1071.ルフスの礼拝
礼拝堂の扉は予定通りの時間に開いた。
大勢のキルクルス教徒が、名残惜しげに振り向きつつ前庭に出る。
ルフス光跡教会の下っ端聖職者や職員、ボランティアらが牧童よろしく人の群を誘導し、大きな混乱もなく礼拝堂を空にした。
職員らが会衆席から忘れ物を回収する。
炎天下で何時間も待ち続けた人々は、やっと涼しい礼拝堂に招じ入れられ、生き返ったような顔で席に着いた。
二人は、中央よりやや前寄りのなかなかイイ席に座れた。
クラウストラが物珍しげに礼拝堂内を見回し、ロークはひやりとしたが、アーテル人も初めて訪れた者が多いのか、タブレット端末で写真を撮る音がそこかしこから聞こえる。
「礼拝が始まりましたら、タブレット端末の電源をお切り下さいますよう、よろしくお願いします」
説教壇の脇に立った中年男性が、マイクを片手に呼び掛ける。
……あれっ? この声、どっかで聞いた?
ロークは目を凝らしたが、場所取りを終えてトイレなどに行き交う人が邪魔でよく見えない。諦めて端末のカメラを望遠し、一枚撮った。
「あッ!」
「どうしたの?」
「えっ? あ、ううん、何でもない」
ロークは撮ったばかりの写真を指差し、テキストを打った。
――パジョーモク議員です。
レーチカのパドスニェージニク議員宅のパーティーで見た顔だ。
パジョーモク議員も、秦皮の枝党幹部の一人だが、何故、アーテル領内の教会で堂々と礼拝の手伝いをするのか、見当もつかない。
「ふーん」
クラウストラは気のない返事をして、退屈そうに端末をいじりだした。画面を僅かに傾けてロークに示す。
――秦皮の枝党だな。
ロークは微かに顎を引き、目だけで周囲を窺った。
アーテルのキルクルス教徒は自分たちの用に忙しく、見える範囲で二人に注意を向ける者はない。
……ネモラリスで何かあったのか?
少し考え、ネミュス解放軍に隠れキルクルス教徒だとバレて逃げ出した可能性に思い到る。
説教壇の脇でマイクを握る彼は、演説で鍛えた巧みな弁舌を発揮し、夕べの祈りを待つ人々の暇を埋める。
話題はどれも、最近のニュースをネタにした当たり障りのない世間話で、ネモラリス人であることも、国会議員であることも全く臭わせなかった。
時間になり、礼拝堂右奥の扉が開く。
分厚い聖典を捧げ持つ若い司祭に続き、知の灯を象徴するランプを掲げた新任の大司教が、静かに礼拝堂へ入ってきた。
パジョーモク議員が注意を呼び掛けるまでもなく、潮が引くように会衆の私語が止んだ。
「只今より、夕べの祈りを執り行います。みなさま、ご起立下さい」
司会のパジョーモク議員が口調を改めて促すと、会衆は静かに木製の長椅子から腰を上げた。ロークとクラウストラも、周囲と一緒に立ち上がる。
続いて入った三人の司祭が、ハンドベルをひとつずつ持って説教壇の横に並び、その後ろに二十人程の聖歌隊が整列した。
先頭の司祭が、聖典を壇上の書見台に開いて置き、入れ違いに新任大司教が説教壇に立った。会衆を見回し、お決まりの口上を述べる。
「本日もお暑い中、これだけ多くの善男善女のみなさまにお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。テロや戦争、不況、その他、あらゆる闇の中にあろうとも、聖者様が点して下さった知の灯は、みなさまの道を明るく照らし、導いて下さいます」
「共に歌いましょう。聖歌の第二十四番です」
五十代半ばくらいの大司教は、言い終えるとランプを高く掲げた。
司会の声で、会衆が一般信徒用の薄い聖典のページを開く。紙が擦れる音の他は咳ひとつ聞こえない。
……えっ? 聖典なんて持ってないよな?
ロークが隣を窺うと、クラウストラはタブレット端末に楽譜を表示させ、背筋を伸ばした。とっくに調査済みらしい。
ホッとして前を向いた。この際、端末の電源を切れと言われた件については、聞かなかったことにする。
ローク自身は、実家では祖父、ルフス神学校では音楽の時間にガッツリ仕込まれた。楽譜を見るまでもなく、聖歌はすべて共通語で歌える。
三人の司祭が同時に銀製のハンドベルを振った。
高さの異なる音色が重なり、和音となって礼拝堂の高い天井に響き渡る。
「日射す方 光昇れる 東の 一日の初め……」
聖歌隊の揃った歌声にやや遅れ、会衆のたどたどしい歌が重なった。耳を澄ませたが、クラウストラの声は聞こえない。
……口パクでやり過ごすのか。
「輝ける 日輪の道を 天の原
蒼き美空に 障となる いかなるものも あらずして
天路の御幸 塞がれず 地を知ろしめす 日の御稜威……」
学派は知らないが、彼女は力ある民の長命人種で、魔法使いだ。
この聖歌……呪歌【空の守り謳】の呪文を共通語の歌詞に書き換えた曲は、却って歌い難いのかもしれない。
……しかもこれ、歌詞の意味考えたら、朝に歌うヤツだよな?
この呪歌は【道守り】の術で囲んだ範囲内の穢れを祓うものだ。
ユアキャストで、オラトリックスが難民キャンプの学習用に解説した動画を見たことがある。彼女はソプラノ歌手であり、【歌う鷦鷯】学派の術者でもある。
旋律は同じでも、共通語で歌ったのでは、何の効果も発動しない。
「風の通い路 吹き流れ 雲の通い路 流れ往き 鳥の通い路 翔けりゆく
日の光 普く照らす 一日の守り」
偉い人に言われれば、意味や内容を一切考慮せず、盲目的に従う人の群のただ中にあって、ロークは自身の孤独を思った。
歌が終わり、右端の司祭がハンドベルを一度、高く鳴らす。
「みなさま、悪しき業を用いたテロの犠牲者、並びに、異界より迷い出た穢れた獣の牙に掛けられた人々の為、魂の平安を祈りましょう」
新任の大司教は、ランプを壇上の灯火台に据えて会衆に呼び掛けた。




