1097.災害時の料理
短髪女子メーラは、もうすぐ夏休みだからと言うことで、兄に付き添って王都ラクリマリスの神殿付属施療院に行った。
湖の民の同級生たちは、何事もなかったかのように授業を受ける。
少年兵モーフは最初、村の子を薄情な奴らだと思ったが、すぐにそうではないと気付いた。授業は普通に受けるが、休み時間には空席をチラ見する。他の奴と目が合うと、お互いに何か言いたそうにして、結局、何も言わなかった。
……ここで何か言ったって、早く退院できるワケじゃねぇもんな。
ピナも出発の前日にメーラを励ましただけで、今は何も言わない。
メーラの兄が入院したのは、ピナの妹ティスと同じ施療院だ。
……あいつがピンピンして走り回ってんだから、大丈夫だろ。
ピナが何も言わないので、モーフも余計なコトを言わないよう、口を固く閉ざした。
午前中最後の授業は調理実習だ。借りたエプロンを着け、レノ店長が書いた説明書と筆記具、食材を持って校庭に出る。
秦皮の木陰に入ると、家庭科の先生が早速、指示を出した。
「カーラム君とモーフ君、これを広げてお水の瓶を四隅に置いて下さい」
逆らう理由はない。
みんなで青いシートに腰を降ろし、レノ店長の話を聞く。
食材は、小麦粉と塩、タマネギ、昨日の授業で作った魚の干物で、調理器具らしきものはフライパンしかない。
「今日は、災害か何かのせいで【炉盤】とか便利な道具がなくなった想定で、きちんとしたご飯を作る訓練をします」
「みなさん、宿題に出した【炉】の呪文、おさらいしましたね?」
村の奴らは微妙な顔でだんまりだ。三ツ編女子のフヴォーヤだけが自信に満ちた顔で頷く。
レノ店長がいつにも増して真剣な顔で言った。
「火があるのとないのでは、生き延びられる確率が全然違います。寒さから身を守って凍死を防いで、食べ物を加熱すれば、食べやすくなるだけでなく、食中毒も防げます。明るくなって見通しが利くし、雑妖くらいなら避けられます」
「店長先生、寒さは服で防げますよ?」
男子のカーラムが余計な口出しをしたが、レノ店長は工場長のようにブチ切れたりせず、さっきと同じ声で言った。
「災害とかで便利な道具がなくなった想定です。その服も、破れたら【耐寒】とかの効力がなくなりますよね。ネーニア島で実際、湖の民でも火傷したり、酷いコトになった人を大勢見ました」
実体験を語るレノ店長の言葉は、平和ボケした田舎の中学生たちに重くのしかかった。
「今日は、【炉】の術から普通の焚火を作って、それで調理します」
四眼狼の群がうろついて、村の外は危ない。
……この薪、どうやって集めたんだ?
