1068.居たい場所は
ロークは、運び屋フィアールカからクラウストラの伝言を受け、ゲンティウス店長に数日留守にしていいか聞いた。
「俺は別に構わんが、危ねぇ真似すんじゃねぇぞ」
「はい。それは大丈夫です」
スキーヌムは心細そうな目でロークを見たが、何も言わなかった。
……そう言や、一人で泊まんのって初めてなんだな。
ロークはスキーヌムの不安に気付いたが、彼が何も言わないので気付かぬフリで通した。
「じゃ、決まりね。これ、預かったバス券。指定席だから遅刻しちゃダメよ」
「はい」
フィアールカから、イグニカーンス発ルフス着の長距離バス乗車券を受取る。明日の早朝の便だ。
「坊や、お茶、ちゃんと淹れられるようになったのね。ご馳走様」
フィアールカが席を立ち、ひらひら手を振って店を出る。スキーヌムは淡い色の目を見開き、緑髪の後ろ姿を見送った。
「ありがとうございました!」
ロークがギリギリで礼を言ったが、フィアールカは小さく肩を竦めただけで、振り向かずに行ってしまった。残さず飲み干された茶器を小卓から下げ、まだ呆然とするスキーヌムに小言を言う。
「上達したって気が付いて、わざわざ褒めてくれたんだから、お礼くらい言わないと」
「あ……ッ!」
スキーヌムは夢から醒めたような顔で戸を見たが、勿論、緑髪の魔女はとっくに居ない。
「あ、あの、まさか僕なんかが褒められるなんて思わなかったので、聞き間違いか幻聴だと思って……ロークさんにも聞こえたんですね?」
……自己評価低過ぎィ!
スキーヌムの家庭環境を思えば仕方がない。ロークは努めて表情を変えずに言った。
「はっきり聞こえましたよ。今度来た時、忘れないようにお礼を伝えて下さい」
「はい! 一生忘れません!」
泣きそうな笑顔を向けられ、ロークは胸が痛んだ。
翌朝、ロークが目を覚ますと、スキーヌムは先に起きて、着替えまで済ませていた。
「出勤まで、まだ二時間以上ありますよ?」
「あの、バス停までお見送りさせていただいてもいいですか?」
ロークは頭を掻きながらベッドに身を起こした。
「明後日の夕方には戻……まぁ、現地の状況にもよりますけど」
「いけませんか?」
「遅刻しないなら、好きにしてくれて構いませんけど……」
泣きそうな目で言われ、ロークは続きを飲み込んだ。
……まさか、こんなに依存されるなんてな。
呪符屋のゲンティウス店長はぶっきらぼうだが、何かと親切にしてくれる。
スキーヌムも懐いたと思ったが、そうでもなかったようだ。まだ、フラクシヌス教徒の湖の民……魔法使いに対して、心を許せないのだろう。
元キルクルス教徒で力なき陸の民であるロークは、スキーヌムの事情を承知することもあって特別らしい。
昨日の帰りに買っておいた堅パンで朝食を済ませ、地上の街カルダフストヴォーに出る。スキーヌムは、【化粧】の首飾りで顔を変えたロークに黙ってついて来た。
七月の朝はすっかり明けて、雀たちが賑やかに囀る。
始発までまだ少しあり、ロータリーでは運転手が最終点検に余念がない。蝉の声はするが、湖上を渡る風はひんやり涼しかった。
南ヴィエートフィ大橋が朝靄に霞み、対岸のイグニカーンス市は見えない。
スキーヌムはロークではなく、乳白色に溶け込む橋を見詰める。二人は言葉を交わすことなく発車時刻を待った。
運転手が席に着き、エンジンを始動する。大型バスがぶるりと身を震わせ、排気ガスを吐き出した。
「じゃ、行ってきます」
「……お気を付けて」
スキーヌムが、何をしに来たか思い出したように小さく手を振る。ロークは義務的に振り返してバスに乗った。
始発の客はロークだけらしく、バス停には見送りのスキーヌムしか居ない。
……帰りたいのか? 殺す勢いで受け容れてくれない場所に?
扉が閉まり、バスは疑問を置き去りにして走りだした。
対岸で降り、長距離バスの乗り場でタブレット端末の電源を入れる。
クラウストラからのメールは、今日の顔写真とルフスのターミナルで待つと言う簡潔な連絡事項だけがあった。
ロークは腕を伸ばして自分を撮り、予定通りにイグニカーンスのバスターミナルに着いた旨を返信する。もうすっかり端末の扱いに慣れ、顔写真も忘れずに添付できた。
売店で紙の新聞を買い、いつものように車内で目を通すが、スキーヌムの泣きそうな顔がチラついて集中できない。
彼をランテルナ島に連れ出して半年以上経つが、まだ一度も呪符を作る手伝いをせず、力ある言葉を学ぼうともしなかった。
商品の呪符は、棚の位置と呪印などを絵として暗記したらしく、今のところ、売り間違いはやらかさずにいる。
頑なに【魔力の水晶】に触れないのは、心的外傷のせいなので仕方がないが、力ある民なのに、いつまでも魔力の制御方法を学ぼうとしないのは、いかがなものかと思った。
……あんな家に帰ったって、心を殺されるだけだし、神学校に戻ったって、信者に嘘吐いて「特別な司祭」とやらをしなきゃなんないのに?
特別な司祭になれば、魔法を修得させられる。
ランテルナ島でも本土でも、彼が「力ある陸の民スキーヌム・ファンドゥム」である限り、魔法からは逃れられないのだ。
呪符屋の店番としては、仕事を覚えようと懸命だが、まだまだ覚束ない。薬師アウェッラーナは結局、数日後に出直す羽目になった。
ロークがいきなり連れて来て他に選択肢がないから、仕方なく居るだけで、本心では魔法使いの店なんかで働くのはイヤで堪らないのかもしれない。
……じゃあ、他にどうやって生きて行く気だ?
地下街チェルノクニージニクにも、服屋や電器屋など、魔法の品がひとつもない店や、経営者が力なき民の店はたくさんある。
通路ではちょくちょく求人の貼り紙を見掛けるが、スキーヌムが転職の準備をする気配はなかった。




