1076.復讐の果てに
「司祭様、しっかり!」
パジョーモク議員が、マイクスタンドをかなぐり捨ててレフレクシオ司祭に駆け寄る。
司祭を刺した人物は、まだあどけなさが残る黒髪の少年だ。血まみれのナイフを逆手に持ち替え、一気に振り下ろす。
黒髪の少女が連れと繋いだ手を振り解き、その手を蹴り上げた。
「司祭様に何てコトすんのよッ!」
「ヂオリート君?」
少女の連れの少年が呆然と呟いた声は、二列離れた通路の魔装兵ルベルにも届いた。
ナイフを手にした少年が、名を呼んだ少年を見上げる。少女がその頭に蹴りを浴びせ、衣に血を滲ませた司祭と少年の間に割り込んだ。
「あんた、星の標?」
「私に構わず、早く逃げなさい」
レフレクシオ司祭は、苦しい息を吐きながら避難を促した。片手を突いて身を起こし、大きく息を吐いてヂオリートと呼ばれた少年に向き直る。衣の赤い領域が広がったが、微笑を浮かべて言った。
「私は、君を許します。早く魔獣から逃げなさい」
「司祭様!」
パジョーモク議員が傍らに跪いて司祭を支えた。
ヂオリートが、深緑の目を大きく見開いて司祭を見る。振り上げたナイフをゆっくりと下ろしながら、視線を双頭狼に向け、蹴られて切れた唇に薄く笑みを浮かべた。
「姉さん、ここに居たんだね。ずっと……ずっと捜してたんだよ」
……犠牲者の弟……?
「あッ!」
魔装兵ルベルは、ナイフの少年が何者か思い出した。地下街チェルノクニージニクで同じ宿に逗留する少年だ。
双頭狼に食われ、魔獣の身に怨念を浮かび上がらせたのが、彼が捜し続けた姉なのだろう。
その怨念は、生きたまま喰われた苦痛によるものなのか、それとも、「偉い人の愛人にされた」件のせいなのか。
だが、この深い怨みの念がなければ、姉弟が再会を果たせなかったのだ。
いつ喰われたか不明だが、これではどれだけ捜しても、みつかる筈がない。魔装兵ルベルは、アーテル人の姉弟が気の毒になった。
ヂオリートの手がゆっくり持ち上がる。
「姉さん……でも、やっぱり、僕じゃダメみたい。だから、僕を食べて力をつけて、教会に復讐して」
刃が自らの喉元へ向かう。
双頭狼が、呆然と立つ少年の脇をすり抜け、少女を避けてヂオリートに飛びついた。パジョーモク議員が手探りで銀の燭台を拾い、片手で支えた司祭を庇って身構える。
姉の怨念を貼り付けた狼の口が、少年の細い首に向かったが、ルベルは動けなかった。
上官も無言で成り行きを見守る。
恐慌に陥った信者の悲鳴がやけに遠く聞こえた。
魔獣が首を横に大きく振る。
輝く何かがルベルたちの方へ飛んで来た。
硬い音を立て、手前の長椅子に何かが突き立つ。
ナイフだ。
ラズートチク少尉が、長椅子を一脚乗り越えて回収した。刃に呪印がある。
……チェルノクニージニクで買ったのか。
双頭狼は身を翻し、もう一人の少年に躍り掛かった。少年は躱そうと身を捩ったが、狼の牙が胸元をかすめた。夏物の服が何の抵抗もなく破れ、血と共に細い鎖が飛び散る。
「傷は浅い! 逃げるよ!」
少女が、床に腰を落とした少年の腕を引いて立ち上がらせる。少年は、千切れたペンダントを拾いながら腰を上げた。
「き、君たちッ、早く逃げなさい!」
パジョーモク議員が、銀の燭台を手に立ち上がり、少年少女を背に魔獣と対峙する。
「身の程知らずめが」
ラズートチク少尉は小声で毒吐き、長椅子をもう一脚乗り越えた。
「霹靂の 天に織りたる 雷は 魔縁絡めて 魔魅捕る網ぞ」
ヂオリートのナイフから雷の網が伸び、狙い過たず魔獣の身を絡め取る。
少女に手を引かれた少年が、魔獣の甲高い悲鳴に振り向き、ルベルは息を呑んだ。驚きに強張った顔は、先程とは全く別人だ。
……えっ? じゃあ、あれは【化粧】の首飾り?
その素顔にも見覚えがある気がしたが、いつ、どこで会ったのか思い出せない。
「何をしているッ? 【光の槍】を撃て!」
ラズートチク少尉に一喝され、魔装兵ルベルは現在の状況を思い出した。【急降下する鷲】学派の術はあまり得意ではないが、最低限、パジョーモク議員にだけは当てないよう、意識を集中する。
「想い磨ぎ 光鋭き槍と成せ!」
輝く魔力の槍は【紫電の網】に絡まって暴れる魔獣の胸部を貫き、床に触れて消えた。双頭狼は苦痛の声を上げ、暴れ続ける。
少女が説教壇の前で足を止め、ルベルと同じ呪文を唱えた。【光の槍】は弾道を曲げ、進路上の人間を避けて双頭狼の尾に命中した。
「あの女、お前より腕がいいな」
ラズートチク少尉が、ナイフを弄びながら通路に出る。その向こうで双頭狼が動きを止め、【紫電の網】が消えた。
砕けた【魔道士の涙】が散らばりながら最期の輝きを放つ。
<シルヴァさん、俺に死に場所をくれてありがとう>
<あらあら、お礼を言うのはまだ早いんじゃなくて? メドソースさん>
ここで言葉を交わすかのように、脳裡に人の声が響いた。
魔装兵ルベルは激しい悲しみに襲われ、涙がこぼれそうなのを堪えて礼拝堂内を見回すが、それらしい男と老女は見当たらない。
信者の泣き叫ぶ声が止み、取り残された人々が嗚咽を上げながら、礼拝堂内に視線を巡らせた。
☆犠牲者の弟/地下街チェルノクニージニクで同じ宿に逗留する少年/「偉い人の愛人にされた」件……「0945.食下がる少年」「1004.敵の敵は味方」参照
☆教会に復讐……「923.人捜しの少年」~「925.薄汚れた教団」参照
☆その素顔にも見覚えがある……「577.別の詞で歌う」~「579.湖の女神の名」参照
☆【急降下する鷲】学派の術はあまり得意ではない……別の物に当たった「609.膨らむ四眼狼」、狙っても当たらない「705.見張りの憂鬱」~「707.奪われたもの」参照




