1078.交渉材料確保
黒髪の少女が、説教壇の脇で傷を押さえて蹲る少年の肩に手を置き、【跳躍】を使った。
二人の姿がルフス光跡教会の礼拝堂から消えた途端、魔装兵ルベルは脇腹を小突かれた。
「いつまで呆けておる気だ。確保するぞ」
「は、はい!」
ラズートチク少尉は堂々と通路を歩き、【魔道士の涙】の記憶と悲しみに囚われて涙を流すパジョーモク議員に近付いた。議員の手から銀の燭台を取り上げ、長椅子の列に放り投げる。
甲高い金属音で、レフレクシオ司祭が血の気の失せた顔を上げた。
「ありがとうございます。あなた方は……」
少尉は司祭を無視して礼拝堂の奥へ進んだ。ルベルも応えず、パジョーモク議員の手首を掴んで強引に歩かせる。
たくさんのサイレンが近付いて来た。
議員が振り解こうともがくが、魔装兵ルベルにとっては、そんな抵抗はないに等しい。
ラズートチク少尉は、立派な椅子の横で放心するシストスの肩を抱き、【跳躍】を唱えた。
二人の姿が消えたのを見届け、ルベルは足下を確認した。説教壇の周囲には【消魔の石盤】がない。ひとつ深呼吸して行き先を思い浮かべると、いつもよりゆっくり【跳躍】の呪文を唱えた。
「鵬程を越え、此地から彼地へ駆ける。
大逵を手繰り、折り重ね、一足に跳ぶ。この身を其処に」
「何だ君たちはッ? ここはどこだッ?」
魔装兵ルベルが手を離した途端、パジョーモク議員がわめいた。
教えていいものかわからず、先に跳んだラズートチク少尉を窺う。少尉は穏やかな微笑で答えた。
「ここはネーニア島のネモラリス領ですよ。パジョーモク先生」
「何ッ?」
「アーテル・ラニスタ連合軍の空襲で焼き払われて、市民は残ってませんがね」
シストスが、蒼白な顔で殺風景な部屋を見回し、窓に飛びついた。ガラスは全て爆風で砕けたが、鉄格子は健在だ。ラクリマリス人の政策秘書が、がっくり膝を落として床に座り込む。
この雑居ビルは、ネモラリス政府軍が接収し、【巣懸ける懸巣】学派の工兵が応急修理した。北ザカート市東部に位置し、レサルーブの森での魔獣狩りや素材採取の拠点として活用中だ。
倒壊せずに済んだ周辺のビルも、民間の魔獣駆除業者などが住み着いた。同様に軍用素材の調達拠点にし、政府軍に協力を惜しまない。
現在の北ザカート市は、ルベルが思った以上に人が多かった。
ただ、電気、ガス、水道、電話は復旧しておらず、ネモラリス憂撃隊の拠点を壊滅させた後は、力なきは一人も居ないと考えていいだろう。
ラズートチク少尉が、怯える二人にやさしく声を掛ける。
「危険ですから、建物の外へは出ないで下さいね」
パジョーモク議員が、家具も瓦礫もない部屋を怯えた目で見回した。唯一の出入口は、大柄で強面のルベルが塞ぐ。議員は項垂れた。
……そんな怖がらなくてもいいのに。
何故か【化粧】の首飾りで変えた顔も強面だった。ルベルは内心傷付いたが、表情には出さず、二人を見詰める。
「我々をどうするつもりだ? 君たちは何者で、何の目的があって、こんな真似を? 私の名をどこで知った?」
「ひとつずつお答えしましょう。まず、先生のお顔とお名前は、新聞や選挙ポスターで拝見しましたし、演説も何度か拝聴させていただきましたよ」
「俺も、リャビーナで演説、見ましたよ」
ルベルも、何か言った方がいいかと思って言い添えたが、誰も反応しない。
ラズートチク少尉が続ける。
「我々は勿論、お二方の命の恩人ですよ」
