1090.行くなの理由
クルィーロとDJレーフは、久し振りにクリュークウァ市を訪れた。
夏の日射しの下で見ても、ネミュス解放軍クリュークウァ支部長カピヨーの自宅は、ちょっとしたお城のようだ。使用人が、二人を恭しく執務室に案内する。
「おぉ、よくぞ参られた」
突然の訪問にも関わらず、カピヨー支部長は歓迎してくれた。使用人が、とっておきの珈琲を淹れて退室する。
三人だけになったところで、クルィーロは、ソルニャーク隊長とアナウンサーのジョールチがまとめてくれた情報の束を渡した。
パン屋の兄姉妹が焼いたクッキーをつまみながら、DJレーフと二人で、ネモラリス島北東部の状況を簡単に説明する。
カピヨー支部長は、一通り聞くと紙束を置いた。
「成程。あちらは湖の民だけの町や村が多い。我らもある程度、把握しておる」
「じゃあ……」
カピヨー支部長は片手を上げ、DJレーフの期待が籠もる声を止めた。
「ミャータ市以東で麻疹が出た。当分、近付いてはならん」
「えッ?」
「我々が、魔獣の群を把握した上で兵を出さんのは、人の往来を止める為だ」
「えぇッ? それってフツーに麻疹が出たから、そっち行かないようにって知らせるんじゃダメなんですか?」
クルィーロはカップを置いて聞いた。
カピヨー支部長は珈琲を一口啜り、ひとつ溜め息を吐いて語る。
「最初の発生は、ミャータ市のずっと東の小村だった。そこから、巡回診療の経路沿いに範囲が広がり、ミャータ市民病院に患者が殺到し、そこでも蔓延中だ」
「えっ? でも、ワクチンは……」
DJレーフが顔色を失うと、カピヨー支部長は重々しく頷いた。
「臨時政府の保健省は先月、製薬会社の不手際を原因とするワクチン不足の情報を把握した」
……なんだ。割と早くから知ってたんじゃないか。
クルィーロは、少しホッとして珈琲を口に含んだ。それだけの時間があれば、臨時政府も何か手を打っただろう。
「返品対象の原料を送り返さず、レーチカ市内の工場でワクチンの増産を急いでおる」
「異物が混じってたら……」
DJレーフが疑問を漏らす。
「壊れた機械の破片だからな。【操水】で異物の点検と排除を進め、少しずつ生産するとのことだ」
「あぁ、じゃあ、いつもより時間掛かっても、国内で安全なワクチンが作れるんですね」
「恐らくな。我々も、クレーヴェルの工場で生産を急がせておる」
「両方から届くんですね? でも、鉢合わせしたら……」
クルィーロが心配を口にすると、カピヨー支部長は首を振って断言した。
「それはない」
「どうしてです?」
「臨時政府は、感染が進行したネモラリス島北東部ではなく、まだ無事な地域に飛び火せぬよう、接種を急いでおる」
ワクチン接種対象は、臨時政府があるレーチカ市、空港が復旧したトポリ市、トポリの対岸ギアツィント市、外国への船が出るリャビーナ市だ。
クルィーロは、中央政府に見捨てられたと嘆く地方の人々の顔を思い出した。
「そんな……それじゃまるで、田舎者は死ねって言われたようなモンじゃありませんか」
「まぁ、最後まで聞け。巡回診療がなくなったのは、地方の行政当局が、これに限らず、感染症の運び屋にならぬようにと苦渋の決断をしたもので、地域住民にも周知済だ」
「えぇッ?」
「そんなバカな」
クルィーロとDJレーフが驚くと、カピヨー支部長は遠くを見詰めて言った。
「他所者の貴殿ら相手に、自分たちが納得しておらぬ不都合な事実や、本当の理由を正直に話すと思うか? 可哀想な被害者だと訴えれば、事情を知らぬ者が同情や義憤に駆られ、他所へ助けを求めてくれるやもしれぬのに?」
……やられた。
村人たちの思惑に気付かず、大局を見る目を同情で曇らせ、動いてしまったのが悔しかった。もう少し待って、薬師アウェッラーナに相談してから来ればよかったと歯噛みする。
「巡回診療を続ける判断をした地域は、それで助かった命もあろうから、中止の決断を下した地域が懸念した通りの結果を招いたからと言って、一概に責めるのは酷と言うものだ」
「いつもは大丈夫なのに、どうして……」
クルィーロの悔しさと悲しみが疑問になってこぼれる。
「開戦から一年半近く経つ。医療産業都市クルブニーカは空襲で焼き払われ、輸入も滞った。トポリ空港が再開して少しは増えたが、な」
「科学の薬……消毒薬まで足りなくなったんですね?」
言わんと欲するところがわかり、クルィーロは肩を落とした。
「ワクチンは、科学の医師免許を持つ者でなければ接種できず、発症すれば、対症療法しかない。臨時政府がトポリ空港の閉鎖を恐れ、外国との船の直通航路を持つ諸都市で接種を急がせる判断、わからぬでもない」
ネミュス解放軍の支部長が、臨時政府に理解を示したのが意外だ。
「ウヌク・エルハイア将軍は、ネモラリス島北部で接種を進めると判断され、湖水の光党経由で科学の医療者を動員し、派遣が決定した」
「えぇッ? じゃあ、お医者さんたちの安全の為にも、魔獣狩りしないと……」
カピヨー支部長は、DJレーフの驚きに目を伏せた。
「北東部では、村人が感染の拡大を防ごうと、患者が出た家を丸ごと焼き払っておるのだ」
……汚物扱いで焼き殺された人たちの苦しみや悲しみ、それに怨念が、異界から魔物を呼び寄せたせいで急に増えて、狩っても狩っても追い付かないのか?
そんなコトあるハズないと思いたかったが、クルィーロには否定できる材料がみつからなかった。
「燃料に販売制限を掛け、車輌の通行を減らす対策も進んでおる。大抵の村人は、滅多に地元を離れんからな。他所へ跳べる者はタカが知れておる」
クルィーロとDJレーフは、返す言葉もなく聞き入る。
「貴殿らの中には幼い子らもおったろう。終息宣言が出るまで、動くでないぞ」
二人はただ頷くしかない。「くれぐれも、地元民には内密に」とパニックを防ぐ為に念押しされて、みんなの許へ戻った。




