1066.拡散した真実
アミエーラは、エレクトラと二人でパソコンの部屋に居た。肩を並べてひとつの画面を見詰める。
ファーキルは、ラクリマリス王国の調査に行って留守だ。彼がアミトスチグマに戻れば、神殿などに身を寄せるネモラリス難民の声が届く。
例の深夜放送を聞けなかった人も、武力に依らず平和を目指す有志が、ラジカセと電池、録音のテープを避難所に配布して聞けるようになったらしい。
「新曲、難民の人たちにどう思われるか……ちょっと怖いね」
「そうね。今までのあれはなんだったんだって怒る人、多そうよね」
エレクトラに不安な顔を向けられ、アミエーラは同意した。
キルクルス教徒……特に星の標は、半世紀の内乱中も「魔術は悪しき業である」と主張し、随分、酷いことをしてきた。
ネモラリスで頻発する爆弾テロから周辺国へ逃れた人々が聞けば、驚きと呆れが落ち着いた後に来るのは、激しい怒りだろう。
キルクルス教会は、表向き、魔術を全面的に禁じる。
半世紀の内乱中は星の標など、幾つもの原理主義団体が乱立し、魔術を禁じる聖典の記述を根拠に力ある民への攻撃を正当化して、アーテル地方をキルクルス教徒の国として分離、独立させた。
それなのに、実際はキルクルス教団自身が、魔術を使用し、それをひた隠しにしてきた。
二重規範に憤りを感じない人をみつける方が難しいだろう。
「私、戦争を終わらせるどころか、火に油を注いだんじゃないかって……」
エレクトラが項垂れ、大地の色をした髪が顔を隠す。アミエーラは、掛ける言葉がみつからなかった。
作詞者たちと作曲者たちが、どんな思いであの歌を作り、誰がどれだけ平和への祈りを籠めて歌っても、聞く者の解釈次第で逆効果になってしまう。
アミエーラが、ここでエレクトラに慰めの言葉を掛けたところで、人々の解釈は変わらない。
「それは……まだどうなるかわからないけど、でも、本当のことを知らなかったら、この先もずっとテロと戦争が続くから、やっぱり、歌ってよかったと思うの」
アミエーラは一声発すると、言葉がどんどん湧いて出た。
エレクトラが顔を上げる。視線の先には、ユアキャストのコメント欄があった。
ファーキルが「真実を探す旅人」名義で作ったアカウントで、動画の内容は、平和の花束の新曲「真の教えを」だ。彼女らの振り付き動画に湖南語と共通語で菓子の字幕が掛かる。
コメント欄には驚きの声が多いが、罵詈雑言の類は少ない。
両輪の国では既に散々指摘された件で、関連動画にも星道の職人用の聖典を捲る動画があるからだろう。
それでも、「寝た子を起こすような歌はやめろ」などと、波風が立つのを嫌う者たちのキツい言葉が並ぶ。
ファーキルは、コメント欄で暴言の応酬が起きても、汚い言葉の投げ合いを放置した。忙しくて削除にまで手が回らないのかと思ったが、運び屋フィアールカによると、そうではないらしい。
「でも、とっくに知ってる外国の信徒でもこんななのに、テロや空襲で酷い目に遭わされたネモラリス人は、もっと……」
「うん。怒るのは仕方ないわ。私だって、店長さんの聖典を見せてもらった時、今までずっと騙されてたんだってわかって、凄くキツかったもの」
キルクルス教の信仰を捨て、力ある民として生きると決めたアミエーラでさえ、足下にぽっかり闇が口を開けたような不安に襲われたのだ。
リストヴァー自治区の住民……いや、世界中のキルクルス教徒がこれを知ればどうなるか。
既に知った人々は、秘密の重みに耐え切れなかったらしい。ユアキャストに限らず、SNSや匿名掲示板などで暴露と拡散が進行中だ。
現実の社会では言えないから、顔の見えないインターネット上で秘密と不安、不満を吐露する。それらは共感を呼び、大きなうねりとなって世界を駆け巡った。
バルバツム連邦など、アルトン・ガザ大陸の科学文明国では、若い世代を中心に教会に行かない者が多いと聞いた。教団への不信感は、キルクルス教徒側にはとっくに根付いたと言っていいだろう。
あの歌が完成する前からこうなのだ。
「これって、ネモラリス人だけじゃなくて、アーテル人やラクリマリス人にも、聖者様の本当の教えを知ってもらう為の歌よね?」
「うん……でも……」
口籠ったエレクトラの不安もわかる。
コメント欄なら罵り合うだけで済むが、ネモラリスとアーテルは戦争中だ。
空襲ですべてを喪ったネモラリス人の一部は、【跳躍】でアーテル領に侵入し、ゲリラ活動に身を投じる。
ゲリラの勧誘員シルヴァが、難民キャンプや首都クレーヴェルなどで唆し、アーテル領……恐らく、ランテルナ島に連れて行き、【跳躍】できる者を増やした。
オリョールたちのネモラリス憂撃隊が最大勢力らしいが、もっと小規模なグループや個人で活動する者も居た。
