよ。ウチの親は開戦後のアレで失業して、学校をやめてアルバイトしてますけど、これは多過ぎです。半分くらいで大丈夫ですよ」
「大変なのですね。それならもっと……」
「初対面で経済的に余裕がない人におカネを預けて、持ち逃げされるとは思わないんですか?」
ロークは呆れたが、誠実な視線を返された。
「私は、ガレチャーフキさんがそんな人ではないと信じます」
結局、夏休み中に送ると約束して、少し雑談して別れた。
☆ルフス神学校に留学生として潜入……「742.ルフス神学校」~「744.露骨な階層化」「762.転校生の評判」~「766.熱狂する民衆」参照
☆汗ひとつかかないクラウストラ……「1069.双頭狼の噂話」参照
☆ショッピングモールの無料送迎バス……「764.ルフスの街並」参照
☆王都ラクリマリスで泊まった宿のティーサロン……「565.欲のない人々」参照
☆最近こっそり流行ってるあの歌……「0987.作詞作曲の日」「1018.星道記を歌う」参照
☆ラジオ番組の海賊版CD……AMシェリアクの特番「花の約束」「1014.あの歌手たち」~「1018.星道記を歌う」参照
☆ユアキャストのアクセス規制を突破する違法アプリ……「1001.蠍のブローチ」「1006.公開済み画像」「1026.関心が異なる」参照




