1104.隠せない腐敗
「ヂオリート君は、ある神学生の代わりに裏口入学で来たんです」
「えっ?」
ロークは、神学生ファーキルがどこでどう知り、何故それを【化粧】の首飾りで部外者に姿を変えた自分に教えたのか、理解できなかった。
「ヂオリート君が中等部から入る代わりに追い出された神学生は、当時、実家の事業が傾いてしまって、再建資金と引換えに神学校を去ったのです」
「おカネで学籍を……」
ロークが反応すると、神学生は重々しく頷いた。
「おカネなんかと引換えに聖職者の道を断たれてしまったんですね」
「はい。悔しいと嘆いていました」
クラウストラが同情してみせると、神学生ファーキル・ラティ・フォリウスは我が意を得たりと頷いた。
彼女がロークと同じ疑問を口にする。
「でも、どうして部外者の私たちにそんなことを教えてくれるんですか?」
「真実を伝える為です」
「真実?」
二人は揃って首を傾げた。
ロークは、ヂオリート本人から裏口入学の件を聞いたから、それが事実だと信じられるが、全く何も知らない者が聞けば、この少年が本当に神学生かどうかさえ、信じてもらえない可能性が高い。
「ルフス光跡教会の腐敗も、色々噂になっています。司祭が信徒の女の子に手を出した件など、穢らわしい闇も多くて、被害者やその家族などから教会を批難する声が出ました」
「えっ? 女の子って……」
驚いて言葉を失ったロークの代わりに、クラウストラが話に乗った。
「じゃあ、あの噂ってホントだったんですか?」
「教団が揉み消したので、まだ公にはなっていません」
どうやら、ポーチカとは別件で、少女を対象にした事件もあるらしい。
「はい。それでもう何年も前から礼拝に行く人が減って……特に女の子が居るご家庭の方々が行かなくなったのですが、大聖堂からレフレクシオ司祭が派遣されてから、毎回、礼拝堂は満員で、入り切れないくらい信徒が殺到して……」
「また、被害があったんですか?」
ロークが聞くと、神学生は悲痛な面持ちで言った。
「それはまだ、わかりません。ただ、ヂオリート君が行方不明になったのは……レフレクシオ司祭を刺したのは、何か思うところがあったからでしょう」
「そのヂオなんとかって神学生は、今どうしてるんです?」
クラウストラが当然の疑問を発すると、神学生ファーキルは頷いた。
「逮捕されました。お祖父さんはショックで心臓発作を起こして亡くなって、お母さんはお祖父さんのお葬式の最中に自殺して、お父さんはマスコミから姿を隠す為にどこかへ行ってしまいました」
事実なのか憶測混じりの噂程度なのか。情報の確度は不明だが、ロークは、神学生ファーキルの事情通ぶりと、口の軽さに半ば呆れた。
「どうしてそんなコトまで……?」
「先程申し上げた通り、真実を伝える為です。レフレクシオ司祭は、教団がずっと隠し続けて来たことを礼拝で信徒のみなさんに明かして下さいました」
「隠し続けて来たこと?」
ロークが目だけで周囲を窺い、小声で聞く。神学生ファーキル・ラティ・フォリウスは、背筋を伸ばして答えた。
「聖典の真実……聖者様のお言葉の真の意味、本当の信仰です」
「本当の信仰って……?」
クラウストラが首を傾げる。どこまで計算なのか不明だが、女子高生のフリをする彼女は、何気ない仕草まで可愛らしかった。
神学生ファーキルは、更に頬を上気させた。
「聖典を学べば学ぶ程、現実の世の中……キルクルス教社会との差に違和感が募りました。レフレクシオ司祭は、ずっと抱き続けた疑問を解き明かして下さったのです」
私服姿の神学生は、熱を籠めて語る。
「聖者様が目指したのは、魔術の完全排除や魔法使いの絶滅ではありません」
「えっ?」
二人が驚いてみせると、神学生は献花台を見遣って言った。
「目を醒まし、魔術を決して悪用することなく正しく用いるようにと警めを説かれたのです」
「目を醒ます警め……三界の魔物の件で懲りなさいってコトね?」
クラウストラが神学生の認識を確認すると、彼は深く頷いた。
「考えてもみて下さい。聖者様が『魔力を持つ人は、生まれつきの罪人だから、差別しなさい』なんて、おっしゃる筈がありません」
「……そう言われてみれば、そうね」
力ある民のクラウストラが少し考えるフリをして頷く。
「そう思いますよね。今の腐敗の原因は、後世の人々が聖典の解釈を曲げたせいだと思えてならないのです」
ロークは、王都ラクリマリスの宿で、移動販売店の仲間ファーキルとキルクルス教の信仰について語り合った夜を思い出した。
彼はアーテル共和国で生まれ育ち、現実の世界と信仰の乖離に違和感を覚え、政府の検閲や規制を強行突破した。違法な手段で閲覧したインターネットで、外の世界や、魔法使いなど属性の異なる人々の価値観に触れ、嘘に埋もれた真実を探す旅に出たと言う。
