1085.書庫での会議
ラクエウス議員は、ラゾールニクの【跳躍】で久し振りに王都ラクリマリスを訪れた。
近頃、ますます思うように動かなくなった膝を叱咤し、船頭とラゾールニクの手を借りてどうにか渡し船に乗り込む。七月も半ばを過ぎ、日射しは厳しいが、運河に吹く風はやさしく汗を拭ってくれた。
第二神殿の前で降り、杖を突いて歩く。
以前は一人で歩くことに不安はなかったが、今はラゾールニクが寄り添い、ラクエウス議員が何もない所で躓く度に支えられた。
暑さで流れる汗より、そんな冷や汗の方が多く、ラクエウス議員は自分に残された時間に思いを致し、足を前に出す。
書庫の中は涼しく、ホッと息を吐いた。
膝の痛みを堪えて階段を上がると、既に他の参加者が会議室に顔を揃え、雑談中だった。
「遅くなってしまいまして恐れ入ります」
「私たちが早くに着き過ぎただけですわ。お約束の時間まで、まだ十五分もありますよ」
歌手ニプトラ・ネウマエが笑顔で迎え、席を勧める。
「おや、呪医……」
「こんにちは。偶々別件で来たところ、フィアールカさんと会いまして」
「そうでしたか。よろしくお願いします」
呪医セプテントリオーとは初対面の者も居るが、既に場の空気はあたたまり、ラクエウス議員とラゾールニクを待つばかりだったらしい。ラゾールニクが扉を閉めて席に着くと、第二神殿のギームン神官が資料を配った。
今日の会合は建前上、音楽仲間の趣味の集まりだ。
ラクリマリス王国の外務次官プンツォーヴィの傍らにはギターがあった。ニプトラ・ネウマエはプロの歌手で、ギームン神官は、第二神殿付属合奏団の責任者であり、テノール歌手でもある。
ラゾールニクが荷物からラクエウス議員の竪琴を出し、空席に座らせた。
呪医セプテントリオーは、【歌う鷦鷯】学派の歌手ではないが、以前、歌手オラトリックスに癒しの呪歌を教えたくらいだから、彼自身も魔法の歌を歌えるのだろう。
ラクエウス議員は、トポリ大学教授の国際政治学者とラゾールニクが、音楽を嗜むかどうか知らないことに気付いた。
今は、七人の前に資料の束と「真の教えを」の楽譜がある。
ギームン神官が視線で促し、ニプトラが会議の始まりを宣言した。挨拶に続いて早速、議題に入る。
「お手元の資料は、特別番組『花の約束』に関するものです」
目次に目を通す。
ラクリマリス人の感想、ラクリマリス王国に避難中のネモラリス難民の感想、ネモラリス共和国カーメンシク市民の反応、そして、アーテル人の反応だ。
ラキュス湖地方に住まうキルクルス教徒の現状は、アーテル共和国だけでなく、ラクリマリス王国とネモラリス共和国、湖東地方で項目が分かれる。
キルクルス教団の動向と、星の標の動きもあった。
最後は、新曲「真の教えを」の今後の展開だ。
「お集まりのみなさんは、既に放送をお聞きですが、一般リスナーの受け止め方は様々でした」
アンケートの結果を見る限り、多様な意見は、国籍や立場だけで単純に一括りにできるものではなかった。アーテル人も、好意的な意見ばかりではなく、平和の花束を不信心者と罵る声が多く見られるようだ。
外務次官プンツォーヴィは、全員がざっと目を通すのを待って、次の項目に話を進める。
「複数の筋による調査で、ここ十年ばかりの間に我が国でも、キルクルス教への改宗者が確認されました。数は多くありませんが、力なき民の間で広まりつつあります」
「我が国にはインターネットの検閲や規制がありませんからね」
ギームン神官が卓上のタブレット端末を小突く。
「キルクルス教団はインターネットでの情報発信……布教活動に力を入れていますからね。この国で弱者として保護を与えられ、肩身の狭い思いをする人々が、その教えに触れて傾倒するのは無理もないことでしょう」
未だに呼称を明かさないトポリ大学の教授が、手許のタブレット端末に視線を向ける。ネモラリスからラクリマリスに亡命し、支援者にもらったそうだが、かなり扱いに習熟したようだ。
「彼らは本当に身を守る力のない正真正銘の弱者ですからね。肩身が狭いと言う一部の人たちの気持ちを汲んで保護を外せば、魔物などに食い殺されてしまいますよ」
一同、ラクリマリス王国外務次官の言葉に頷く。
