1083.初めての外国
「あ、あの、私、村じゃないとこって初めてで、王都って外国なんですよね? 湖南語通じるのかな? あっ、兄を治して下さってありがとうございます」
少女の表情が目まぐるしく変わり、荷車に横たえられた兄が苦笑する。
村長と彼の息子が荷車を引き、兄妹の母が荷物を抱えて不安げに隣を歩く。
レノ店長とメドヴェージ、パドールリクとクルィーロ父子も見送りに村の門まで来た。
子供たちは学校で、ソルニャーク隊長と老漁師アビエースはトラックで留守番、薬師アウェッラーナと葬儀屋アゴーニはアミトスチグマに跳び、アナウンサーのジョールチとDJレーフは特別講師として学校に呼ばれた。
村長と母親に支えられ、患者が村長の息子に背負われる。妹のメーラが母親から荷物を受け取った。
患者と母親、村長が同時に言う。
「呪医、よろしくお願いします」
「私は、道案内するだけですよ」
呪医セプテントリオーは、苦い思いを胸の奥に押し込んで微笑を作った。
「いえいえ、村の誰も王都の道順なんて知りませんから、助かります。何もない田舎なもので、大したお礼もできず大変心苦しいのですが、何卒、コルチャークとメーラをよろしくお願いします」
村長に名指しされ、兄弟が神妙な顔で呪医を見る。
結局、もうすぐ夏休みだからと言うことで、中学生のメーラが兄の入院に付添うことになった。
村の前を走るアスファルトの国道には、車が一台もない。燃料の高騰で減った交通量は、四眼狼の群のせいで途絶えてしまった。移動放送局プラエテルミッサのトラックとワゴンも足止め中だ。
近隣の村から狩人と自警団を集め、少しずつ駆除を進めるが、戦果は捗々しくないと言う。素材を採る為、死骸は各村で解体する。
四眼狼の群は、足止めの為の嘘ではないが、いつ、次へ移れるかわからない息苦しさがあった。
「呪医、ご安全に」
かつての患者メドヴェージに頷いて、兄妹の掌に【魔力の水晶】をひとつずつ乗せ、その手を握る。母親の今にも泣き出しそうな礼の声に送られ、呪医セプテントリオーは【跳躍】を唱えた。
瞬時に景色が変わり、四人は西の丘から王都を見下ろす。
初めて訪れた村人たちは、声もなく、水路が網の目のように巡らされた都に見惚れた。
「ラクリマリス王国とネモラリス共和国、それにアーテル共和国も、ほんの三十年くらい前までは同じひとつの国でしたから、言葉は問題なく通じますよ」
「そうでしたね。教科書に載ってたことと現実……なんだか、繋がらなくて」
呪医セプテントリオーが言うと、中学生のメーラは頬を染めて頭を掻いた。三人とも、半世紀の内乱後に生まれた若者ばかりだ。
「防壁の中に入れば、運河の渡し舟で施療院まで行けますから、もう少しの辛抱ですよ」
「ありがとうございます」
村長の息子が、ずり下がったコルチャークを背負い直す。兄妹を施療院に届けた後、買出しをして一足先に村へ帰る予定だ。
ゆっくりと丘を降り、王都の西門を潜った。
「これが運河……」
三人とも、教科書の写真でしか見たことがないと言葉を失う。
石積みの水路を細長い舟が音もなく滑る。
船頭の術で全く揺れず、共に走る風が心地よく、ここ数日の鬱々とした気持ちが剥がれて消えた。
メーラは瞳を輝かせるが、兄に遠慮してか、はしゃがず、一言も喋らない。コルチャークが妹を見詰める目は悲しげだ。
西神殿近くで降ろしてもらう。
「パニセア・ユニ・フローラ様のご加護がありますように」
下船を手伝った船頭は、足に包帯を巻いた患者の平癒を祈ってくれた。
兄妹が遠ざかる渡し船に手を振り、見えなくなるまで礼を言い続ける。
コルチャークを背負う村長の息子が、地上の道に向けた目を丸くした。陸の民の様々な色の髪が、都会の景色をより一層、賑やかに見せる。
「人……多いですね」
「平日ですから、そうでもありませんよ。施療院は神殿の敷地奥にあります」
「買出しの後、一人で防壁の外に戻れるか心配になってきました」
村長の息子はそう言いながらも、大きな神殿や建物の多い街並を見回して瞳を輝かせる。
「門は幾つもありますから、船着場の案内をよく見て、間違いなく乗れば出られますよ」
「何から何まで、ホントにありがとうございます」
セプテントリオーは、三人がはぐれずついて来るのを確かめながら、参拝客と難民が溢れ、平和な頃よりずっと人が多い神殿の敷地を通って施療院に向かった。
半世紀の内乱前から変わらぬ佇まいが視界に入り、ホッとする。
「あッ……!」
丁度、施療院から出て来た人物と目が合い、互いに声を上げた。
運び屋フィアールカが、足早に湖の民四人組に近付く。
「呪医、久し振り。何? 今、ここでボランティアしてるの?」
「いえ、今は移動放送局のみなさんと一緒にネモラリス島北東部の村を回っているのですよ」
「ふーん」
同族のフィアールカは、背負われた若者の包帯に視線を止め、訳知り顔で小さく頷いた。
「私はお薬を納品してきたとこ。丁度いいし、呪医、後で第二神殿の書庫に行ってくれない?」
「丁度いい?」
「お昼過ぎに会議があるの。時間あるんなら、私から話通しとくけど、どう?」
セプテントリオーは、フィアールカの瞳の底に光る意図を読み取り、頷いた。
「じゃ、決まりね。後でその村に送ってくれない? 場所覚えたいから」
「俺がお送りします! 帰るついでなので、大丈夫です」
村長の息子が勢い込んで言う。
フィアールカの目が、若者を瞬時に値踏みした。
「その代わりと言ってはアレですが、この辺りのお店のことを教えて下さいませんか? 買出しを頼まれたのですが、初めての土地なもので……」
「私は別にいいけど、初対面の人を信じてホイホイついてっちゃダメよ、坊やたち」
フィアールカが半笑いで言うと、三人は呪医を見た。
「移動放送局のみなさんともお知り合いですから、大丈夫ですよ」
村の三人はホッとして、同族の運び屋に頷いた。
「じゃ、受付が終わる頃合い見てここに来るから、一人でうろうろして迷子になんないでよね」
どうやらかなり忙しいらしい。一方的に言うと、小走りで行ってしまった。
☆中学生のメーラが兄の入院に付添う……「1061.下す重い宣告」参照
☆かつての患者メドヴェージ……「0017.かつての患者」参照
☆運河の渡し舟で施療院まで行けます……「735.王都の施療院」参照
☆第二神殿の書庫……「1036.楽譜を預ける」参照