ネモラリスは、二重規範の教義に基づき、リストヴァー自治区の救済名目でいきなり戦争を吹っ掛けられた。住み慣れた街を、大切な故郷を、やっと手に入れた平和な暮らしを理不尽に破壊尽くされたのだ。
怒りや悲しみ、恨みや憎しみを抱いて復讐に駆られた人々を誰が止められるだろう。
理不尽な攻撃を仕掛けたアーテル人自身が、復讐をやめるよう呼び掛けるのは、身勝手にも程がある。
その背後のバンクシア共和国やバルバツム連邦などのキルクルス教国や、それらの国々が強い力を持つ国連が口を挟めば、却って拗れるのは、針子のアミエーラでもわかることだ。
巻き込まれたラクリマリス王国をはじめとする周辺国、積極的に難民を支援するアミトスチグマ王国などは、フラクシヌス教徒としてネモラリスに寄り添い、一方的な忍耐を強いることなどなかった。
復讐を禁じる教義もない。
誰にも、彼らの報復を止める権利などなかった。
「私たちの歌のせいで戦いが酷くなったら、またその仕返しの仕返しで、ずっと終わらないんじゃないかって……」
「ファーキルさんが、アルトン・ガザ大陸の両輪の国とか、インターネットがあるとこの人は、とっくに知ってるし、これみたいに証拠の動画もたくさん……」
アミエーラは、画面の横に並ぶ関連動画を指差した。星道の職人用の聖典をただ捲るだけの動画は、どれも再生数が数万から数百万ある。
ラクエウス議員やアミエーラたちの証言動画も、それなりの閲覧数だ。
「難民キャンプもタブレット端末、少しあるし、あの歌がなくても本当のことは隠せないのよ。それに、本当のことを知らなかったら、平和になってもまた、同じことの繰り返しになると思うの」
「アミエーラちゃん、今、苦しんでる人たちは今すぐ平和が欲しいし、怒ってる人も怒ってなかった人も、本当のことを知ったら、もうひとつ別の怒りや憎しみを持っちゃうと思うんだけど……」
「うん。それは、私もわかってるけど、怒るのも恨むのも、憎むのもダメって禁止したら、火に油を注ぐだけだし、しょうがないよねって諦めさせるのも無理だけど、それでも」
「力で押さえ付けてでも、復讐をやめさせるの?」
祖国アーテルを捨てた少女が、ネモラリス人に心を寄せてくれる。
アミエーラは、上手く言えないもどかしさを堪えて、言葉を組立てた。
「人の心を押さえ付けて変えるなんて無理だから、本当のことを知って、騙されたってわかって、怒って……その次、復讐じゃない道へ進めるように、復讐の道に進んだ人が別の道に行けるように、手助けしたいの」
「どうやって?」
「もっと色んなことを伝えて、復讐以外のことに……気持ちが未来に向くように頑張るの」
「どうやって?」
ラクエウス議員と、リャビーナ市民楽団のスニェーグとオラトリックスから聞いた受け売りだが、アミエーラは話す内に、半世紀の内乱を経験した者たちの言葉の意味がわかった気がした。
「私たちにできることで」
力なき民の少女にできることなど僅かだが、みんなの小さな行動が重なれば、雨粒が集まって湖水に変わるように大きくなると信じて、進むしかなかった。
☆ファーキルは、ラクリマリス王国の調査……「1032.王国側の反応」~「1036.楽譜を預ける」参照
☆新曲「真の教えを」……「0987.作詞作曲の日」「1018.星道記を歌う」参照
☆キルクルス教徒(中略)随分、酷いこと……「359.歴史の教科書」参照
☆半世紀の内乱中は星の標など、幾つもの原理主義団体が乱立……「0059.仕立屋の店長」「858.正しい教えを」参照
☆実際はキルクルス教団自身が、魔術を使用し、それをひた隠し……「858.正しい教えを」~「861.動かぬ証拠群」参照
☆作詞者たちと作曲者たち……「0987.作詞作曲の日」参照
☆ファーキルが「真実を探す旅人」名義で作ったアカウント……「290.平和を謳う声」参照
☆両輪の国では既に散々指摘された件……「359.歴史の教科書」「369.歴史の教え方」~「371.真の敵を探す」、「429.諜報員に託す」~「435.排除すべき敵」参照
☆ゲリラの勧誘員シルヴァが(中略)【跳躍】できる者を増やしてしまった……「644.葬儀屋の道程」「737.キャンプの噂」参照
☆ネモラリスは(中略)いきなり戦争を吹っ掛けられた……「0078.ラジオの報道」参照
☆それらの国々が強い力を持つ国連……「249.動かない国連」参照
☆星道の職人用の聖典をただ捲るだけの動画……「0982.番組の準備中」参照
☆ラクエウス議員やアミエーラたちの証言動画……「858.正しい教えを」~「861.動かぬ証拠群」参照
☆難民キャンプもタブレット端末、少しある……「347.武力に依らず」参照
☆復讐以外のことに……気持ちが未来に向くように/ラクエウス議員と、リャビーナ市民楽団のスニェーグとオラトリックスから聞いた受け売り……「278.支援者の家へ」「305.慈善の演奏会」参照




