1088.短絡的皮算用
「こうして改めて整理された状況を聞くと……つい最近、どこかで似たような話を小耳に挟んだような気がして来たのだがね、歳のせいか、思い出せんのだよ」
齢九十を越えるネモラリス人の国会議員が、誰か知る者はないかと会合の出席者六名を見回す。
王都ラクリマリスの第二神殿書庫は静けさに満ち、老いたキルクルス教徒の質問が、壁や床に吸い込まれて消えた。一同、記憶を手繰って宙を睨む。
……そう言われてみれば、私もどこかで聞いたような?
長命人種のセプテントリオーは、実年齢こそラクエウス議員の四倍以上だが、外見年齢は半分以下で、まだ記憶力も確かだ。
「……思い出しました。ファーキル君がまとめてくれたローク君の報告書です」
「あぁ、それでしたら、私も見せていただきましたわ。確か、ルフスに工業団地を作る件でしたわね」
歌手ニプトラ・ネウマエも呪医セプテントリオーの一言で思い出し、顔を明るくした。彼女も外見こそ二十歳そこそこの小娘だが、ラクエウス議員の姉の親友で、それなりの年齢だ。
ラゾールニクが、タブレット端末をつついて例の報告書を表示させ、題名を読み上げると、プンツォーヴィ外務次官とギームン神官、トポリ大学の教授が一斉に端末と向き合った。
移動放送局プラエテルミッサ用に印刷した作業を思い出し、セプテントリオーはただただ感心した。
……こんな小さい物に、あんな分厚い報告書が丸ごと入るとはな。
「その後の調べで、この再開発計画は、湖東地方で味を占めたバルバツム連邦とかの会社が、二匹目の泥鰌を狙って仕掛けて来たっぽいのがわかったんスよね」
呪医セプテントリオーは、ラゾールニクの説明を聞きながら、隣の国際政治学者に少し見せてもらうと、印刷した日に見た内容を思い出した。
教授が端末から目を上げる。
「アーテル共和国は経済政策に失敗し、国内の不満を逸らす為、ネモラリス共和国に宣戦布告したのでしょう」
「経済政策の失敗……ですか? でも、力なき民が戦争するには、武器の調達にたくさんおカネが掛かって、却って大変なんじゃありませんこと?」
ニプトラが首を傾げる。
「アーテル共和国が採った半世紀の内乱からの復興政策には、著しい偏りがあるのです」
「偏り……?」
「寄付や無償支援、無利子貸与などで獲得した予算の大半を人口の多い都市部に注ぎ込みました」
「都市部と地方に格差ができたんですのね?」
「そうです。当然、地方からは不満の声が上がります。しかし、復興特需が落ち着いてしまえば、経済成長は鈍化しました」
セプテントリオーは、ランテルナ島の拠点で見た新聞の切抜きを思い出した。昨年の予想が、大筋で間違っていなかったことに気持ちが澱む。
国際政治学者が続ける。
「世界経済も、主に科学文明国についてですが、景気の後退が続き、失業率の上昇傾向が、もう十年以上も続いております」
「アルトン・ガザ大陸のキルクルス教国との取引が減ったのですね」
トポリ大学の教授は、ラクリマリス王国の外務次官に頷いた。
「加えて、キルクルス教が、若い世代を中心に求心力を失いつつあります」
「インターネットで、教団が伏せておった件が広まったからですな」
キルクルス教徒のラクエウス議員が、意外にも落ち着いた声で言った。
国際政治学者は老議員に頷いた。
「アーテル側が、いつ、どのようにして掴んだか定かではありませんが、恐らく、魔哮砲について何年も前から情報を得て、計画を立てたのでしょう」
「キルクルス教の教義に適う戦争の大義名分ですか」
ギームン神官が溜め息混じりに呆れる。
「悪しき業を用いる魔法使い、自治区のキルクルス教徒を弾圧する非人道的な国家を懲らしめれば、戦費を回収した上、信者が増え、離れた信者も戻ると計算したのではないでしょうか」
教授の予想にギームン神官が表情を険しくする。
「信仰はそれぞれの心の問題ですから、私共は、力なき民の方々がキルクルス教に改宗するのを止めたことがありません」
フラクシヌス教は、ラキュス湖周辺に住まうすべての生き物を仲間と看做し、積極的な布教活動を行わない。
「ただ、フラクシヌス教徒への攻撃や神殿の破壊は、しないでいただきたいのですよ。“何もしない”とは、そんなにも難しいことなのでしょうか?」
ラクエウス議員は、沈痛な面持ちで首を横に振ったが、何も言わない。
呪医セプテントリオーは、何とも言えない気持ちで信仰の分布図を見た。
……そうだ。“何もしない”……こちらは向こうの信仰を否定しないのに、何故こんなにも?