外務次官プンツォーヴィは、声を潜めて続けた。
「それでですね。これはまだ、オフレコなのですが、国会議員ヤグアール先生の政策秘書の一人が行方不明になりました」
「捕食されてしまったのですか?」
呪医セプテントリオーが眉を曇らせる。
「政策秘書シストスは力なき民です。改宗の疑いが濃厚な人物として、当局が密かに監視中でしたが、ヤグアール議員に同行した外遊先で行方を晦ませました」
「まだ、みつからんのですかな?」
プンツォーヴィは、ラクエウス議員の質問に苦い顔で頷いた。
「ネモラリス共和国内でも、我らが自治区の外で、信仰を偽って潜伏する隠れ信徒がかなり勢力を広げております。一部は星の標と繋がり、テロ行為に手を染めておりました」
「ラクエウス先生たちが彼らの拠点を突きとめて、聖職者用の聖典を送ったところ、ネモラリス国内でのテロが止んだんでしたわね」
ニプトラの確認に、ラクエウス議員とラゾールニク、呪医セプテントリオーが同時に頷いた。
「ネモラリスの隠れキルクルス教徒も、はっきり断定できた個人が大勢居ます。その一人、パジョーモク議員が、ラクリマリス人の政策秘書シストスと同時期に姿を消しました」
ラゾールニクの報告に外務次官が目を瞠り、神官と国際政治学者は資料に目を走らせた。
「まだ、そのまとめには載せてませんよ。ネモラリス政府軍も、パジョーモク議員の身辺を洗って、現在、行方を追ってるそうですから、あっちも隠れキルクルス教徒だって気付いたみたいですね」
「姉からフィアールカさんに連絡があったそうだが、自治区の星の標も十人以上、同時に行方不明になったらしい」
ラクエウス議員の報告に視線が集まる。
「姉たちの予想では、ネミュス解放軍の襲撃前に自治区外へ逃がした妻子と合流するつもりなのだろうとのことだが、政府軍は未だに彼らを発見できておらんそうだ」
「逃げる途中で魔獣に食われたら、永久に行方不明だよね」
ラゾールニクが何でもないことのように言い、場に重い沈黙が降りた。
☆音楽仲間の趣味の集まり……前回の様子「774.詩人が加わる」参照
☆ギームン神官は第二神殿付属合奏団の責任者であり、テノール歌手……「813.新しい年の光」参照
☆歌手オラトリックスに癒しの呪歌を教えた……「805.巡回する薬師」参照
☆トポリ大学教授の国際政治学者/ネモラリスからラクリマリスに亡命……「750.魔装兵の休日」~「753.生贄か英雄か」参照
☆特別番組『花の約束』……「1014.あの歌手たち」~「1018.星道記を歌う」参照
☆ラクリマリス人の感想……「1023.特番への反応」参照
☆ラクリマリス王国に避難中のネモラリス難民の感想……「1032.王国側の反応」~「1035.越えられる歌」参照
☆ネモラリス共和国カーメンシク市民の反応……「1042.工場がアジト」、「1045.工場での放送」「1046.再放送の反応」参照
☆アーテル人の反応……「1023.特番への反応」「1026.関心が異なる」「1065.海賊版のCD」「1066.拡散した真実」参照
☆「真の教えを」の楽譜……「0987.作詞作曲の日」「1018.星道記を歌う」参照
☆ラクエウス先生たちが彼らの拠点を突きとめて、聖職者用の聖典を送った……「0958.聖典を届ける」「0959.敵国で広める」「0976.贈られた聖典」「0979.聖職者用聖典」参照
☆ネモラリス国内でのテロが止んだ……「0940.事後処理開始」~「0943.これから大変」「1020.この街の治安」「1041.治安と買い物」「1049.情報に飢える」参照
☆ネモラリスの隠れキルクルス教徒も、はっきり断定できた個人が大勢居ます……「624.隠れ教徒一覧」「625.自治区の内情」参照
☆パジョーモク議員が、ラクリマリス人の政策秘書シストスと同時期に姿を消しました……「0977.贈られた聖典」参照
☆ネモラリス政府軍もパジョーモク議員の身辺を洗って、現在、彼の行方を追ってる……「0996.議員捕縛命令」「0997.居場所なき者」参照
☆自治区の星の標が十人以上、同時に行方不明……「1038.逃げた者たち」「1080.街道の休憩所」参照




