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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三十七章 惻隠

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1077.涸れ果てた涙

 ロークは突然、深い悲しみに襲われ、説教壇に身を預けて深く息を吐いた。


 ……シルヴァさんだって? じゃあ、これ【魔道士の涙】の記憶?


 胸の傷をハンカチで押さえるだけで精いっぱい、とめどなく流れる涙を(ぬぐ)うこともできない。

 ゲリラの【涙】を【光の槍】で撃ち抜いたクラウストラも、呆然と双頭狼(そうとうろう)を見詰めた。



 <アーテルの爆撃機がいきなりやって来て、街も家族も職場も友達も故郷(ふるさと)も、何もかも焼かれたんだぞ? 俺らが一体、何したって言うんだ?>



 脳裡(のうり)に街を焼く炎の壁が広がる。

 ロークは、あの日の運河を思い出し、震えが止まらなくなった。



 <やっと半世紀の内乱が終わって、平和になったと言うのにね>

 <そうだろ? 俺の子は内乱中にみんな殺されてな。平和になってから生まれた末っ子がやっと一人前になって、春に婚礼衣装を着る筈だったんだ。それなのに、何もかも、アーテルの連中に焼き払われて……>



 ロークは、自分の物ではない悲しみに胸を締め付けられ、涙が溢れた。

 民家が燃え盛り、人の群が影絵のように立ち尽くす。

 誰かが呪文を唱え、人影がひとつ、またひとつと炎の壁の前から消えた。



 <わかるわ、その気持ち。私もね、内乱が終わるまで生き延びられた身内は、真ん中の息子と従兄(いとこ)だけなのよ>

 老婦人シルヴァの声が、静かに悲しみを打ち明ける。

 <平和になって、息子が所帯を持って、孫が生まれて、やっと幸せが戻ってきたと思ったのにね>



 老婆の声が脳裡に響いた。

 何もない焼け跡に這いつくばり、何日も捜し続けてやっと大切な家族の【魔道士の涙】をみつけた。

 灰の中で背を丸め、小さな【涙】を抱いて、いつ果てるともなく涙を流す。

 老女の涙が涸れ果てても、悲しみは終わらなかった。


 礼拝堂内のあちこちで啜り泣く信徒が、詫びの言葉を祈りのように唱える。



 <アーテルの空襲で何もかも失って、もう涙も涸れ果ててしまったわ>

 <許すもんか。あいつら、絶対、許しちゃダメだったんだ>

 <そうね。国を分ける和平なんて、まやかしだったのよ>

 <内乱中も、こんな無差別爆撃やら毒ガスやらで、戦う力のない子供まで皆殺しにした癖に……何が()しき(わざ)だ! 化学兵器で大量虐殺するのは悪くないって言うのか!>


 生前、メドソースと呼ばれた男性の声が、憤りに震える。

 ゲリラの勧誘員シルヴァが感情の籠もらない声で告げる。


 <キルクルス教徒はね、聖典を根拠に私たち魔法使いを殺すことを正当化するから、罪悪感なんてカケラもないのよ>

 <許さない……絶対、許さない、死んでも許すもんか>



 憎悪ではない。

 絶望と悲しみが重くのしかかり、ロークは床に膝を突いた。



 <ポーチカ姉さんは、僕の点数が足りなかったせいで、大司教に賄賂として贈られたんです。ルフス光跡教会の働きかけで、中等部から神学校に入学できましたけど、こんな汚いやり方……>

