1100.議員への質問
ラズートチク少尉が、パジョーモク議員の腕を掴んで【強制】の呪文を唱えた。
「は……離せ! 今度は何をしたッ?」
少尉は無表情に手を離し、力ある言葉で命じた。
「パジョーモク、【明かし水鏡】に右手を手首まで漬けて、その手を動かすな」
下手な操り人形のように右手が上がり、金属製の円い器に手首まで浸す。水の動揺はすぐに止まったが、パジョーモク議員は更に動揺した。
「手が勝手に! 何をしたッ?」
「この術は半日程度、単純な命令に従わせるものです。力ある民なら、真名の支配に加え、魔力での力比べになりますが、相手が力なき民でしたら、この通り、呼称でもなんとかなります」
パジョーモク議員の顔から血の気が引く。
ラズートチク少尉が力ある言葉で命じると、隠れキルクルス教徒の国会議員は脱力したようにパイプ椅子に腰を落とした。
同時に捕えたラクリマリス人のシストスは、別室で狩人に扮した正規兵のお茶会に参加中だ。
後で彼にも同じ尋問を行うが、今は世間話のフリで穏便に情報を吐かせる。
少尉が力ある言葉で、質問に答えよと命じた。
「危害を加えるつもりはありません。もっと楽にして下さって結構ですよ。肩が凝るでしょう」
ラズートチク少尉が猫撫で声で言ったが、パジョーモク議員は全身に力を入れて硬直したままだ。
魔装兵ルベルは、怯えきった隠れキルクルス教徒を三脚を取り付けたタブレット端末越しに見詰める。少尉とルベルは【化粧】の首飾りで顔を変えてあるが、念の為、少尉の姿が映らない角度から動画を撮影した。
「私には、嘘を禁じる程の力がありませんのでね。【明かし水鏡】を使いますが、どうか、お気を悪くなさいませんよう」
殊更に丁寧な物言いなのは、後で他国に開示する可能性が、全くないとは言い切れないからだと教えられた。
ルベルには、どんな場合に開示するのか、皆目見当がつかない。言われた通り、タブレット端末を操作して、正常に動画が記録されるのを確認した後は、一言も発さず、尋問を見守った。
「では、最初の質問です。あなたの呼称と職業を教えて下さい」
「私の呼称はパジョーモクだ。職業は、ネモラリス共和国の国会議員」
湖南語の問いに答えた声は平板だが、出所の唇は蒼白で、恐怖に見開かれた目が、民間の駆除業者に扮したラズートチク少尉に注がれる。
ルベルは【明かし水鏡】を見たが、器に満たされた水はゼラチンで固めたように動かなかった。
……そっか。質問の条件を指定しなかったから、パジョーモク議員の理解できる言葉で聞けば、誰にでも答えるんだな。
ラズートチク少尉は、更に湖南語で質問を続ける。
「質問です。あなたの所属政党と選挙区を教えて下さい」
「私の所属政党は秦皮の枝党、選挙区はリャビーナ選挙区だ」
彼自身の意志では口が答えるのを止められない。
この様子では、力なき民の彼が全力で頑張ったところで、嘘を吐くのも難しいように思えた。
「ネモラリス島東端の都市、リャビーナですか。質問です。あなたが半世紀の内乱後、アーテル共和国の領内に滞在したのは、印暦何年の何月何日から印暦何年の何月何日までか、すべての期間を教えて下さい」
質問と答えが不自然な言い回しなのは、術で強制できる形式に決まりがあるからだろう。
パジョーモク議員の口が動き、九年前から毎年、一日二日の期間を並べる。
直近は、三カ月前からルベルたちが捕えた日までを告げた。
……えっ? そんな前から? どうやって?
「質問です。ネモラリス共和国からアーテル共和国まで、あなたはどんな交通手段と移動経路を使ったか、教えて下さい」
パジョーモク議員は脂汗を垂らすが、彼の口は止まらなかった。
九年前から二年前までは、自宅から自家用車でリャビーナ港、魔道機船でアミトスチグマ王国の夏の都へ渡る。そこから更に魔道機船を乗り換えてペタロン市に渡り、ペタロン国際空港から旅客機でルフス空港に移動したと言う。【明かし水鏡】は相変わらず動かない。
毎年、アミトスチグマ王国から北隣のジゴペタルム共和国を経由して、夏季休暇の時期にアーテル共和国の首都に通ったらしい。
二年前からは、リャビーナ港を揚力式複合支持型水中翼船の超高速貨物船で出発し、対岸のディケア港から、倉庫会社社長の自家用車で空港まで乗せてもらい、旅客機でルフス空港に降り立つ経路に変わった。
ディケアの内戦が終結し、空港が再開された時期と一致する。
……そんな前から?
