1098.みつけた目標
「食中毒予防のふたつ目は、原因になる菌とかを殖やさないこと。腐ってなくても食中毒を起こす菌が増えてたら、病気になるからね」
「腐ってなくてもダメなんですか?」
カーラムが意外そうに疑問を漏らす。
「例えば、ボツリヌス菌は、十個くらいでも食中毒を起こすし、そこから増えれば、人間の大人が死ぬレベルの毒を出します」
頷いたのは、ピナと家庭科の先生だけだ。
田舎の中学生とモーフは、震え上がった。
……キンって、目に見えねぇくらいちっせぇ生きモンなんだろ?
つい最近、小学校の理科の教科書で見た。知らなければ、みんなと一緒に怖がることさえできないところだ。モーフは「勉強すれば、何が危ないのかわかるようになる」と実感できた。
「今の時期、生モノの類は特に早く食べた方がいいです」
「腐るまで放っておいたら、それを扉に魔物が来るかもしれませんし、雑妖も涌きますからね」
家庭科の先生が付け足すと、みんなは真剣な顔で頷いた。
もっさりした粉が、だんだんまとまって捏ねやすくなる。
「食中毒予防のみっつ目は、加熱です。熱に弱い細菌やウィルスは死ぬからね」
……何だ。焼いて食やいいんじゃねぇか。
モーフだけでなく、みんなの緊張も緩んだ。
「でも、強いのは百度で六時間以上沸騰させても死なないし、菌が死んでも、菌が出した毒素が残るから、先に言った通り、菌を付けないことと、殖やさないことは、しっかり守って下さい」
油断を見透かされた気がして、再び緊張感が高まる。
ピナ一人が表情を変えなかった。
……プロだから、店長のハナシ、全部わかってんのか。すげぇ。
モーフは、リストヴァー自治区に居た頃、レノ店長が言ったことを気にする余裕さえなかった。食べ物があれば、腐る前になくなる。汚れた手で触るなと言われたところで、手を洗うキレイな水自体がなかった。
加熱しようにも、薪がない日はどうしようもない。そもそも、手に入る生モノはシーニー緑地で摘んだ草くらいのものだった。
何か食ってハラを壊しても、医者には掛かれない。
すべてが「運」の一言で済まされ、原因に目を向ける発想がない。
況してや、それが防げるものだとは夢にも思わなかった。
……そう言や、みんなと一緒に居るようになってから、一回もハラ壊してねぇ。
食べられる草や魚から水を抜くのは魔法使いたちだが、その保存と管理はずっとレノ店長とピナで、ピナの妹ティスも小学生なのによく手伝った。
パン屋の兄姉妹は力なき陸の民だ。
三人は魔獣や暴漢と戦う力はないが、プラエテルミッサのみんなを飢えと食中毒から、ずっと守ってくれたとわかり、モーフの胸にあたたかいものが満ちた。
レノ店長が、枯れ枝を組んで重ね、周囲に石を並べて隣に円を描く。
エプロンのポケットに手を突っ込んだのは、【魔力の水晶】を握るからだろう。円の中心に枯れ枝を立て、力ある言葉で何か言うと、小さな火柱が上がった。
「薪は、空気の通り道ができるように組んで、真ん中は燃えやすい細い枝とか古新聞、それから太い枝。火は、下から点けて、上に燃え広がらせます。……こんな感じで」
魔法の【炉】から隣の薪の山へ、枯れ枝に点けた火を移した。
ふたつ括り女子スモークウァが、緑の瞳を輝かせる。
「こう言う焚火って初めてー」
「湖の民のみんなはひとつずつ、焚火を作る練習をして下さい」
家庭科の先生が宣言する。
モーフたちは散々実践してきたので除外された。湖の民の中学生たちは、レノ店長が作った焚火を見ながら動く。
「呪文、ちゃんと覚えてきましたね? 一人一回ずつ火を熾して下さい」
緑髪の生徒たちは、地面に枯れ枝で円を描き、自信なさそうに呪文を唱えた。
三ツ編女子フヴォーヤが、難なく火を作って一番に火を移す。ふたつ括り女子のスモークウァも首を傾げて「あれっ? こうだっけ?」などと言いながらも、三回唱え直してどうにか火を点けた。
男子のカーラムは覚えられなかったらしく、とうとう家庭科の先生に聞いた。
先生がエプロンのポケットからメモを出して男子生徒に渡してお小言を言う。
「何かあった時、困りますからね。放課後、暗記してちゃんとできるようになるまで、居残りして下さい」
「……はい」
……思ってたより厳しいんだな。
「小麦は生では食べられません。今回は、取敢えず食べられる状態にするだけなので、味は期待しないで下さい」