今も、旅路の途中で得た仲間と共に「真実に触れられる」情報を発信し続ける。
「魔力を持たない人々は、三界の魔物を創造したと言う原罪を負わなかっただけで、何をしても許される存在ではありません」
「無闇に許しを与えるべきではないってコトですか?」
ロークが聞くと、神学生は二人を見詰めて口を閉ざした。
献花台の掲示板で、たくさんのメッセージが夏の日を浴びる。
「少なくとも、被害者や遺族が事件の衝撃で混乱して、心の整理がつかない内から、周囲の者が“加害者に無条件の許しを与えよ”と圧力を掛けるのは、好ましくないと……身を以て知りました」
礼拝堂跡地に向けた神学生の顔から、表情が消える。
ネモラリス憂撃隊の爆弾テロにで、建物と多くの神学生の生命が失われた。
ファーキル・ラティ・フォリウスは軽傷で済んだが、同じ名のファーキル・パークシルスは恐らく、科学の治療だけでは視力を失うだろう。ウルサ・マヨル・セプテムたち重傷者は、退院の目途も立たない。
……セプテントリオー呪医やアウェッラーナさんなら、すぐ治せるのになぁ。
ロークは移動放送局プラエテルミッサの報告書で、彼らが首都クレーヴェルで星の標が起こした爆弾テロに巻き込まれた件を読んだ。
薬師アウェッラーナの尽力で、クルィーロたちの父とレノ店長は、その日の内に骨折を癒された。王都ラクリマリスの呪医は、エランティスの千切れた足を元通り歩けるように治し、アマナの鼓膜もすぐに修復してくれたと言う。
「入院中ずっと……ネモラリス人のテロリストが何故、わざわざアーテル軍の基地から盗んでまで、爆弾を使って礼拝堂尾を爆破したのか、考えました」
「ニュースで見ましたけど、それ、ホントなんですか?」
ロークが聞くと、神学生ファーキルは、ゆっくり息を吐いて答えを声にした。
「その真偽についても、じっくり考えて、私自身は本当だと確信しました」
「どうしてそう思ったんですか?」
「彼らの目的は、アーテル軍がネモラリスの民間人に何をしたか、知らしめることでしょう。半世紀の内乱が終わって、ようやく手に入れた平和を壊したのは、紛れもなくアーテルです」
「ネモラリス人を憎いと思いますか?」
クラウストラが、少女の外見に合わせて可愛く小首を傾げる。その瞳には、負傷者への憐憫が見えたが、本心なのか演技なのか判然としなかった。
「少なくとも、彼らが犯行に及んだのは、アーテル政府が戦争を起こしたからだと思います。でも、夜になるとあの日を思い出して……」
ファーキル・ラティ・フォリウスは、礼拝堂跡地から視線を逸らして俯いた。
「学生さん……幸いへ至る道は遠くとも、日輪が明るく照らし、道を外れぬ者を厄より守る。道がひととき闇にあろうとも、月と星々の導きを見失わずば、夜明けに至る……憎しみの闇から出るのに時間が掛かるのは当然です」
ロークは、神学生の袖から覗く包帯を見詰めて続けた。
「闇の中で声が聞こえても、誰の声に従えば、光のある場所に戻れるか、わかりません。導いてくれる人が居なくて手探りで歩くなら、光に近付けたり、逆に遠ざかったり……迷わない人の方が少ないでしょう」
神学生は顔を上げ、ロークをまじまじと見た。
☆ヂオリート君は、ある神学生の代わりに裏口入学で来た……「925.薄汚れた教団」参照
☆ロークは、ヂオリート本人から裏口入学の件を聞いた……「923.人捜しの少年」~「925.薄汚れた教団」参照
☆王都ラクリマリスの宿で移動販売店の仲間ファーキルとキルクルス教の信仰について語り合った夜……「568.別れの前夜に」「569.闇の中の告白」参照
☆献花台の掲示板で、たくさんのメッセージ……「0954.献花台の言葉」参照
☆ネモラリス憂撃隊の爆弾テロ……「868.廃屋で留守番」~「870.要人暗殺事件」参照
☆ファーキル・パークシルスは恐らく、科学の治療だけでは視力を失う……「910.身を以て知る」参照
☆ウルサ・マヨル・セプテムたち重傷者……「908.生存した級友」「909.被害者の証言」参照
☆首都クレーヴェルで星の標が起こした爆弾テロに巻き込まれた件……「710.西地区の轟音」~「720.一段落の安堵」参照
☆エランティスの千切れた足を元通り歩けるように治し……「735.王都の施療院」「736.治療の始まり」「759.外からの報道」「760.古道での再会」参照
☆アマナの鼓膜……「725.アマナの怪我」参照
☆平和を壊したのは、紛れもなくアーテル……宣戦布告直後に都市への無差別爆撃を開始「0078.ラジオの報道」参照