セプテントリオーは、半世紀の内乱が、民族自決の思想とキルクルス教の排他性が組み合わさって起きたのだと再認識した。
民族自決の思想も、アルトン・ガザ大陸南部の独立運動に端を発したものだ。彼の地の植民地支配自体……キルクルス教に基づく排他性が、全ての元凶に思えてならない。だが、ラクエウス議員の前で口にするのは自重した。
ラゾールニクは“内輪の席”だからか、砕けた調子で言う。
「魔哮砲の件は言い訳できないけど、自治区の方は前よりかなりよくなったし、その辺からアーテルの世論を動かせないかなって思うんだけど、どう?」
「記者さん、何か具体的な案をお持ちですか?」
……記者さん?
呪医セプテントリオーは、教授の一言に引っ掛かったが、すぐ、ラゾールニクがフリージャーナリストのフリであちこちの記者会見に紛れ込んだのを思い出した。
「実はもう、別の仲間が『花の約束』の海賊版CDをチェルノクニージニクの店に卸したんスよね」
「海賊版……?」
教授と神官が眉を顰める。
ニプトラが、取り成すように説明を加えた。
「AMシェリアクは『花の約束』に限って、不問にして下さるとお約束して下さいましたわ」
二人が肩の力を抜くのを見て、ラゾールニクが続ける。
「ラジオを聞きそびれた人に聞いてもらうだけじゃなくて、特典画像の配布サイトに誘導する情報も付いてます」
「聖典の写真かね?」
「いえ、平和の花束のコたちの写真です。画像をダウンロードすると、水面下でアプリケーションもひとつついてきます」
外務次官は渋い顔をしたが、視線で続きを促した。
「ユアキャストの閲覧制限を解除する。ただそれだけのアプリです」
「アーテル人に外界の情報を見せて、政府や教団の偽りに気付かせようと言うことですか?」
「流石、高級官僚。察しがよくて助かりますよ。今ンとこ、若いコを中心にランテルナ島まで買いに来てくれてて、売上伸びて、画像のダウンロード数もそこそこ回ってます」
「星の標にみつかったら……」
教授がアーテルの若者を案じる。
「その星の標ですが、春頃から魔法使いへのテロや不信心者への攻撃をしなくなりました」
「何故です?」
ギームン神官と教授が同時に聞いた。
ラゾールニクは、指折り数えながら答える。
「リストヴァー支部からの魔哮砲情報、間もなく始まる選挙対策、ルフス工業団地計画での地元経済界と政界との調整と、バルバツム企業との連絡、おまけに大聖堂から来た司祭の暴露もあって、それどころじゃないっぽいッスね」
「では、今がアーテルに揺さぶりを掛ける好機なのですね?」
外務次官が確認すると、ラゾールニクは不敵な笑みを浮かべた。
☆ローク君の報告書/印刷した日に見た内容……「0966.中心街で調査」、「1022.選挙への影響」~「1029.分断の阻止へ」参照
☆ルフスに工業団地を作る件……「0966.中心街で調査」、「1022.選挙への影響」「1023.特番への反応」、「1027.工業団地計画」~「1029.分断の阻止へ」参照
☆ネモラリス共和国に宣戦布告した……「0078.ラジオの報道」参照
☆寄付や無償支援、無利子貸与などで獲得した予算/復興特需……「164.世間の空気感」参照
☆ランテルナ島の拠点で見た新聞の切抜き……「371.真の敵を探す」参照
☆世界経済も、主に科学文明国についてですが、景気の後退が続き……「435.排除すべき敵」参照
☆魔哮砲について何年も前から情報を得て、計画を立てた……「331.返事を待つ間」「358.元はひとつの」「809.変質した信仰」「0957.緊急ニュース」参照
☆民族自決の思想とキルクルス教の排他性……「0059.仕立屋の店長」「240.呪医の思い出」「268.歌を探す鷦鷯」参照
☆アルトン・ガザ大陸南部の独立運動/植民地支配……「370.時代の空気が」参照
☆魔哮砲の件は言い訳できない……「241.未明の議場で」「247.紛糾する議論」~「249.動かない国連」「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照
☆ラゾールニクがフリージャーナリストのフリであちこちの記者会見に紛れ込んだ……「751.亡命した学者」参照
☆AMシェリアクは『花の約束』に限って、不問にして下さる……「1065.海賊版のCD」参照
☆特典画像の配布サイト……「1026.関心が異なる」参照
☆リストヴァー支部からの魔哮砲情報……「921.一致する利害」→「0965.ネットで連絡」「0967.市役所の地下」「0968.黒い都市伝説」参照
☆間もなく始まる選挙対策……「868.廃屋で留守番」「1022.選挙への影響」参照
☆ルフス工業団地計画での地元経済界と政界との調整と、バルバツム企業との連絡……「0957.緊急ニュース」「0966.中心街で調査」「1022.選挙への影響」「1027.工業団地計画」~「1029.分断の阻止へ」参照
☆大聖堂から来た司祭の暴露……司祭情報「1012.信仰エリート」「1013.噴き出す不満」「1024.ロークの情報」、レフレクシオ司祭の説教「1026.関心が異なる」「1072.中途半端な事」「1073.立ち止まろう」参照




