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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三十七章 惻隠

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1061.下す重い宣告

 患者は寝台に身を起こし、水を飲んでいたが、叫びと共に飛び込んだ妹に目を丸くして、動きを止めた。


 「初めまして。ネーニア島のゼルノー市立中央市民病院、外科部の呪医(じゅい)です。その傷は、どうされましたか?」

 「えっ? お医者さん? あ、あの、呪医(せんせい)、わざわざネーニア島から……ありがとうございます!」

 感極まった青年がマグカップを落としそうになり、妹のメーラが慌てて受け止めて脇机に置いた。

 「あっ……あの、これ、私のせいなんです! 呪医(せんせい)、お兄ちゃん、助かりますよね?」

 「メーラのせいじゃないってば」

 「でも……」

 「傷を診せていただきますね」

 呪医セプテントリオーが言うと、母親が祈るような声で「お願いします」と呟いて、シーツをそっと(めく)った。右のふくらはぎに包帯を巻いてあるが、傷は腐臭を放ち、足首辺りから膝の上までがどす黒い。


 「わ、私が逃げ遅れたせいで、お兄ちゃん、私なんか(かば)って、双頭狼(そうとうろう)の尻尾で咬まれて、私のせいで……!」

 メーラは震える声で捲し立てたが、後半は涙で(ほとん)ど聞き取れなかった。兄が妹の肩を抱き寄せ、しゃくり上げる背中をさする。

 「双頭狼まで……」

 セプテントリオーが呟きを漏らすと、村長が苦い顔で応えた。

 「双頭狼は一頭だけでしたので、尊い犠牲を払いましたが、先月、近隣の村と協力してどうにか仕留められました」


 「メーラ、呪医(せんせい)の邪魔になるから、こっちに来なさい」

 娘は母の声に頭を振り、兄にしがみついた。

 「あぁ、そのままで大丈夫ですよ。診察するので、包帯、外しますね」

 「呪医(せんせい)、私やります。いつも私が巻き直してるんです」

 呪医(じゅい)は、涙を拭って無理に笑顔を作ったメーラに一瞬、声が詰まった。


 ……この臭い……患部はとっくに腐敗して、見るに()えない状態だろうに。


 中学生くらいの少女が自責の念から、自発と言うより自罰的な気持ちで、一カ月も兄の看病を続けたのかと思うと、胸が痛んだ。

 少女は呪医の返事を待たず、すっかり慣れた手つきで包帯を(ほど)いた。患者自身はもう感覚がないのだろう。特に痛がる様子はなく、諦めた顔で妹のしたいようにさせる。


 予想通り、牙の痕は既になく、咬傷箇所は僅かに骨が露出し、周辺の組織も濃い紫色。【見診(けんしん)】を使うまでもなく、残った肉が溶け落ちるのも時間の問題だ。


 ……毒が少なかったにしても、随分、顔色がいいな。


 「何か、お薬を使いましたか?」

 「はい、近所の人にお願いして、毒消し、少しだけ分けてもらったんです」

 「あぁ、それでこんなに状態がいいんですね。今日まで生き延びられたのも、その毒消しのお陰でしょう」

 メーラがパッと笑顔を咲かせて兄と顔を見合わせ、勢いよく呪医に向き直った。

 「麦刈いっぱい手伝った甲斐がありました」

 「頑張りましたね。それではメーラさん、頑張りついでに、治療に使う水を汲んで来て下さい」

 「水汲みくらい、楽勝です」

 「調子に乗ってこぼすなよ」

 妹が小さく舌を出し、兄が苦笑する。呪医もつられて微笑を浮かべた。

 「手桶に入れて二杯分、一度沸騰させて冷ましてから持って来て下さい」

 「はいッ!」

 メーラは元気よく寝室を飛び出した。



 「お母さん、こちらへ……すみませんが、【鍵】をお願いします」

 呪医は、戸口で立ち(すく)む村長に声を掛けた。母親が、村長の呪文を唱える声を背に不安な面持ちで息子の枕辺に寄る。

 「ご覧の通り、壊死が進行して……感覚が、ないのですね?」

 呪医の確認に患者が表情を引き締めて頷く。


 「大変申し上げ難いのですが、この部分は死んだも同然なのです。【癒しの水】で治療を試みますが、恐らく、効果は限定的でしょう」

 「そんな……」

 絶望する母子に呪医は努めて明るい声で告げた。

 「しかし、一旦、患部を切り離して【賦活(ふかつ)の壺】で甦らせれば、元通り歩けるようになりますよ」

 「切断……」

 母親の膝から力が抜け、床にへたり込んだ。

 村長が駆け寄り、呆然とする母親を支える。

 「お、奥さんしっかり!」


 「呪医(せんせい)、この村にはその、ナントカの壺ってないんですけど……」

 青年が涙目で呪医を見上げる。

 「王都の神殿付属施療院にはあります。私が【跳躍】でお連れしますから、どなたか入院中のお世話を」

 「入院っていつまでですか? 幾ら掛かるんですか? 俺たち、父が早くに亡くなって、蓄えもそんなにないんです!」

 患者は小声で一息に言い、腐り果てた足を睨んだ。


 「費用は無理のない程度の(こころざし)なので、心配ありません」

 「志って……」

 「施療院の運営は基本的に神殿への寄付で賄われます。小麦一袋や、【魔力の水晶】一個でも大丈夫ですよ」

 「ホントにそんなちょっとでいいんですか?」

 青年の顔が期待と猜疑に歪む。


 「はい。元気になってから、女神様の神殿に祈りと魔力を捧げて下さい。……それで、この患部の範囲ですと、足の賦活(ふかつ)に半月程度、それから接続手術をして、様子を見ながらリハビリ……あなたの体力次第ですが、一カ月程度考えていただければ」

 「一カ月も? 妹と畑はどうなるんです? メーラが看病したいって言っても、学校は……」

 青年は声の大きさに気付いて、言葉を飲んだ。


 村長が、心ここに在らずの母親に代わって、この家の事情を語る。

 「父親は、この子たちがまだ小さい頃に流行病(はやりやまい)で亡くなりました。親戚のみなさんもその時に……その前まで、この村も千人から住んでたんですけどね、都会に引越した人も居て、今では二百人くらいしか居ないのですよ」


 ……娘と畑の世話を任せられる家がないのか。


 「しかし、このままでは壊死が進行して命に関わります。それに……」

 伝えるべきか迷い、セプテントリオーは固く目を閉じて息を深く吐いた。


 数呼吸後、決心して言葉を絞り出す。

 「それに、この部分を扉に……魔物が迷い出る可能性も否定できません。家や村の【結界】内で発生すれば」

 「あ、あの、一晩、一晩だけ、考えさせて下さい。娘には私から話しますんで」

 呪医は母親の悲愴な顔に頷き、先程聞いた合言葉で【鍵】を開けた。村長がぎこちない笑顔で言う。

 「畑は、みんなで少しずつ手伝いますから、気兼ねも心配も入りません。困った時はお互い様です」

 母親は声もなく涙を流した。

☆双頭狼の尻尾で咬まれ……双頭狼の尾は毒蛇「1013.噴き出す不満」、「飛翔する燕(https://ncode.syosetu.com/n7641cz/)」の「87.三頭目の獣」の参照

☆【賦活の壺】……「736.治療の始まり」参照

☆施療院の運営……「735.王都の施療院」「759.外からの報道」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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