1079.街道での司祭
あれから数日、雨天続きや葬儀などで延び延びになったが、フェレトルム司祭はクブルム街道の見学を忘れなかった。
クフシーンカは、聖職者の衣ではなく、ハイキング用の軽装で来た司祭の説得を諦め、山行きの支度を整えた。
「車が入れるとこまでお送りしますよ」
「よろしいんですの?」
菓子屋の店主の申し出に恐縮する。
戦争で仕事が減り、湖上封鎖で燃料や材料が高騰し、ネミュス解放軍の襲撃で彼も店舗を失った。
「いいですよ。自治区を少しでも良くするの、お手伝いしたいんです」
「何言ってんの、あんた! お手伝いで済まそうってのかい? 私らが、自分の手で、よくしてくんだよ!」
菓子屋の妻が店主の耳を引っ張り、金切声で言う。店主はバツが悪そうに頭を掻いた。
クフシーンカとフェレトルム司祭、シフトが休みの工員プラエソーは、菓子屋の車で裾野の広場まで送ってもらった。クフシーンカがここを訪れるのは、罹災者支援事業以来だ。
「俺も、ついてっていいですか?」
「ありがとうございます。ご一緒いただけましたら、心強いです」
クフシーンカが申し出を共通語に訳すと、フェレトルム司祭が笑顔で応じ、菓子屋の夫婦は揃って街道にもついて来ることになった。
行方不明になった星の標十一名は、まだみつからない。
政府軍の部隊が、ゼルノー市内の廃屋や、住民の一部が自主的に帰還したゾーラタ区を捜索したが、手掛かりひとつ掴めなかった。
彼らがクブルム街道を通った可能性について、区長だけでなく、クフシーンカたちや三人の司祭も、治安部隊には伝えなかったからだろう。
リストヴァー自治区が、ウヌク・エルハイア将軍と和平を結び、クブルム街道を使ってネミュス解放軍と情報交換を始めた件は、まだネモラリス政府軍に知られるワケにはゆかない。
他にも、運び屋フィアールカとその仲間の平和を目指すボランティアや、ゾーラタ区民とも交流を始めた。
今の状態で、キルクルス教徒の自治区が、彼ら魔法使いたちと手を組んだことを知られては、どんな疑いを掛けられるか知れたものではない。
最悪の場合、自治区が政府軍の攻撃を受けるかもしれないのだ。
裾野の緩い坂は、杖を突いて自力で歩く。
木々に囲まれた道は吹く風が心地よく、クフシーンカの老体にもそれ程、苦にはならなかった。
針子のアミエーラと別れた場所に着き、あの日を思い出した足が重くなる。
「店長さん、そろそろ疲れたッスよね? おんぶしましょう」
「いえ、私がお願いしたのですから、私が」
工員プラエソーが老女を気遣い、おんぶしようと背を向けると、フェレトルム司祭が前に出てクフシーンカの手を握った。
菓子屋の店長が苦笑する。
「店長さん、モテモテですね」
「ふふっ。年寄りをからかうもんじゃありませんよ」
「さ、店長さん、どうぞ」
湖南語が殆どわからないフェレトルム司祭は表情を変えず、クフシーンカに背を差し出す。
遠慮しても仕方がない。素直に身を預けると、工員プラエソーが杖と荷物を持ってくれた。
一行は、蝉の声が降り注ぐ石畳の街道をゆっくり進む。
罹災者支援事業で発掘した範囲は、報酬が出ない現在も、自治区民有志が清掃を続け、落葉ひとつなかった。箒も、別の罹災者支援事業で大量に作ったものだ。
薪や食べ物を求める者たちが、一行を追い越しざま、驚き混じりに挨拶する。
工員プラエソーと菓子屋の夫婦はともかく、老いた仕立屋の店長と大聖堂から来たエリート司祭がこんな所まで登るとは、夢にも思わなかったのだろう。
しかも、二人はいつもと違うハイキング用の軽装だ。中には、本物なのかと訝る目を向ける者さえあった。
北ザカート市方面に続く西行きの道と、ラクリマリス領へ行く南の道がある分岐の広場に出た。
