1084.変わらぬ場所
コルチャークの治療は、【青き片翼】学派のセプテントリオーの予想通り、約一カ月掛かると言われた。故郷の村から遠く離れた王都ラクリマリスの西神殿付属施療院に入院する。
兄に付き添うメーラは【有翼の蜥蜴】学派の呪医から元通りになると宣言され、泣きながら繰り返し礼を言った。
「一回目の手術の後は、世話が大変だ。今から泣いてる場合じゃないぞ」
「何もかも自分でしなくちゃいけないなんてコトないからね」
「困ったコトがあったら、病室の【静鳴の呼鈴】で看護師を呼んでね」
施療院の呪医が笑顔で釘を刺し、看護師たちが兄妹を励ました。
「それから呪医、もしお時間あれば、少し手伝っていただけませんかね?」
「生憎、午後から予定が入っておりまして」
セプテントリオーがやんわり断ると、【有翼の蜥蜴】学派の呪医は、それ以上食い下がらなかった。
看護師が車椅子を押し、メーラと村長の息子が荷物を持つ。少し迷ったが、セプテントリオーも病室までついて行くことにした。
案内されたのは、泊まり込みで付き添える個室だ。
多くの傷や病は術を使えば即座に治る。呪医が多い病院は、こうした個室を多数備えるのが一般的だ。
ゼルノー市立中央市民病院は、呪医が【青き片翼】学派のセプテントリオーだけで、入院患者は主に病人だった。
科学の医療者も人手が足りず、基本的に大部屋で、個室の数は少なかった。
その勤務先も、昨冬の空襲で喪われ、立入制限のせいで、再建どころか瓦礫の撤去もまだだ。
セプテントリオーは看護師が兄妹に語る入院中の注意を聞き、王都ラクリマリスの西神殿付属施療院が、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代の体勢を維持できたことに安堵した。
……何故、こんなにも道が分かれてしまったのだろう。
看護師が、注意事項の説明を終えて病室を出た。
病室は、湖の民が四人居るだけで窮屈に感じられ、何となく息苦しい。
コルチャークは車椅子からベッドに落ち着き、メーラが自分の荷物を付き添い用のベッドに置いて、早速、教科書を枕元に出す。
村長の息子とセプテントリオーは、少し肩の荷が下りた思いで見守った。
荷物の整理が終わるのを待って、フィアールカに言いそびれたことを聞く。
「先程の運び屋さんは、仕事であちこちに行きます。入院中、また王都に来ることがあれば、あなた方のことをお願いしようと思いますが、どうされますか?」
「えっ? いいんですか? そんな……」
コルチャークが、期待と遠慮と警戒に言葉を濁す。
「勿論、彼女も商売ですから、何か対価を求められるでしょう。しかし、院内のことは医療者たちが看てくれますが、外のことは知り合いが一人も居ないのでは、何かと不自由だと思いますよ」
「さっきの人、もうすぐ会えるんですよね? 立替え用に色々持ってきましたから、その分も出しますよ」
村長の息子が申し出ると、兄妹はますます恐縮した。
コルチャークが顔を上げ、覚悟を決めた目で答える。
「大変厚かましいんですが、お願いしてもらっていいですか? ……働けるようになりましたら、必ずお返しします」
「入院代は思ったより安そうですし、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
村長の息子はやさしく微笑むが、メーラは無言で彼を見詰め、兄の手を握った。
兄妹は施療院、セプテントリオーと村長の息子は外で食べることになった。
「じゃあ、メーラ、看病大変だろうけど、呪医や看護師さんたちの言いつけをよく守るんだぞ。それと、勉強も忘れないようにな」
「ハイ! ちゃんと教科書とか持ってきました!」
無理に作った笑顔は、却って痛々しかった。
村長の息子が初診料の支払いを済ませ、二人でロビーを出ると、丁度フィアールカがこちらに来るのが見えた。
「お昼、まだよね? 神殿の前は混んでるから、裏のお店にしましょ」
初めての村人と久し振りに訪れたセプテントリオーは、フィアールカに任せてついて行く。
案内されたのは、施療院から近い小さな定食屋だ。街並に埋もれた目立たない店で、案内がなければ存在にも気付かなかっただろう。
小さな店で厨房を分けられません。
銅中毒防止の為、陸の民のご利用は固くお断りします。
扉脇の貼り紙のお陰か、昼時にも関わらず、半分以上が空席だ。
兄妹の世話を頼むと、運び屋はあっさり承知してくれた。
「報酬は……そうね、その村と、近くの街のことを詳しく教えてもらおうかしらね」
「何もない田舎ですよ?」
「情報はね、使い方によっては色々利用価値があるものなのよ」
村長の息子はしばらく思案顔で黙ったが、結局、質問さえ思いつけなかったらしく、話題を変えた。
緑青たっぷりの湖の民用定食を食べながら、この辺りの店について話す。
フィアールカがタブレット端末に地図や店の外観写真を表示させ、村長の息子はせっせと手帳にメモを取った。
「王都は都会だから、こんな便利な物があるんですね」
「アーテルなら、どんな田舎にでもあるわよ」
「えッ……じゃあ、さっきの情報云々って……」
「自分でじっくり考えてご覧なさい」
三人は、陸の民なら一食で中毒死しそうな定食を食べ終え、別々に会計して店を出た。
フィアールカは、村長の息子を連れて近くの商店街へ、陸地の歩道を行く。
セプテントリオーは、第二神殿行きの渡し舟に乗った。
久し振りに訪れたが、行き交う人は知らぬ顔ばかりだ。書庫を目指し、ゆっくり歩く。
程なく木の間に見えた書庫は、セプテントリオーが旧ラキュス・ラクリマリス王国軍の軍医だった頃と変わらぬ姿でそこにあった。
ここだけ、時が止まったように静かだ。
一歩中に入ると、古い本の匂いに次々と記憶が呼び起こされた。
二百年以上前のことで、借りた本の内容どころか題名も思い出せない。それなのにあの懐かしい日々の平和な光景は、涙がこぼれそうな程、鮮やかに甦った。
二階に上がると、ひとつきりの会議室は扉が開け放たれ、先客の姿が見えた。




