1064.職場内の訓練
「それは?」
「先程の方が、後で買いに来るので用意して下さいと……」
紙片を取り上げると、トラック暮らしに必要な呪符の種類と枚数が、レノ店長の筆跡でメモしてあった。
一覧には、力ある民が多いチェルノクニージニクでは需要が低く、この店では常備しないものも並ぶ。
ロークは、おつかいメモを振った。
「これ、アウェラーナさんは、俺に用があるだけじゃなくて、フツーにこの店のお客さんですよね?」
「在庫から、書いてある通りに揃えてお渡しするだけなので、僕一人でもできると思って……」
「これからは私用じゃなくて、お店の用事を先に言って下さい。で、これ、全部ありましたか?」
声に棘が生えそうになるのを堪えて聞いたが、スキーヌムは萎れてしまった。
……そんな顔されたら、俺がいじめてるみたいじゃないか。
「お客さんをなるべくお待たせしないように、俺と話してる間に在庫調べて、全部揃ったら、さっきの時点で売買できてましたよね? アウェッラーナさんはやさしいから、文句言わずにもう一回来てくれるって言ってくれましたけど、他のお客さんだったら、怒って他所に行って、二度と来てくれなくなるかもしれないんですよ?」
「あっ……」
全く想像がつかなかったらしく、愕然として、蚊の鳴くような声で弁解する。
「でも、他人のお話には、きちんと耳を傾けなくては……」
「ここは教会じゃないから、傾聴しなくていいんです。お客さんが望んで、こちらも暇なら、サービスのひとつとして、少しくらいはアリかもしれませんけど、ここは基本的に、呪符を売買する店です」
……コイツ、ボランティアじゃなくて、商売だってわかってないんじゃないか?
交換品の相場はきちんと手帳に控えて、定番品を数枚買うだけの客なら、スキーヌムでも応対できるようになったので、すっかり油断してしまった。
ロークは、行き場のない彼を連れて来た責任を感じ、胃が痛くなってきた。ひとつ深呼吸して苛立ちを抑えて聞く。
「もし、この中に在庫がない呪符が含まれていたら、どうすればいいか、わかりますか?」
「店長さんに確認します」
「在庫がなくて、すぐには作れない場合、どうすればいいか、わかりますか?」
「……どうすればいいんでしょう?」
スキーヌムは、泣きそうな目をロークの背後に向ける。いつの間にか、ゲンティウス店長がカウンターに出ていた。
「見せてみろ。……【耐衝撃符】と【耐火符】は在庫切らしてンな。間違っても別に怒ンねぇから、こんな時どうすりゃいいか、自分で考えた最善の行動ってのを言ってみ? ん?」
スキーヌムは、しばらく視線を泳がせたが、言葉を発することなく俯いてしまった。店長が溜め息を吐く。
「しょうがねぇ野郎だな。じゃ、ローク。どうすりゃいいか、わかるか?」
「素材の在庫と先に入った作業の予定を調べて、作れるようなら、いつ頃できるかお伝えします。待てるって言われたら、お詫びして待ってもらって、急ぐって言われたら、在庫ある分だけ売って、お詫びして他のお店を紹介します」
「聞いたか? ざっとこんなモンよ」
スキーヌムは肩を縮めて頷いたが、顔は上げない。
ゲンティウス店長は眉尻を下げ、やさしい声で言った。
「知らねぇのは、別に悪いこっちゃねぇ。俺も、お前さんが何を知ってて、何を知らねぇかわかんねぇ」
神学校の優等生は俯いたまま動かない。
ロークは、胃の痛みが酷くなってきた。
「店のコトいちいち、一から百まで全部は教えてねぇ。ちょっと説明すりゃ、他から応用できるコトもいっぱいあっからな」
スキーヌムは石のように動かない。
ゲンティウス店長は根気強く教え諭す。
「でもよ、知らねぇ、わかんねぇコトを誰にも聞かねぇで、一人で抱え込まれンのは、こっちも困ンだよ」
細い肩がビクリと震えた。
「わかんねぇコトがあったら、遠慮しねぇでどんどん聞いてくれ。呪文唱えてる最中じゃなきゃ、すぐ返事すっからよ。わかったな?」
スキーヌムが首を縦に動かすと、涙の滴が落ちた。
「それと、【耐火符】はすぐ書けるが、【耐衝撃符】は素材がねぇ。ローク、あの姐ちゃんに連絡つくんなら、買出しのついでに、明日の夕方ンなるっつっといてくれ」
「わかりました。他に必要な物があったら、一緒に買って来ます」
「じゃ、ちょっと在庫調べて書くから、待ってな」
店長が作業部屋に引っ込むと、ロークはスキーヌムに向き直った。
「スキーヌム君は、お店で働くの初めてなのに、在庫がある定番商品は一人で応対できるようになったし、お茶屋さんにちょっとコツ教わっただけで、お茶の淹れ方、上手くなったでしょう」
スキーヌムは手の甲で涙を拭ったが、相変わらず顔を上げず、しゃくりあげた。
「未経験のことが多過ぎて、スキーヌム君自身にも何がわからないのか、わからない状態かもしれませんけど、知れば、できることがちゃんと増えてますし、その能力もあるんですから、質問して下さい」
店長が、ロークにおつかいメモと交換品が詰まった袋を渡し、スキーヌムがまだ泣き止まないのに気付いて【操水】を唱えた。
カウンター下の水瓶から、コップ一杯分くらいの水が起ち上がり、有無を言わさず少年の顔を洗う。驚いて上げた顔は、泣き腫らして眼が真赤だった。
不純物を屑籠に捨てた水が、宙で沸き立つ。
ゲンティウス店長は、小匙半分だけ鎮花茶を取って熱湯に含ませた。甘い香りが広がり、ロークのささくれた心が落ち着く。
……俺がイライラしたって仕方ないのにな。
「泣きながら店番されたんじゃ、客が何事かと思ってびっくりすンじゃねぇか」
「はい……すみません」
スキーヌムは叱責半分、慰め半分の声に俯かずに応えた。
「おつかい、行ってきます」
「おう、急いでくれ」
ロークはスキーヌムを置いて、一人で呪符屋を出た。
☆ロークは、行き場のないスキーヌムを連れて来た責任……「841.あの島に渡る」~「.引受けた依頼」参照
☆行き場のないスキーヌム……「801.優等生の帰郷」~「803.行方不明事件」「809.変質した信仰」~「811.教団と星の標」参照
※ 職場内の訓練……OJT(On The Job Training)=職場内で実務に携わりながら、従業員に業務上必要な技能や知識を身につけさせる職業訓練のこと。