レノ店長がアルミホイルに油を垂らして傾け、二ツ折りにして満遍なく行き渡らせる。別の袋を手に被せて生地を千切り、片手で器用に丸めて、ホイルに貼り付けた。石に乗せて平らに伸ばし、ホイルで蓋をして焚火を囲む石に立て掛ける。魚の干物もホイルに包んで同じように置いた。
モーフは、ゼルノー市の焼け跡で食べた焼魚を思い出し、何とも言えない気持ちでピナを見る。
魚の包み方を説明する横顔は、いつも通りだ。
……プロだもんなぁ。
レノ店長は数日前、全校生徒の前でパン屋の仕事を語った。
平和だった頃の椿屋一家が一日をどう過ごしたか、レノ店長がどうやってパンの焼き方を覚えたか、パン屋の仕事に関係する法律など難しい話も少しあった。
レノ店長は、空襲で店を焼かれたことにしてくれた。
少年兵モーフは胸が押し潰され、涙が一筋こぼれた。
ピナにみつからないよう、こっそり拭う。
あの日の激しい憎悪はどこかに消え、今のモーフにあるのは苦い後悔だけだ。
レノ店長もピナも小学生の妹も、モーフたち星の道義勇兵に恨み言ひとつ、言わなかった。
いっそ憎まれた方が楽だが、同時に、ピナから憎まれるのは辛いとも思う。
……いつか、ピナの店、手伝いてぇな。
少年兵モーフは、星の道義勇軍の一員として、ゼルノー市襲撃作戦に加わった。
メドヴェージが運転するピックアップトラックの荷台から機関銃を撃ち、火炎瓶を投げた。
ピナたちのパン屋はスカラー区にあったらしい。アーテル軍の空襲より先にモーフたちのせいで焼けただろう。
……平和になったら、店、建て直すの手伝って、それから、ピナたちが許してくれたら、店も手伝いてぇ。
給料は、料理で出る野菜屑やパン屑だけでいい。それでもきっと自治区に居た頃より、いい物を食べられるだろう。
少年兵モーフは罪滅ぼしに働いて、一緒に旅した間に受けた恩を返したい、せめて、足を引っ張らないように勉強したいと改めて思った。
家庭科の先生が【操水】で湯を沸かし、タマネギを茹でて解してスープ作りを実演してみせた。
湖の民の生徒たちも、見様見真似で何とか作る。今度は、カーラムにもできた。
レノ店長が、フライパンで同じものを作り、スプーンとフォークでタマネギを解した。
「災害時、味は二の次。一番大事なのは食中毒を出さないこと。次が、身体を温めるものを食べられること。美味しく作れる条件が揃ってるなら、なるべく美味しく作ること」
「でも、味は二の次なんですよね?」
フヴォーヤが首を傾げる。レノ店長は頷いた。
「安全と体温保持の次に美味しさ。あったかい物や美味しい物を食べると、ホッとして緊張が解けるからね。ストレスでガチガチに固まってると、正常な判断ができなくなってしまうんだ」
「三番目に大事ってコトなんですね?」
「そう言うコト」
少年兵モーフは、放送局の廃墟で食べさせてもらった「ちゃんとした料理」を思い出し、ソルニャーク隊長が護送車で言った意味も同時に理解した。
……あれって、そう言う意味だったのか。
放課後、カーラムは本当に居残り勉強した。
校庭の隅で呪文を唱えるが、なかなか火が点かない。
一度家に帰ったフヴォーヤがまた来て、実演してみせる。何度か繰り返してやっと、カーラムも火を点けられた。
フヴォーヤが笑顔で校舎に駆け込み、家庭科の先生を連れて来た。
……やり方を勉強して、コツ教わって、練習すりゃ、大抵のことはできるようになるモンなんだな。
モーフは荷台の端から奥に入り、国語の教科書を手に取った。まずは、これをちゃんと読めるようになれば、他の教科もわかるようになるだろう。
勉強の具体的な目標ができて張り切った。
☆ゼルノー市の焼け跡で食べた焼魚……「0097.回収品の分配」「0098.婚礼のリボン」参照
☆空襲で店を焼かれたことにしてくれた/ゼルノー市襲撃作戦……本当の原因は星の道義勇軍のテロ「0011.街の被害状況」「0013.星の道義勇軍」参照
☆放送局の廃墟で食べさせてもらった「ちゃんとした料理」……「124.まともなメシ」参照
☆ソルニャーク隊長が護送車で言った意味……「0046.人心が荒れる」参照
【余談】
※ 十個くらいでも食中毒を起こす
ボツリヌス菌だけでなく、ノロウィルスや病原大腸菌など、十個くらいの少量でも食中毒を起こすのは他にも色々あります。
多数で食中毒を起こすタイプの菌も、増殖速度が速いものは危険。
カンピロバクターとか三時間放置で元の一万倍に増殖。しかも百個くらいの少量でも発症。「鶏肉は足が速い」ってそう言う意味だったのかって言う。




