1091.夏休みの計画
学校は、もうすぐ夏休みだ。
ファーキルが家や学校、教会など、それまでの柵を全て捨ててランテルナ島に渡ってから、一年以上経つ。世間が言う「不登校」の状態になった期間も、同じだけ累積した。
ランテルナ島で星の標のテロや地元民の犯罪に遭うか、ネーニア島で空襲か魔物に遭って、すぐ死ぬだろうと思ったが、奇跡的な巡り合わせによって、今日もまだ命がある。
……別に自殺しようと思って家出したワケじゃないけど、これが女神パニセア・ユニ・フローラの水の縁なのかな?
力なき民の子供一人では、どうせすぐ死ぬだろうと覚悟して出た。短い時間で、なるべく多くの真実を世界に伝える為だけに行動し、結果的に生き延びられた。
家に居て、学校に通った日々よりずっと活きて、自分の生命を実感できる。
学校では、魔物から身を守る方法や食べられる野草、野生動物を生食してはいけないこと、安全な調理方法など、生き延びるのに必要なことは何も教えられなかった。
代わりに、アーテル共和国のキルクルス教社会の一部になる為の知識や、アーテル政府にとって都合の悪い事実を隠し、嘘で塗り固めた歴史を教えられただけだ。
活きて生きるのに必要なことはみんな、ランテルナ島の魔法使いたちや、ネーニア島で知り合ったフラクシヌス教徒たち、星の標とは別のテロリストたちから教わった。
キルクルス教徒である星の道義勇軍以外は、悪しき業を用いる穢れた異教徒として、アーテル社会からは排除される者ばかりだ。
……あのトラック、信仰や人種、魔力や価値観、何もかもが違う人の寄せ集めなのに、なんのかんの上手くやってたよな。
それなのに何故、単一の信仰に基づく共通の価値観を有し、力なき陸の民だけが暮らすアーテル本土の社会は、あんなに上手く行かないのか。
戦争中の今も、アーテル領内では、平常通り授業が行われる。
ネモラリス憂撃隊やソロのゲリラが、学校やその近くでテロを起こさない限り、休校にならない。
ネモラリス領内では、アーテル軍の空襲で、幾つもの都市や町村が壊滅し、多くの子供たちや教職員が命を奪われ、学校そのものも失われた。
移動販売店プラエテルミッサのように避難先を転々とする者や、戦争難民として国外へ逃れた子供たちは、学校に通えない。
つい最近、移動放送局になったプラエテルミッサが、魔獣の群で足止めされた村で、子供たちが授業に参加させてもらえたとの報告書を読んだ。
ファーキルは、ネモラリスの授業内容を知らず、それがいいことなのか、よくないことなのかわからないが、少なくとも、アーテルの学校に通うよりはマシだろうと思った。
冷たい水を一口飲んで、取り留めのない思考を打切る。
気持ちを切替えて見たパソコンの画面には、クラピーフニク議員が発案した計画書があった。
難民キャンプに身を寄せるネモラリス人は、フラクシヌス教の神殿へ参拝したくとも、地元の神殿は空襲で喪われ、アミトスチグマには土地勘がない。勿論、交通費もなかった。
ネモラリス領内で神殿が喪われた分、この一年余りでラキュス湖の水位が低下した。
神殿で祈りと魔力を捧げることは、心の安定だけでなく、ラキュス湖の存在……この地域に住まうすべての生き物の為にも必要不可欠だ。
……でも、シルヴァさんのせいで、みんな警戒して【跳躍】を断るようになったんだよな。
ネモラリス憂撃隊の勧誘員シルヴァは、「アミトスチグマ政府が森林の開拓民として、難民を定住させるつもりだ」と偽情報を流した。
その上で「他の場所を知っておけば、【跳躍】で他所へ行けるようになるから、今の内に」と騙して、力ある民の難民をアーテル領内へ連れて行き、場所を覚えさせた。
その後、何食わぬ顔でゲリラの勧誘を行い、場所を覚えさせた者たちに嘘の説明をして、ゲリラ志願者をアーテル領に運ばせたのだ。
そうして【跳躍】係にされた者たち自身も、ゲリラや勧誘員になり、ネモラリス憂撃隊は一気に組織を拡大した。
葬儀屋アゴーニと、アサコール党首らネモラリス人の亡命議員が、シルヴァの偽情報を打消して回った。
