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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三十七章 惻隠

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1062.取り返せる事

 それから少しして、メーラが両手に水桶を持って戻った。


 「お待たせしましたー! 遅くなってすみません! ウチ、桶が一個しかなくって、スモークウァちゃんちまで借りに行ってたんです」

 「そうだったんですか。お疲れ様です。そこに置いて下さい」

 呪医セプテントリオーは、少女が桶を置くのを待たずに【操水】を唱えた。熱と圧力を加え、沸点以上に加温した後、急速冷却した。

 人肌にまで冷ました水で【癒しの水】を掛ける。


 「血は血に 肉は肉に 骨は骨に あるべき姿に立ち返れ

  (そこ)なわれし身の内も外も やさしき水巡る

  生命の水脈(みを)(まった)き道に あるべき姿に立ち返れ」


 完全に(いた)んだ組織を少しずつ取り除き、水から屑籠に排出させる。

 咬傷箇所は、右足のふくらはぎのやや足首よりの位置だが、壊死が進行したせいで結局、膝のすぐ下辺りから(かかと)付近に掛けて、ごっそり腐肉を取る羽目になった。

 辛うじて生き残った組織の再生を試みたが、案の定、露出した骨を囲んで傷が(ふさ)がっただけに終わる。


 ……やはり、完全に腐敗した欠損部位の復元は【有翼の蜥蜴(トカゲ)】学派でなければ。


 腐肉を全て排出し、水を消毒して桶に戻す。

 少女の目は桶と兄の右足と、呪医の顔を(せわ)しなく往復したが、舌が空回りするだけで声は出なかった。

 「水を外に流してもらっていいですか?」

 「えっ、あ、あのっ、ホネ? あ、足って言うか、その、ホ、ホネの、えっと、お兄ちゃん?」

 少女の顔が引き攣り、口許は笑いに似た形に歪むが、緑の目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。


