1096.教育を変える
チャイムが鳴り、校舎から小学生たちが出て来た。
ティスとアマナが、湖の民の子たちと一緒に校庭で遊ぶ。
ほんの数日で、村の子たちとすっかり打ち解けたらしい。
レノは、妹たちのあんな笑顔が久し振りだと気付いた。嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちで眺め、明日の授業で使うガリ版の原稿を書く手が止まる。
元の学校ではなく、住まいは校庭に停めた移動放送局のトラックだ。それでも、きちんとした学校で学べることに違いはない。
隣で作業するパドールリクと目が合った。
クルィーロとアマナの父も同じなのか、何となく気持ちが通じ合い、同時に苦い笑みを浮かべた。
「いつ、移動できるようになるんだろうなぁ」
「狩人さんに頑張ってもらわないことには、何ともね」
薬師アウェッラーナと葬儀屋アゴーニは、村人たちに頼まれた薬を調達しにアミトスチグマに行った。
素材を買ってアウェッラーナが作り、ついでにランテルナ島の地下街チェルノクニージニクに跳んで、頼んでおいた呪符を受取る。
今夜はあちらに泊まり、明日、ファーキルたちからもらった情報と、作った薬、トラック生活に必要な呪符を持って戻る予定だ。
移動放送局プラエテルミッサの一行は、魔獣の群に足止めされたが、意外と忙しかった。
いつまで滞在するか全く先が読めないが、村で唯一の小中一貫校で、ピナ、ティス、アマナ、モーフを受け容れてもらえた。
落ち着いた環境で、子供たちがしっかり勉強できるのはいいことだ。
開戦から一年半余り、図書館などで少し勉強する機会を設けたが、どうしても生活に必要な魔法を調べるのが中心になってしまい、平和だった頃の「小中学校で習う基礎」にじっくり取り組む余裕がなかった。
一年半の遅れを取り戻すのは大変だ。
カイラー市の古本屋で、小中学校の全学年、全教科の教科書をまとめ買いした。
ここ数日、子供たちは寝る前に国語と社会の教科書を読むようになった。
少年兵モーフは、小学校一年生の国語からおさらい中で、わかる範囲が広がったのが傍目にもよくわかる。
ピナとティスも家に居た頃よりずっと勉強熱心になった。
……何の為に勉強するか、わかんなかったからヤル気なかったんだろうな。
あまり勉強熱心とは言えなかった自身の学校生活を振り返り、レノはさっきとは別の苦笑を洩らした。
書きかけのレシピに目を戻す。
災害が発生し、調理器具がフライパンしかない想定で作る一食分のメニューだ。
パンとスープと焼魚。
魚は昨日、老漁師アビエースとクルィーロが崖を降りて獲ってきた。中学の調理実習で、子供たちに干物作りをしてもらい、明日はそれを料理に使う。
どんなものが調理器具に転用できるかの説明から始まり、食中毒予防の注意点、どんな組合せで栄養を摂ればいいかを書き上げ、今は具体的な調理方法だ。
明日は道具が揃った調理室ではなく、校庭で作ってもらう。【炉盤】なしで地面に円を描き、【炉】の呪文を唱えて火を熾す予定だ。ピナに聞き取りしてもらったところ、村の子は誰も【炉】を暗誦できないと言う。
家に【炉盤】があるから、暗記する必要がなかったらしい。
便利な道具に慣れ切ってしまうと、イザと言う時に困ってしまう。開戦以降、ずっと痛感したことを交えて説明する予定だ。
翌朝、レノは妹たちと教の講師パドールリク、呪医セプテントリオーと連れ立って登校した。
「じゃ、また後で」
「うん。お兄ちゃん、先生頑張ってね」
妹たちと分かれて職員室に入る。
「おはようございます。原稿、遅くなってすみませんでした」
「おはようございます。大丈夫ですよ」
レノは昨日、中学の授業が終わる少し前にやっと原稿を完成させ、大急ぎで届けた。家庭科教諭はそれから謄写版を起こし、手作業で一枚ずつ刷ったのだから、かなり帰りが遅くなったのではないかと恐縮する。
家庭科教諭は柔和な笑みで机上の紙束をポンと叩いた。
「私も大変、勉強になりました。何もかも失った時でも、自力でどうにか命を繋ぐ。大切な視点です」
「そうですよ。私たちは、こんな田舎の小さな村には、外国との戦争なんて関係ないと思っていましたが、考えが甘かったと思い知らされました」
保健体育の男性教諭が頷いた。
手には、呪医セプテントリオーのメモがある。
「私も、店長さんのように、きちんと文章に起こした方がよろしかったでしょうか?」
「呪医はお忙しいですから……でも、もし可能でしたら、簡単で結構ですので、後日いただけましたら有難いです」
湖の民の呪医は、同族の教員に了承して言った。
「では今日、時間の都合で短くする部分がありましたら、そこを中心に詳しく書いてお渡しします」
「恐れ入ります」
レノが改めてメモを覗くと、今日の話題は、毒蛇に咬まれた時の応急処置についてだった。
パドールリクも説明書を用意したが、こちらはレノよりも量が多い。初めからガリ版は後回しで、今日は話を聞くことに集中してもらうと言う。
社会科担当で、内容は流通の仕組みについて。村が物価上昇や品薄で困る原因と対策について少し話した後、子供たちにどうすればいいか考えてもらう予定だ。
……そっか。もう戦争前と同じ勉強じゃダメなんだな。
時代が変わり、国内の社会だけでなく、ネモラリス共和国を取り巻く国際社会が大きく変わりつつある。
次の時代を担う子供たちへの教育も、変わる時が来たのだ。
☆図書館などで少し勉強する機会を設けた
放送局の廃墟……「138.嵐のお勉強会」~「140.歌と舞の魔法」
ゼルノー市の図書館……「145.官庁街の道路」「167.拓けた道の先」~「171.発電機の点検」参照
移動中のトラック……「292.術を教える者」「293.テロの実行者」「778.自覚のない傷」「830.小村での放送」「0960.支部長の自宅」参照
ランテルナ島のゲリラの拠点……「321.初夏から夏へ」「354.盾の実践訓練」参照
北ザカート市のゲリラの拠点「398.価値ある勉強」「399.俄か弟子レノ」参照
地下街チェルノクニージニク……「503.待つ間の仕事」「510.小学生の質問」参照
クレーヴェルの社宅……「688.社宅の暮らし」「697.早朝の商店街」参照
オバーボク市立図書館……「0948.術を学び直す」「0949.変わらぬ動き」「0961.信じられない」参照
☆カイラー市の古本屋……「1021.古本屋で調達」参照