 ヂオリートの声が頭に響く。



 今、礼拝堂に居るヂオリート自身は、レフレクシオ司祭を見詰めて動かない。

 彼らの向こうで双頭狼(そうとうろう)が灰になる。



 <そうなの? なら、坊やにこれをあげるわ>

 <これは?>

 <魔法の宝石よ。きっとお姉さんの力になってくれるから、持って行ってあげなさい>


 シルヴァの声はとてもやさしく、悲しみに凍えた心に染みた。


 <お嬢ちゃん、あんた、俺の娘と同い年でそんな>

 <いいんです。私なんかもう。本当の私は、きっと両親と一緒に魔獣に食べられて、今の私は、育ててくれた親戚に恩返しする為だけに居る……幽霊みたいなものですから>

 女性の声は淋しげな笑いを転がした。


 男性の声が気遣う。

 <でも、お嬢ちゃん、あんた、泣いてるじゃないか>

 <いいえ。嬉しいんです。メドソースさんが私に力を貸してくれたから。大司教様にも、他の司祭様たちにも、たっぷり仕返しできたんですもの>

 女性の声が喉の奥で笑った。


 <私は力なき民だから、何をされても何もできなかったし、育ててもらった恩があるから、逃げられもしなかったんですよ。ねぇ? 司祭様、痛い? 私がどんなに苦しんだか、わかります?>

 笑いを含んだポーチカに応える声はない。


 <俺も、お嬢ちゃんが居なけりゃ、こんな上手く復讐できなかった。アーテルの軍を動かした連中を始末できたのは、お嬢ちゃんが身体貸してくれたお陰だ>



 予想通り、ネモラリス憂撃隊のメドソースが残した【魔道士の涙】と、ポーチカは、アーテル共和国のキルクルス教団と言う共通の敵が居ることで協力し、復讐して歩いたらしい。

 アーテルの政治家や政府要人は、教団との繋がりが強固だ。



 ポーチカの声が揺れる。

 <でも、殺しても、殺しても、まだ心が晴れないの。私に直接手を出した人たちは、もうみんな殺したのに、まだまだ殺し足りないの>

 <軍人も政治家も、そいつらを支持する連中も、まだまだ居る……>

 <この国の司祭様たちをみんな殺したら、すっきりすると思いますか?>


 不意に、メドソースの声から激情が消えた。

 <それはわからんよ……この涙の雨が止めば、いつか、ひとつの花が咲くかも知れないけどな>

 <それがフラクシヌス教の教えなんですか? 私もアーテルなんかじゃなくて、そっちで生まれてたら、こんなことにならなかったのかな……?>



 礼拝堂に人々の啜り泣きが響き、誰一人として動けないでいた。

 双頭狼(そうとうろう)を魔法で攻撃した男性二人も、頭に直接響く声に意識を向けるらしく、宙を睨んで動かない。



 <お嬢ちゃん、あんたはまだ生きてる。生きてさえいれば、その内>

 <私はもういいんです。こんな大勢の人を殺して、血塗(ちまみ)れの手で、お花ひとつ分の幸せだって、持っちゃいけないんです。いっそ魔獣にでも食べられて、私が丸ごと消えてなくなれば、すっきりするかも>



 【魔道士の涙】の破片が輝きを失い、頭に響く声が聞こえなくなった。

 「姉さん! ポーチカ姉さん!」

 ヂオリートが床に散った灰を掻き集めて嗚咽を上げる。


 クラウストラが、ロークの傍らにしゃがんだ。

 「ひとまず、拠点へ跳ぶ」

 「あッ……荷物……!」

 「回収は、治療を終えてからだ」

 耳元で囁き、【跳躍】を唱える。


 もう何度も経験した軽い目眩に似た感覚の後、ロークの身はルフス光跡教会の礼拝堂ではなく、全く知らない部屋にあった。

☆【魔道士の涙】の記憶……「0003.夕焼けの湖畔」「236.迫りくる群衆」「925.薄汚れた教団」「0952.復讐に歩く涙」参照

☆あの日の運河……「0056.最終バスの客」~「0058.敵と味方の塊」参照

☆こんな無差別爆撃……「570.獅子身中の虫」、外伝「明けの明星」(https://ncode.syosetu.com/n2223fa/)参照

☆毒ガス……「359.歴史の教科書」「449.アーテル陸軍」「570.獅子身中の虫」「685.分家の端くれ」参照

☆アーテルの政治家や政府要人は、教団との繋がりが強固……「868.廃屋で留守番」「1067.揉め事のタネ」参照

☆こんな大勢の人を殺して……「0967.市役所の地下」「0998.デートのフリ」「1025.二人の犠牲者」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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