1087.成行きの果て
「儂らが半世紀の内乱を戦っておった頃、湖東地方では、そんな有り様だったとは……」
ラクエウス議員は内乱終結後、周辺諸国の情報を収集し、新しく建国したネモラリス共和国の内政と外交に活用した。
内乱終結によって分離独立した三カ国は、互いに過去を振り返らず、現在と、ここから続く未来にのみ目を向けると誓い合った。
渦中にはそれどころではなく、内乱終結後も、内乱中の国外情勢を振り返ることまでは気が回らなった。
外務次官プンツォーヴィが、紅茶のおかわりを淹れて回る。
芳醇な香りで、場の空気が僅かに和んだ。
プンツォーヴィが国際政治学者と視線を交わし、話の続きを引受ける。
「旧ラキュス・ラクリマリス共和国が半世紀の内乱で荒れた頃、湖東地方の複数の国家が国内政治……特に経済政策の失策で内戦状態に突入しました」
「確か、ディケアはもっと前から内戦をしておりましたわね? あそこは他所と違ってフラクシヌス教徒が少数派で……百年くらい前に一度分裂して、それからまた……」
歌手ニプトラ・ネウマエが、ネモラリス島の東隣に位置する小国の名を出した。
「はい。ディケアの内戦が終結したのは、ほんの二年前ですが、それを支援したのはキルクルス教国家です」
「最終的に国連の……バルバツム連邦軍を主体とした国連軍の武力介入で、ディケアはほぼ完全なキルクルス教国家になりました。多くのフラクシヌス教徒が難民化して、周辺のフラクシヌス教国家に流出し、取り残された人々は狭い自治区に押し込められました」
ギームン神官の痛ましげな声で思い出し、ラクエウス議員は付け加えた。
「確か、儂らと違って、選挙権など様々な権利を奪われたのでしたな」
「そうです。内陸部の自治区に押し込められ、ラキュス湖を見られない暮らしを強いられています。ディケア領内の神殿は自治区を除いて全て破壊されました」
ギームン神官が声を震わせ、拳を握る。
ニプトラ・ネウマエは、神官の手許にある端末を見詰めて呟いた。
「そんなハッキリした人権侵害と宗教弾圧でも、国際機関や人権団体は何も言わないんですね」
「国際社会で大きな力を持つ国や機関、団体などは大抵、キルクルス教国か、キルクルス教徒が設立したものですから」
「その種の機関や団体は、公平に聞こえる美辞麗句を並べますが、客観的な事実より、直接の利害や、彼らに利益を与える人々にとって心地よい言葉や状態に流れます」
外務次官と赤毛の神官が諦め顔で言うと、ニプトラは端末を見詰める目許に嫌悪を露わにした。
「つまり、湖東地方で、キルクルス教徒がフラクシヌス教徒を迫害していると認めて、人権侵害や宗教弾圧をやめさせることに旨味を感じないから、何もしないんですの?」
ラクエウス議員は信徒として胃が痛んだが、顔には出さず、言葉を絞り出した。
「儂らは内乱中、対等に……ある意味、平等に命の遣り取りをしましたが、あちらでは、数を頼みに一方的な事態に陥っておったのですな」
「残念ながらね。でも、これ、誰かが意図的に仕向けたんじゃなくて、自然発生的にこうなっただけなんだよな」
諜報員ラゾールニクが、自分のタブレット端末を小突いて言う。画面は、ファーキル少年が調べ上げたラキュス湖周辺諸国のまとめだ。
彼は同席者の反応に頓着せず、飄々と続けた。
「それぞれが自分たちの利益を追求した結果、なんとなくこうなったんだ」
半世紀の内乱の影響で、湖東地方の景気が悪化した。
力ある民は自分たちが助かる為、力なき民を解雇して人件費削減を図った。これがきっかけで、信仰を問わず、力なき民の中で長年燻り続けた不満が爆発した。
泡を食った当時の政府が、場当たり処理で大型の規制緩和を連発し、外国企業を誘致した。
内需の拡大で一国の経済が上向くと、力ある民も歓迎し、周辺諸国も追随に動いた。
企業城下町が形成され、力なき民のキルクルス教化が進んでも、「所詮、力なき民の祈りは女神の涙に力を与えないから」と魔力の有無に関係なく、フラクシヌス教徒は成行きに任せた。
中には「却って住み分けが進んで助かる」などと歓迎する者さえあったと言う。
成行きに任せ、放置した果てに、更なるキルクルス教化を進めた企業城下町は、経済力に比例して政治的発言力もつけ、相互支援を密に行うようになった。
協力の範囲は当初、技術支援や販路の拡大、文化や教育、信仰など平和交流だった為、フラクシヌス教徒はキルクルス教に改宗した人々のしたいようにさせた。
湖東地方の複数の国や地域で、信仰による社会の分断が進み、経済的な立場が逆転した力ある民のフラクシヌス教徒を中心に、新たな不満が社会に渦巻いた。
世間の空気にきな臭さが増すにつれ、企業城下町は姉妹都市提携を相互防衛協定に発展させ、共同で武器などの輸入や製造も手掛けるようになった。
「で、泥沼化した内戦があっちこっちで起きたし、前から諍いがあったディケアとかは、周辺国や国連軍の協力で勢いを得て、この通りだ」
「ラキュス・ラクリマリス共和国の内乱終結後、和平が成立した国や地域は幾つもありますが、未だに紛争が続くところも多くあります。一応の決着を見た国も、まだ各地に武装勢力が潜伏し、政情不安で治安がよろしくない所ばかりです」
外務次官プンツォーヴィが、報告書を読み上げるような調子で付け加えた。




