1072.中途半端な事
「無原罪の清き魂が、聖なる星の道を見失いませんよう、悪しき業に手を染め、道を誤った者たちが正しき道に気付きますよう、迷い出た獣が在るべき場所へ還る道を辿りますように……聖者キルクルス・ラクテウス様、知の灯の清き光で、闇に在る我らと彼らの道を照らし、お導き下さい」
「知の灯の光をお与え下さい」
一際豪華な衣装を纏う聖職者が、説教壇で祈りの詞を唱え、礼拝堂に詰め掛けたキルクルス教徒たちが短く唱和した。
礼拝堂内は空調が効き、力なき民ばかりの信者たちは、すっかり汗が引いて顔色がいい。
魔装兵ルベルとラズートチク少尉は、ルフス光跡教会の礼拝堂に首尾よく紛れ込んだ。見様見真似で場をやり過ごしながら、捕縛対象を観察する。
長椅子の列と壁に挟まれた両脇の通路だけでなく、大扉前の通路も立ち見の信者でぎっしり埋め尽くされ、立錐の余地もなかった。
ルベルたちは椅子に座れず、扉を入って右端の通路に立って「夕べの祈り」とやらを眺める。
捕縛対象者の一人、ラクリマリス人の政策秘書シストスは、老人を手洗いに案内し、開始直前で礼拝堂に戻った。
今はルベルたちの対角線上、礼拝堂の前方左端の通路に立って、皆と一緒に祈りを捧げる。
……似顔絵、頑張ってよかった。
人々より頭ひとつ分、背が高いルベルは、色とりどりの頭越しに礼拝堂内の様子を見渡せた。これだけ人が居ても、ただ一色、湖の民の緑髪だけがない。
もう一人の捕縛対象、ネモラリス人のパジョーモク議員は、説教壇の脇でマイクを手に堂々と司会進行役を務める。
ルベルは先程から、声もなく呆れ続けた。
彼らが聖歌と称して歌ったのは、【歌う鷦鷯】学派の呪歌【空の守り謳】だ。力ある言葉ではなく、共通語で力なき民が歌ったのでは、何の意味もない。
ラズートチク少尉は、事前調査と練習をしっかり重ねたようで、堂々と歌い上げたが、勿論、共通語なので何の効果も現れなかった。
そもそも先に呪歌【道守り】で範囲を指定しなければならない。キルクルス教徒は知らないのか、それもしていないのだ。
礼拝堂の壁面や柱の彫刻に目を凝らせば、装飾に紛れて力ある言葉があった。
丹念に拾ってみると、どうやら【巣懸ける懸巣】学派の【結界】や【頑強】らしいが、ルベルたちが居るにも関わらず、効力が発動しない。
……建ててから一回も、起動の呪文を唱えてないのか。
もしかすると、半世紀の内乱中に敵対する力ある民の勢力のいずれかが侵入し、術を解除してしまったのかもしれない。
魔術を「悪しき業」呼ばわりする割にあちこちに取り入れ、まともに使わない。何故、こんな中途半端なのか、首を傾げたくなった。
「ご着席下さい」
豪華な衣装の聖職者が説教壇を降り、シストスの近くに置かれた立派な椅子に腰を降ろす。パジョーモク議員が促すと、信者らは緊張を解き、木製の簡素な長椅子に座った。
ルベルたち立ち見組は、壁にもたれて様子を見守る。
「続きまして、レフレクシオ司祭によるお話です」
最初に来て分厚い聖典を説教台に置いた若い司祭が、一礼して壇上に立つ。ステンドグラスの光を背にした姿は、神々しく見えた。
……あの二人、外の行列整理には出なかったみたいだな。
ルベルは礼拝堂をもう一度見回し、どうすれば捕縛対象に接触できるか考えた。
礼拝堂に入る際は、整列させられるので無理だろう。ここには【跳躍】避けの結界はないが、人が多過ぎて対象外のアーテル人を巻き込んでしまう。
……やっぱ、出る時かな? トイレに行きたいって案内させて。
「みなさん、こんばんは。本日は『平和を導く智恵の光』と題しまして、お話しさせていただきます」
ルベルとそう変わらない歳の司祭は、大勢の信者を前に堂々としたものだ。相当な場数を踏んだか、自分に自信があるのだろう。
何となく、インターネットでみたポデレス大統領の演説を思い出し、苛立ちを覚えた。
……何が平和を導くだ。戦争吹っ掛けて来たの、アーテルの癖に。
無意識にベルトのポーチを撫でる。
魔哮砲は【従魔の檻】に収まり、あのやわらかなぬくもりはなかった。
「聖典の光跡記、第三節、第一章の末尾をご覧下さい。“かくて、魔術に依る国々は滅び、新たなる光の国興る”」
大聖堂から派遣された若きエリート司祭が共通語で暗誦すると、信者たちは聖典の該当箇所を開いて音読した。
ルベルの手許には勿論、キルクルス教の聖典などない。
気マズくなって周りを窺った。
意外にも、聖典を持たない信者が多く、彼らは説教壇のレフレクシオ司祭を見詰めて微動だにしない。
「この“魔術に依る国々”とは、遙かな昔、アルトン・ガザ大陸に存在した国々を指します。彼らは悪しき業によって三界の魔物を作り出しました。その厄は世界を覆い、地形を変える程の猛威を揮い、人間だけでなく、多くの生命が喪われました」
信者たちが、レフレクシオ司祭の解説に深く頷いて理解を示す。
……この辺の認識は、俺たちと一緒なんだな。
「三界の魔物はアルトン・ガザ大陸に端を発した人間同士の戦争の為に作り出され、制御を離れてしまった生物兵器なのです。生物兵器群と人々の戦いは、数千年の長きに亘って続きました」
信者たちの顔が強張る。
椅子に座った高位の聖職者と、後ろに控えた他の聖職者や聖歌隊は、顔色ひとつ変えない。
レフレクシオ司祭はたっぷり一呼吸置いて、信者たちに言葉の意味が浸透するのを待った。
ルベルは信者の反応に内心、首を捻った。
「人々の努力と協力により、生物兵器“三界の魔物”は一頭、また一頭と駆除されました。そしてついに、その最後にして最大最古の一頭が封印されました。聖典巻末にございます地図をご覧下さい」
聖典を持参した人々が素直にページを捲り、持って来なかった付近の者たちに示した。