パジョーモク議員の広い額に汗が滲み、薄茶色の髪が貼り付いた。
「質問です。あなたは印暦二一八二年に、アーテル共和国領を何の目的で訪れたか、教えて下さい」
「私が、印暦二一八二年にアーテル共和国領を訪れた目的は、ルフス光跡教会の炎暑の祈りに参加する為だ」
「質問です。炎暑の祈りとはどのようなものか、教えて下さい」
「炎暑の祈りとは、キルクルス教の夏祭だ」
パジョーモク議員は左手で口を押さえようとしたが、顔の手前で止まり、答えを全く止められなかった。
「質問です。あなたがキルクルス教の夏祭に参加した理由を教えて下さい」
「私が、キルクルス教の夏祭に参加した理由は、私自身が聖者キルクルス・ラクテウス様に祈りを捧げる為だ」
「質問です。あなたはキルクルス教徒なのですか、教えて下さい」
「そうだ。私はキルクルス教徒だ」
水に手を入れた者の言葉の真偽を示す【明かし水鏡】は、微動だにしない。発言に虚偽があれば、水面は牙を剥くように波立つが、波紋ひとつ立たなかった。
彼が所属する秦皮の枝党は、フラクシヌス教の主神を崇める信者団体が支持母体で、議員も全て主神フラクシヌスの信徒だ。僅かに湖の民も居るが、大部分が陸の民で、魔力の有無は問わない。信仰と民主主義の政体を望む人々の集まりだ。
ラズートチク少尉は、一年毎に同じ質問を繰り返したが、毎年、同じ時期の訪問と目的が語られた。
「質問です。あなたは、いつ、どのようにして、何故、キルクルス教徒になったのか、教えて下さい」
「私がキルクルス教徒になったのは、二一八二年三月、ラクリマリス王国に外遊した際、ホテル内のカフェに設置されたパソコンでキルクルス教団の公式サイトにアクセスし、感銘を受けたからだ」
議員の蒼白な唇は止まらない。
「キルクルス教は、我々力なき民を無原罪の清き民として尊重し、弱者だと見下さん。偽名でタブレット端末を購入し、プリペイド契約で回線を使い、聖典をダウンロードした。心の中では、この時点で改宗したも同然だったが、信仰の誓いを行い、正式に改宗したのは二一八三年だ」
「質問です。信仰の誓いには一人で訪れたのですか? それとも、誰か他のネモラリス人のキルクルス教徒にアーテル領の教会まで同行してもらったのか、教えて下さい」
「私は、ネモラリス人のキルクルス教徒にアーテル領の教会まで同行してもらって、信仰の誓いを行った」
「質問です。あなたが信仰の誓いを行った教会の名称と、同行したネモラリス人のキルクルス教徒が何者か、教えて下さい」
「私が信仰の誓いを行った教会の名称は、ルフス光跡教会だ。同行したネモラリス人のキルクルス教徒は、秦皮の枝党のパドスニェージニク議員で、彼の導きで誓いの儀式を行った」
魔装兵ルベルは、彼の熱っぽい声に耳を疑った。
……大物議員じゃないか。
パドスニェージニクは、政治に関心が薄い田舎の青年にも名を知られたベテラン国会議員だ。
ラズートチク少尉は顔色ひとつ変えず、同じ調子で続けた。
☆真名の支配……「0015.形勢逆転の時」「920.自治区の和平」参照
☆【明かし水鏡】……仕様「564.行き先別分配」「622.質問のまとめ」、使用例「623.水鏡への問い」参照
☆ルベルたちが捕えた日……「1071.ルフスの礼拝」~「1078.交渉材料確保」、捕獲は「1078.交渉材料確保」参照
☆そんな前から……「0977.贈られた聖典」参照
☆揚力式複合支持型水中翼船の超高速貨物船……「727.ディケアの港」参照
☆信仰の誓い……「592.これからの事」「810.魔女を焼く炎」参照