「ふざけるな! 何の目的が……誰の差し金だッ?」
魔装兵ルベルとラズートチク少尉は陸の民だ。
今は【化粧】の首飾りで顔を変え、外からは「普通の夏服」に見えるよう呪印を隠した【鎧】を纏う。
少なくとも、ウヌク・エルハイア将軍率いるネミュス解放軍だとは思わなかったようだ。陸の民の勢力は、政府軍の他にも色々あって、絞り切れない。
ラズートチク少尉が気の毒そうな声音を作る。
「恐ろしい目に遭ったばかりで、気が立っておいでのようですね。ご覧の通り、何もないところですが、建物の中でしたら安全です。空襲で街の防壁が失われて危険ですから、くれぐれも、この建物から出ないで下さい」
政策秘書シストスが窓に貼りついたまま振り向く。
「私は、ラクリマリス人なんです」
「そうですか。それでは【跳躍】でご自宅に帰れますね」
少尉がとぼけると、シストスは無言で頭を振った。
「ここは魔獣狩りの拠点なんですよ。後で水と食料、毛布をお持ちします」
ラズートチク少尉が一息に距離を詰め、パジョーモク議員の肩を親しげに抱いて【制約】を唱えた。呪文に織り込んだ禁止事項は「この建物から出ること」だ。
シストスが息を呑み、頭を抱えてへたり込む。
パジョーモク議員は少尉を突き飛ばし、両手で自分の身体を撫で回した。異常がないとわかると、大きく息を吐いて聞く。
「何をした?」
「どうやら、信用されていないご様子でしたので、安全の為、この建物の外へお出掛けにならないようにさせていただきました。何せ、空襲のせいで防壁がないものですから、日中でもこの近くまで魔獣が来ることがあるのですよ」
「放置された瓦礫の影に昼間でも雑妖や魔物が居て、力なき民の人が出歩くの、ホント危ないんですよ」
ルベルの言葉で、シストスが観念したように項垂れた。
少尉は政策秘書にも【制約】を掛け、思い出したように答えを与える。
「そうそう、我々の目的でしたね。あなた方が何故、アーテル領の教会で礼拝の手伝いをしていたのか、知りたいだけですよ」
「知ってどうする気だ?」
「内容次第ですね。妙な気を起こしても無駄ですよ。我々魔法使いは、あなた方の言う“悪しき業”で、死体からでも情報収集できますからね」
魔獣に捕食され、死体が残らなければ【鵠しき燭台】は使えない。
ラズートチク少尉が愛想良く言う。
「建物の中は自由にお使いいただいて構いません。魔獣狩りはむさ苦しいおっさんばかりですが、みんな気のいい連中ですよ。話し相手くらいにはなるでしょう」
魔装兵ルベルは、少尉に促されて廊下に出た。二人並んで階段を降りる。
この雑居ビルは三階建てで、二人を置き去りにした部屋は二階だ。
一階の奥に入る。
数人の魔装兵が武器の手入れをしながら雑談していたが、少尉に気付いて敬礼した。全員、民間業者の【鎧】姿だ。
「予定通り、二人を確保した。私は本部へ報告に行く。手筈通り、民間業者のフリで話を合わせよ」
「はッ!」
陸の民の魔装兵は、背筋を伸ばして敬礼した。
「お前はここから憂撃隊の拠点を監視して待て」
「了解!」
ルベルも敬礼し、ラズートチク少尉の【跳躍】を見送った。
☆大柄で強面のルベル……「393.新たな任務へ」参照
☆ネモラリス憂撃隊の拠点を壊滅させた……「911.復讐派を殲滅」参照
☆放置された瓦礫の影に昼間でも雑妖や魔物が居て……嘘ではない「367.廃墟の拠点で」参照
☆憂撃隊の拠点を監視……こっちはまだある「840.本拠地の移転」参照




