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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三十八章 理趣

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1082.自力で癒す傷

 呼吸をする度に胸の傷が疼く。

 量は多くないが、出血は止まず、じわじわ肌を伝い落ちてズボンを染めた。


 ……ベッド……汚れる?


 熱を持ち始めた傷が、鼓動に合わせて存在を主張し、思考がまとまらなくなってきた。洗ってもらった傷を汚れたハンカチで押さえるのも、痛む箇所に触れるのも抵抗がある。

 立ち上がって貧血を起こせば、倒れてもっと部屋を汚しかねなず、浅く呼吸するばかりで、身動きひとつ取れなかった。



 どのくらい経ったのか、不意に隣の部屋に人の気配が現れた。

 首を巡らすのも億劫だ。

 クラウストラの声が【操水】を唱えるのが聞こえた。

 足音と一緒に清涼な香りが近付いて来る。


 どうにか顔を向けると、クラウストラはロークの鞄と先程のマグカップを持ち、宙に浮かせた香草茶を連れていた。

 ベッドに鞄を置き、もう一度【操水】を唱える。

 カップから水が起ち上がり、ロークの傷を洗う。その冷たさが心地よく、少し意識がはっきりした。

 水が腹を伝い、ズボンを洗って離れる。空いたカップには香草茶が収まり、ロークの前に差し出された。


 「持てるか?」

 ロークはゆっくり息を吸い、香気を胸いっぱいに取り込んだ。

 意識的に肩の力を抜き、【化粧】の首飾りを握った手を開く。指がぎこちなく動き、壊れた首飾りが床で乾いた音を立てた。


 「後で拾うから、カップを持て」

 クラウストラが力ある言葉で何か言うと、ハンカチを握った手が水に包まれた。こちらもどうにかハンカチを離せた。汚水に連れて行かれたハンカチが、水流の中でくねりながら血の染みを手放す。

 彼女は、ロークの右手にマグカップの把手(とって)を握らせ、もう一方の手を取って添えさせた。両手でも酷く重く感じる。


 「ハンカチを洗う間に飲んでくれ」

 返事も待たずにハンカチを含んだ汚水を連れ、行ってしまう。

 ロークはゆっくり息を吐き、マグカップをどうにか口許まで引き上げた。

 出血の量は減ったが、まだ滲むのが感じられた。

 ぬるくなった香草茶を少し口に含み、湿り気を口全体に行き渡らせる。飲み始めると止まらなくなった。

 クラウストラが空のカップを受け取り、代わりに【魔力の水晶】を握らせて隣室へ行く。


 ……これだけ大きかったら、【水晶】だけで何とかなるよな。


 ロークは、呪医セプテントリオーに教えられた呪歌と同時にランテルナ島の庭園を思い出した。

 力ある言葉で小さく歌うと、【魔力の水晶】を握る手があたたかくなった。


 「青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て

  翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を……」


 どこか遠い所から風が吹くのが感じられたが、閉め切られた部屋の遮光カーテンは、そよとも動かない。

 目を閉じてゆっくり歌う。


 「泣かないでね この痛みすぐ癒す 今から心こめ癒すから

  命 繕って 苦しみ去って 元気になった 見て ほら……」


 瞼の裏に光が見える。風は身体の奥から吹くようでもあった。

 風が胸を吹き抜ける度に痛みが引いてゆく。


 ランテルナ島の拠点で一緒に練習した仲間の顔が次々浮かぶ。

 外界から隔離された【結界】内に建つ別荘は、いつ、武闘派ゲリラが戻るかわからない緊張感はあったが、他のアーテル領よりずっと「平和」だった。

 薬師(くすし)アウェッラーナとは、つい先日会ったばかりだが、他のみんなはどうしているのか。

 仲間を思い出す度に集中が乱れ、風が弱くなる。


 「……青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て

  翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を」


 それでもどうにか、長い呪歌を最後まで間違えずに歌えた。


 ……久し振りに歌ったけど、意外と覚えてるもんだな。


 ロークはそっと瞼を上げ、視線を下げた。

 出血は止まったが、牙で裂かれた傷は完全には塞がらず、炎症も残った。ルフス光跡教会で、何人ものキルクルス教徒を食い殺した直後の牙だと思い出し、背筋が凍った。



 クラウストラが、向かいのベッドの下にある抽斗(ひきだし)を開ける。取り出したのは、黒無地のTシャツだ。

 壊れた首飾りを拾い、ロークの胸をまじまじと見た。

 「着替えを手伝おう」

 「あ、いえ、自分で……」

 有無を言わさぬ圧力に負け、ロークは命令に従った。

 夏物のジャケットをするりと肩から外され、破れたTシャツが傷に触れないよう、裾を(めく)られる。両手を上げ、破れた服を抜き取ると、クラウストラは自分のバッグからキッチンペーパーとガムテープを取り出した。


 「薬局が閉まっていたのでな。こんな物しか調達できなかったが、ないよりはマシだ」

 「あ、いえ、ありがとうございます」

 中途半端に治った傷を新品のキッチンペーパーとガムテープで保護され、誰の物かわからないTシャツを着せられた。

 ベッド下収納から出した割に湿っぽさはない。


 ……ちょくちょく洗濯するくらい利用頻度高いのか?


 「鞄、ありがとうございます。どうやって回収したんですか?」

 「タクシーで行って、フロントにキーを見せ、光跡教会で魔獣に襲われて入院したから、宿泊をキャンセルすると言っただけだ」

 「えっ? それだけですか?」

 「私のこの顔は、一緒に居る姿が防犯カメラに記録されているからな。泣き真似に随分、同情された」

 ロークは微妙な気持ちで、長命人種の魔女を見た。


 「タクシーで病院に行き、その車輌が別の客を乗せて去ってから、物陰で【跳躍】した。……そんなに気になるか?」

 「えっ? えぇまぁ、待ってる間ずっと、考えてました」

 隠すまでもなく、正直に答える。

 「そうか。その【水晶】は持っておくといい。今後も何かと使えるだろう」

 「いいんですか? こんな大きいの」

 「値段は気にしなくていい。もらい物だ。私は別件で出掛けるが、明日の朝には戻る。冷蔵庫の物は好きに食べてくれて構わん」


 どこに行って何をするか、聞いてはいけない気配を感じ、ロークはクラウストラの【跳躍】を見送った。

☆呪医セプテントリオーに教えられた呪歌……「348.詩の募集開始」「349.呪歌癒しの風」参照

☆ランテルナ島の庭園……「320.バーベキュー」「345.菜園を作ろう」参照

☆外界から隔離された【結界】内に建つ別荘……「228.有志の隠れ家」「318.幻の森に突入」参照

薬師(くすし)アウェッラーナとは先日会ったばかり……「1063.思考の切替え」参照

☆私のこの顔は、一緒に居る姿が防犯カメラに記録されている……「1069.双頭狼の噂話」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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