秦皮の根元には、薪の束と手頃な石がたっぷり積んである。
モーフは質問しようか迷った。
「今回は、石と薪を畑仕事に出たみなさんにお願いしましたが、四眼狼の駆除が終わったら、今度はみなさんに拾ってもらいます」
緑髪の家庭科教諭が言うと、同じ髪色の生徒たちは神妙に頷いた。
「最悪、フライパンがなくても、石とアルミホイルや空き缶があれば、料理できます。【操水】が上手にできれば、スープも作れます」
レノ店長の説明で、少年兵モーフは、ゼルノー市の焼け跡や、放送局の廃墟で過ごした日々を思い出した。
……要するに、アレをここでやンのか。
何をするかわかり、安心してプリントに目を通す。まだ難しくて読めない部分は多いが、レノ店長がたくさん絵を描いてくれたので、モーフにも何をどうするかよくわかった。
ピナの兄貴が、根元に置いた袋からアルミホイルとビニール袋を取り出す。
「こう言うのがあれば、色々便利なので、災害発生時に持ち出してすぐ避難できるように、ひとつの袋にまとめて入れとくといいですよ」
「店長先生、他に何か入れた方がいい物ってありますか?」
今度はふたつ括り女子のスモークウァが質問した。
「それは、プリントに書いたので、後でおうちの人と一緒に読んで、用意して下さい」
レノ店長はこれにも腹を立てず、さらりと流す。
モーフはあの冬の日々、なくて困った物を思い出そうとしたが、何も思いつかなかった。
リストヴァー自治区での「平和な日々」の方がずっと何もなくて、ゼルノー市の焼け跡の方がずっとマシだった。かつての「普通の暮らし」が、実は惨めだったのだと思い知らされ、軽く落ち込む。
なければ困る物を具体的に思い描けないのが、情けなかった。
……後で隊長に読んでもらおう。
店長の横で、家庭科の先生が小麦粉と塩を計量スプーンでビニール袋に入れる。人数分用意して、マグカップと一緒に配った。
「食中毒の予防はみっつ。まずは食中毒の原因になる細菌とかを食材に付けないこと。手を怪我した人は、治るまで料理しないこと」
「絆創膏、貼ってもダメなんですか?」
三ツ編女子フヴォーヤが聞く。
「絆創膏にも菌が付くからね。小さな刺し傷でも、黄色ブドウ球菌とかが涌きやすくて危ないから。手に傷がある人が料理しないのは、普段から食中毒予防の鉄則です」
何だか急に難しくなり、モーフは途端について行けなくなった。
今度も補足してくれるかと待ったが、キーロブドーキューキンとやらの説明をせず、先に進む。
「汚れた手で食べ物を直接触らないこと。ビニール袋がたくさんあれば、手袋の代わりになります。裏表ひっくり返して、まだどこにも触れていないキレイな内側で、食べ物に触るように注意して下さい」
ピナの兄貴が、放送局の廃墟でそうしたように透明の袋を手に嵌めてみせる。
「他にも色々な使い道がありますが、今回はボウルの代わりにします」
みんなはレノ店長の説明に頷いた。
「水も、できれば一度沸騰させて冷ましてから、料理や手洗いに使って下さい。水の中にも細菌はたくさん住んでいます」
次の指示で、カップ半分の水も袋に入れ、ひたすら揉んで生地を捏ねる。袋はふにゃふにゃ頼りなく、力を入れ過ぎると口から粉が噴き出して捏ね難かった。
……放送局じゃ、簡単そうに見えたのに。
ピナは慣れた手つきで簡単そうに揉むが、緑髪の子らはモーフと同じで、こぼさないよう四苦八苦する。
捏ねる間にも説明が続いた。
☆短髪女子メーラは(中略)神殿付属施療院に行った……「1083.初めての外国」参照
☆宿題に出した【炉】の呪文……「1095.教育を変える」参照
☆工場長のようにブチ切れ……「117.理不尽な扱い」参照
☆ネーニア島で実際、湖の民でも火傷したり、酷いコトになった人……「0008.いつもの病室」「0010.病室の負傷者」~「0012.真名での遺言」参照
☆【炉】の術から普通の焚火を作って……「0075.全て焼魚の為」参照
☆石とアルミホイルや空き缶があれば、料理できます……「0045.美味しい焼魚」参照
☆【操水】が上手にできれば、スープも作れます……パスタを茹でた例「124.まともなメシ」参照
☆ゼルノー市の焼け跡……「0097.回収品の分配」「0098.婚礼のリボン」「107.市の中心街で」「108.癒し手の資格」参照
☆放送局の廃墟で過ごした日々……「109.壊れた放送局」~「117.理不尽な扱い」「119.一階で待つ間」~「126.動く無明の闇」「127.朝のニュース」~「133.休むのも大切」「135.お菓子を作る」「138.嵐のお勉強会」~「140.歌と舞の魔法」参照
☆放送局じゃ、簡単そうに見えた……「125.パンを仕込む」参照