自力で歩いた四人は勿論、背負われてきたクフシーンカまで汗だくだ。
「休憩しましょう」
誰からともなく声が上がり、石畳に腰を降ろす。
隅に拾い集められた薪が積まれ、数人が蔓草で束ねる作業中だ。
「こんにちは。ミナさん、おツカレさまデす」
「司祭様、こんにちは」
「なんだってこんなとこに?」
フェレトルム司祭が汗を拭い、薪の山で作業中の者たちにたどたどしい湖南語で声を掛けた。
「みなさんから色々ご相談された時、この自治区のことをよく知らなければ、きちんとお答えできませんからね」
共通語の答えをクフシーンカが訳す。
「そいつぁどうも」
「ありがとさんです」
「これが、東教区の掲示板にあった“共有の薪”なんですね?」
フェレトルム司祭が物珍しげに聞き、クフシーンカは逐一通訳した。男性たちが同時に頷く。
広場の一角に積まれた枯れ枝の山は、腰くらいの高さがあった。
主に薪を使用する東教区の住民らが話し合いを重ね、クブルム街道やその周辺で拾った薪や、道の整備で伐った木は、共有財産扱いすると決まった。
一旦、街道の広場や休憩所に集め、一度に持って降りられるのは、一人につき一束までだ。
約束事は、東教区の掲示板に貼り出された。
仮設住宅やアパートは、一棟毎に共用の竈があり、煮炊きはまとめてした方が燃料を節約できる。
クブルム街道を掃き清める者、薪を拾う者、束ねて運ぶ者、みんなの食事を調理する者……いつの間にか、共同住宅住民に役割分担と一連の共同作業ができあがった。
作業の負担割合の差で不満は多く、教会に持ち込まれる揉め事の仲裁は多いが、少なくとも、開戦前のようにどれだけ働いても、できたてのあたたかい食事が口に入らないなどと言うことはなくなった。
クフシーンカたち一行は、水筒の水を飲むと、薪を束ねる者たちを労って先に進んだ。
ラクリマリス領へ降りる南の街道は、ネミュス解放軍が手配した術者たちも発掘しなかった。
道標はあっても、力なき民が安全に歩けるのは、北ザカート方面へ向かう道しかない。
クフシーンカは、若きエリート司祭の背から、クブルム山脈を東西に貫く古い街道の先を見詰めた。
☆あれから数日/フェレトルム司祭はクブルム街道の見学……「1007.大聖堂の司祭」「1008.動かぬ大聖堂」、「行方不明になった星の標十一名」参照
☆ネミュス解放軍の襲撃で彼も店舗を失った……「918.主戦場の被害」「0940.事後処理開始」参照
☆裾野の広場……「480.最終日の豪雨」「556.治療を終えて」「898.山路の逃避行」参照
☆罹災者支援事業……「419.次の救済事業」「420.道を清めよう」「442.未来に続く道」「453.役割それぞれ」参照
☆行方不明になった星の標十一名……「1038.逃げた者たち」参照
☆リストヴァー自治区が、ウヌク・エルハイア将軍と和平を結び……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」、「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
☆クブルム街道を使ってネミュス解放軍と情報交換を始めた件……「0939.諜報員の報告」参照
☆運び屋フィアールカとその仲間の平和を目指すボランティアや、ゾーラタ区民とも交流を始めた……「0940.事後処理開始」「0941.双方向の風を」参照
☆針子のアミエーラと別れた場所……「099.山中の魔除け」「100.慣れない山道」参照
☆箒も、別の罹災者支援事業で大量に作った……「294.弱者救済事業」参照
☆分岐の広場……「102.時を越える物」「556.治療を終えて」参照




