1069.双頭狼の噂話
アーテル本土は一般車両の交通規制が継続中で、イグニカーンス発の長距離バスは渋滞に巻き込まれることなく、時刻表通り首都ルフスに到着した。
クラウストラがリストバンドを巻いた手を振る。
今日は黒髪をポニーテールにして例の青薔薇の髪飾りを付け、ジーンズにTシャツ姿で快活な少女を演じる。
「ローク君、久し振りー! 会いたかったよー!」
「久し振りー」
ロークは鞄の蓋を小さく捲り、蠍のブローチを見せた。
今回は、「夏休みに再会した親戚」のフリで通す。
「時間ないし、バスで話そっ!」
「うん」
クラウストラに手を引かれ、都内を巡回する路線バスに乗り換えた。最後部の席に腰を落ち着け、端末のメモで遣り取りする。
――既に知っているだろうが、ルフス光跡教会周辺に人を喰ったばかりの双頭狼が出る。
――多分、知り合いの身内で、食べられたんじゃなくて、取り込まれたんだと思います。
ロークは、ヂオリートが語ったポーチカの件と、シルヴァから聞いたネモラリス憂撃隊の現況について簡潔に語り、クロエーニィエ店長の予想を付け加えた。
――その神学生は?
――どこで何してるかわかりません。
――そうか。
オフィス街で降りてすぐ、ビジネスホテルにチェックインした。
クラウストラは、ルフスにも活動拠点があると言い、宿は取らない。
今のロークは、ギリギリ高卒の社会人に見えなくもないが、彼女はどう見ても、ビジネスホテルに泊まる大人には見えなかった。
……長命人種の大人でも、アーテルじゃ、外見のせいで行動範囲が限られちゃうんだな。
ロークは荷物を置き、施錠を確認して、外で待つクラウストラと合流した。手近の食堂で腹拵えをしつつ打合せする。
今回の目的は、ルフス光跡教会で行われる夕べの祈りに参加し、レフレクシオ司祭の説教を聞くことだ。大聖堂から派遣された若いエリート司祭で、その発言が何かと物議を醸す。
――神学生経験者と見込んで頼む。レフレクシオ司祭の発言が、教義に適うものか、どんな意図があって、これまで教団が伏せて来た事実をこの時勢に公表したのか探って欲しい。
――どこまでわかるか自信ありませんけど、頑張ります。
昼を少し過ぎ、客の入りは少ないが、隅のテーブル席に並んで座り、端末をつついて遣り取りする。
クラウストラは、アーテルの新聞やインターネットのニュース、SNSの書き込みなどからは、レフレクシオ司祭の発言を断片しか拾えなかったと言う。
礼拝の様子を録音、録画して動画共有サイトに公開する者は居なかった。マナーや信仰心からではなく、万が一、星の標に目をつけられたら、司祭と撮影者の身に危険が及ぶからだ。
彼女の協力者には、力ある民だとわかったアーテル人も居るが、一般信者ばかりで、キルクルス教の教義に詳しい者は居ないと言う。
「教会の近所うろついてる化け物、まだ退治されてないんだな」
「ホント、軍の連中、何やってんだよ」
近くの席で会社員二人組がぼやく。
食べ応えのありそうな体格の男性が、定食をぱくつきながら不満をこぼした。
「帰りに襲われたらどうしてくれるつもりだっつーの」
「ホント、残業とか勘弁して欲しいんだけど」
栄養不足が心配な相方が嘆く。昼食がこんな時間にずれ込むようでは、今日も日没までには帰れないらしい。
「いっそ、役所か警察が夜間外出禁止令でも出してくれりゃいいのに」
「それじゃ、会社に泊まる羽目になるぞ?」
「その方がマシだって。見なかったのか? ニュースのあれ」
「見たよ。最低二人は食われたってコトだろ?」
細身の男性が気味悪そうに頷く。
ロークとクラウストラは、黙々と定食を口に運んで会社員の話に耳を傾けた。
「イザとなったら教会に逃げ込めば……」
「夜は閉まってんだろ?」
細身の男性は、飲み掛けたスープを置いて首を横に振った。
「最近は夜でも礼拝堂だけ開けてくれてるんだ」
「いや、逆にさ、殺された司祭様たちの怨念が呼び寄せたって思わねぇ?」
細身の社員は、眉を潜めた恰幅のいい社員に明るい声を返す。
「ネットじゃそれで助かったってハナシがちょこちょこ出てるぞ」
「おいおい、ネタやでっち上げ九割じゃないか。真に受けんなよ」
苦笑を返されても、細身の社員は気分を害した様子はない。
「それでも、閉まってるよりは心強いよ。今まで教会の中まで入ってないみたいだし」
「でも、大司教様や司祭様たちは……」
「みんな、司祭館や道歩いてる時で、教会の中じゃなかったぞ」
「でも、俺、運動不足だし、逃げ切れる気しないし、早く帰りてぇよ」
さっさと食べ終えて仕事に戻ると決めたらしく、二人は急に食べる速度を上げ、無言で平らげた。
ロークたちも遅い昼食を終え、ルフス光跡教会へ向かった。
七月の暑さの中でも、教会前の歩道には長蛇の列が見える。
日傘や帽子だけでなく、折りたたみ椅子に座る者まで居た。
……このクソ暑いのに、いつから待ってんだ?
今はまだ午後の礼拝中で、扉が開くのは十五時半。先頭付近が「午後の礼拝で入り切れなかった者」なら、熱中症や脱水が心配になる。流石に慣れたもので、水筒を持参する者が多かった。
扉は空調の為に閉ざされたが、すぐ横のスピーカーからは、説教の声が流れる。二人の位置からは、街の喧騒に紛れてあまり聞き取れなかった。
隣を見ると、クラウストラは涼しい顔だ。軽装だが、中に呪文入りの服を着込んで来たのだろう。時々、大袈裟に暑そうな顔をしてみせ、ハンカチで顔を拭う。
ロークは、暑さで流れる本物の汗をハンドタオルで拭いながら、周囲の話に耳を傾けた。
連れと話す人々は、みんな何かしら悩みを抱えて饒舌だ。
子供の学校の件、受験の悩み、物価高でやりくりが大変なこと、親の介護が上手くゆかない苦労、親戚が失業してカネを無心されたが、自分たちもいつそうなるかわからない不安……
使えそうな内容は殆どなかった。
夕べの祈りは十七時から十八時。七月の今なら、帰りの時間帯もまだ明るい。
クラウストラは暇そうな顔で、タブレット端末をいじる。ロークもアーテル人の愚痴に見切りをつけてニュースサイトを開いた。
☆ヂオリートが語ったポーチカの件……「923.人捜しの少年」~「925.薄汚れた教団」参照
☆シルヴァから聞いたネモラリス憂撃隊の現況……「878.悪夢との再会」「879.深くて暗い溝」参照
☆クロエーニィエ店長の予想……「0952.復讐に歩く涙」参照
☆大聖堂から派遣された若いエリート司祭で、その発言が何かと物議……「1012.信仰エリート」「1013.噴き出す不満」参照
☆彼女の協力者には、力ある民だとわかったアーテル人も居る……「1001.蠍のブローチ」参照
☆ニュースのあれ……「1065.海賊版のCD」参照
☆殺された司祭様たち/みんな、司祭館や道歩いてる時……一回目「870.要人暗殺事件」、二回目「0998.デートのフリ」参照