 (すね)側は何ともないが、ふくらはぎは丸ごとなくなってしまった。


 「壊死した組織を取り除いて、傷を塞ぎました。壊死の進行を止めましたので、当面は命の心配がなくなりました」

 「で、でも、呪医(せんせい)、ホ、ホネが、お兄ちゃん、ホネは?」

 メーラは譫言(うわごと)のように繰り返す。

 患者は、妹から痛ましげに目を逸らし、母親が娘を抱き締めた。

 「呪医(せんせい)、息子の命を助けて下さってありがとうございました」

 「こちらは、彼に処理してもらいます。それでは、また明日」


 呪医は、【操水】で手桶一杯分だけ水を起ち上げると、屑籠の中身を全て水に混ぜた。

 メーラの瞳が焦点を結ぶ。

 「呪医(せんせい)、明日……明日、続きを治して下さるんですよね?」

 セプテントリオーは応えず、腐肉を混ぜた水を連れて外へ出た。



 葬儀屋アゴーニに処理を頼み、村長に向き直る。

 「彼が最も重傷でした。……何故、後回しに」

 「す、すみません。しかし、私が知る限り、あんなに酷くなかったんですよ。まさか、こんなことになっていたなんて、知らなくて」

 セプテントリオーが、しどろもどろに弁解する村長に尚も言おうとしたところ、肩を叩かれた。

 振り向くと、アゴーニが肩に手を置いたまま首を横に振る。

 「村長さんを責めたって、患者さんが良くなるモンじゃねぇんだろ?」

 「最初に診ていれば、少しでも壊死の範囲が小さく済んだのに。半日も……こんな……ッ!」

 患者の一部が【導く白蝶】の青白い炎に包まれる。我知らず、声が震えた。


 村長が一歩退()がり、半ば叫ぶように宣言する。

 「彼の入院費用、私がお出しします!」

 「治らなかったのかい?」

 アゴーニに意外そうな目を向けられ、セプテントリオーは、【導く白蝶】の炎で灰になる腐肉を見詰めて、苦い思いと共に言葉を吐き出した。

 「この部分の復元は、私の【青き片翼】では無理なんです。【有翼の蜥蜴(トカゲ)】でなければ……!」

 それ以上続ければ、呪詛になりそうな気がした。歯を食いしばり、拳を握って言葉を押し留める。


 葬儀屋アゴーニはもう一度、呪医の肩を軽く叩いて言った。

 「過ぎたコトうだうだ言っても始まんねぇ。患者さんはまだ生きてて、大きい病院に入院できりゃ何とかなンだろ? 上等じゃねぇか。まだ、取り返しがつくんだからよ」

 呪医セプテントリオーは、葬儀屋アゴーニをまじまじと見た。淋しげな微笑を(たた)えた彼は、ずっと取り返しがつかなくなった人々を見送り続けて来た。


 葬儀屋である限り、この先もずっと、たくさんの死と向き合い続ける。


 彼が何故、【導く白蝶】学派を選んだのか不明だが、多くの死者を(はぶ)り続けたアゴーニの言葉は胸に深く染みた。


 「村長さんは立場上、あんまり一軒に肩入れできねぇんだよな?」

 「は、はい。その、不公平が生じますと、後で何かと問題になりますので」

 助かったとばかりに食いつき、首振り人形のように頷く。

 「今回の分は一旦、村長さんが全部立替えて、本人が元気になってから、耳揃えてきっちり返してもらやぁ角も立たねぇだろ」

 村長は一瞬、渋るそぶりを見せたが、ひとつ息を吐いて諦め顔で同意した。



 校庭に停めた移動放送局のトラックに近付くと、風に乗ってパンの焼ける香ばしい匂いが届き、ふっと肩の力が抜けた。

 「呪医(せんせい)、お疲れ様です。晩ごはん、丁度できたとこですよ」

 レノ店長の屈託のない笑顔に迎えられ、頬が緩む。

 「ありがとうございます。講演の方は上手くゆきましたか?」


 今日は朝から、パン屋のレノ店長、元会社員のパドールリク、音響機器工場の工員クルィーロ、トラック運転手のメドヴェージが村で唯一の学校へ行き、湖の民の子供たちを前にそれぞれの職業について語った。


 「うーん……フツーのコト喋っただけなんで、あんなの湖の民の子たちが聞いても、将来役に立つかわかんないですけど……」

 「何を話したんですか?」

 「何ってフツーにパン屋の仕事を……あの子たち、パン焼き窯なんて一生、使わないと思いますけどね」

 「坊主が将来、パン屋になりてぇって口走ったくらいだ。充分、為になったともさ」

 メドヴェージがやさしい笑顔を向けると、少年兵モーフは耳まで赤くなって下を向いた。ソルニャーク隊長も口許を(ほころ)ばせる。


 「四眼狼(しがんろう)の群を駆除するか、遠くに追い払うまで、危なくて出られませんので、明日も学校で講演することになりました」

 アナウンサーのジョールチが言うと、DJレーフが演者を指折り数えた。

 「明日は、俺と隊長さんとアビエースさん。……アゴーニさんもいいですか?」

 「おう、子供らの為に一肌脱いでやンよ」


 薬師(くすし)アウェッラーナは、葬儀屋アゴーニとは別に村人を数人連れて買出しに行き、そちらも首尾よく行ったと言う。

 彼女の行き先は、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクで、宿屋に場所を借り、魔法薬も作ってきた。

 「お店で、久し振りにロークさんと会って色々話せました。元気そうでしたよ。みなさんによろしくお伝え下さいって」


 ……そう言えば、随分長い間、会っていないな。


 呪医セプテントリオーは、彼がインターネットでアミトスチグマに送る情報や近況は何度も目にしたが、直接顔を合わせたのがいつだったか、思い出せなかった。

☆講演/村で唯一の学校へ行き、湖の民の子供たちを前にそれぞれの職業について語った……「1052.校長の頼み事」参照

☆彼女の行き先は、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニク……「1051.買い出し部隊」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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