騙されて【跳躍】係になる者はなくなったが、今度は難民たちが【跳躍】で運んでくれると言う者を警戒するようになった。
アミトスチグマの夏の都や冬の都など、都会から来たボランティアが、神殿への参拝に誘っても行かない。
「みんな神殿にお参りはしたいんですよ」
「でも、よく知らない人の【跳躍】ってやっぱり怖いですよ?」
ファーキルは、力なき民として言った。
シルヴァの勧誘がなくとも、どこに連れて行かれるか信用できない。
「それで、僕やアサコール党首たちが、手隙の時に夏の都と冬の都、それと一番近いパテンス市に【跳躍】で連れてってるんですよ」
「それはアリなんですか?」
「来てくれたのは、党の支持者とか、前から個人的に信頼関係がある人たちだけだよ」
若手議員の笑顔はどこか寂しそうだ。
「後でその人たちが、自分の家族や友達、個人的に親しい人たちを【跳躍】でって、少しずつ、アミトスチグマに土地勘ある人を増やしてるんだけど、一度に連れていける人数なんて限られてるし、何十万人も居るし、力なき民の方がずっと多いし……」
クラピーフニク議員は、少し前にそんなことを言ってボヤいた。
先日、警戒する者たちを神殿のある街に一度に大勢連れて行く案を思いついた、と送ってきたのが、この計画だ。
アミトスチグマ王国の学校は八月が全日「夏休み」で、クラピーフニク議員は、地元議員から「夏休み期間中の学校は、校庭を地域の催し物会場として開放する所が多い」と聞いたと言う。
秦皮の枝党の若手国会議員クラピーフニクは、アミトスチグマ各地の地元議員と共に、学校や主催者に頼んで回り、催しのついでに難民が手芸品などを販売する許可を取りつけた。
催しの当日、学校から近い神殿に交代で、祈りを捧げに行く計画だ。
歌手ニプトラ・ネウマエも同様の計画を立て、こちらは難民キャンプの区画単位で合唱団とその裏方を組織し、アミトスチグマ領だけでなく、ラクリマリス領の神殿でもチャリティーコンサートを行うと言う。
オラトリックスたち【歌う鷦鷯】学派の術者たちが、手書きの名簿を作った。
ファーキルが頼まれた作業は、区画単位で組織された店番と、合唱団、裏方の名簿と売り物リストの作成。第何区画のどの班が、いつ、どこのイベントに出るか、【跳躍】の責任者は誰であるかなど、予定表の作成。
出店の交代表とチャリティーコンサートのプログラムも頼まれた。
……店番と合唱団の裏方、両方やる人って結構、居るんだな。
力なき民を除け者にするワケにはゆかず、名簿は難民キャンプの人口比を反映して、魔力のない者が七割くらいを占める。
数は多いが、どれも簡単な作業ばかりで、ファーキルは別のパソコンでユアキャストを開き、音楽を聞きながら作業を進めた。
☆ファーキルが(中略)全て捨ててランテルナ島に渡ってから、一年以上経つ……「175.呪符屋の二人」「176.運び屋の忠告」参照
☆短い時間でなるべく多くの真実を世界に伝える為……「188.真実を伝える」「189.北ザカート市」「197.廃墟の来訪者」「198.親切な人たち」参照
☆ネモラリス憂撃隊やソロのゲリラが、学校やその近くでテロ……ルフス神学校に対するテロ「868.廃屋で留守番」「869.復讐派のテロ」参照
☆神殿が喪われた分、この一年余りでラキュス湖の水位が低下……「821.ラキュスの水」参照
※ 水位維持の仕組み……「534.女神のご加護」「684.ラキュスの核」「821.ラキュスの水」参照
※ 過去に起きた低下……「534.女神のご加護」「536.無防備な背中」「585.峠道の訪問者」参照
☆勧誘員シルヴァは(中略)偽情報を流した……「737.キャンプの噂」参照
☆ネモラリス憂撃隊は一気に組織を拡大……「801.優等生の帰郷」「836.ルフスの廃屋」~「840.本拠地の移転」「879.深くて暗い溝」参照
☆シルヴァの偽情報を打消し……「806.惑わせる情報」「807.諜報員の作戦」参照




