1061.下す重い宣告
患者は寝台に身を起こし、水を飲んでいたが、叫びと共に飛び込んだ妹に目を丸くして、動きを止めた。
「初めまして。ネーニア島のゼルノー市立中央市民病院、外科部の呪医です。その傷は、どうされましたか?」
「えっ? お医者さん? あ、あの、呪医、わざわざネーニア島から……ありがとうございます!」
感極まった青年がマグカップを落としそうになり、妹のメーラが慌てて受け止めて脇机に置いた。
「あっ……あの、これ、私のせいなんです! 呪医、お兄ちゃん、助かりますよね?」
「メーラのせいじゃないってば」
「でも……」
「傷を診せていただきますね」
呪医セプテントリオーが言うと、母親が祈るような声で「お願いします」と呟いて、シーツをそっと捲った。右のふくらはぎに包帯を巻いてあるが、傷は腐臭を放ち、足首辺りから膝の上までがどす黒い。
「わ、私が逃げ遅れたせいで、お兄ちゃん、私なんか庇って、双頭狼の尻尾で咬まれて、私のせいで……!」
メーラは震える声で捲し立てたが、後半は涙で殆ど聞き取れなかった。兄が妹の肩を抱き寄せ、しゃくり上げる背中をさする。
「双頭狼まで……」
セプテントリオーが呟きを漏らすと、村長が苦い顔で応えた。
「双頭狼は一頭だけでしたので、尊い犠牲を払いましたが、先月、近隣の村と協力してどうにか仕留められました」
「メーラ、呪医の邪魔になるから、こっちに来なさい」
娘は母の声に頭を振り、兄にしがみついた。
「あぁ、そのままで大丈夫ですよ。診察するので、包帯、外しますね」
「呪医、私やります。いつも私が巻き直してるんです」
呪医は、涙を拭って無理に笑顔を作ったメーラに一瞬、声が詰まった。
……この臭い……患部はとっくに腐敗して、見るに堪えない状態だろうに。
中学生くらいの少女が自責の念から、自発と言うより自罰的な気持ちで、一カ月も兄の看病を続けたのかと思うと、胸が痛んだ。
少女は呪医の返事を待たず、すっかり慣れた手つきで包帯を解いた。患者自身はもう感覚がないのだろう。特に痛がる様子はなく、諦めた顔で妹のしたいようにさせる。
予想通り、牙の痕は既になく、咬傷箇所は僅かに骨が露出し、周辺の組織も濃い紫色。【見診】を使うまでもなく、残った肉が溶け落ちるのも時間の問題だ。
……毒が少なかったにしても、随分、顔色がいいな。
「何か、お薬を使いましたか?」
「はい、近所の人にお願いして、毒消し、少しだけ分けてもらったんです」
「あぁ、それでこんなに状態がいいんですね。今日まで生き延びられたのも、その毒消しのお陰でしょう」
メーラがパッと笑顔を咲かせて兄と顔を見合わせ、勢いよく呪医に向き直った。
「麦刈いっぱい手伝った甲斐がありました」
「頑張りましたね。それではメーラさん、頑張りついでに、治療に使う水を汲んで来て下さい」
「水汲みくらい、楽勝です」
「調子に乗ってこぼすなよ」
妹が小さく舌を出し、兄が苦笑する。呪医もつられて微笑を浮かべた。
「手桶に入れて二杯分、一度沸騰させて冷ましてから持って来て下さい」
「はいッ!」
メーラは元気よく寝室を飛び出した。
「お母さん、こちらへ……すみませんが、【鍵】をお願いします」
呪医は、戸口で立ち竦む村長に声を掛けた。母親が、村長の呪文を唱える声を背に不安な面持ちで息子の枕辺に寄る。
「ご覧の通り、壊死が進行して……感覚が、ないのですね?」
呪医の確認に患者が表情を引き締めて頷く。
「大変申し上げ難いのですが、この部分は死んだも同然なのです。【癒しの水】で治療を試みますが、恐らく、効果は限定的でしょう」
「そんな……」
絶望する母子に呪医は努めて明るい声で告げた。
「しかし、一旦、患部を切り離して【賦活の壺】で甦らせれば、元通り歩けるようになりますよ」
「切断……」
母親の膝から力が抜け、床にへたり込んだ。
村長が駆け寄り、呆然とする母親を支える。
「お、奥さんしっかり!」
「呪医、この村にはその、ナントカの壺ってないんですけど……」
青年が涙目で呪医を見上げる。
「王都の神殿付属施療院にはあります。私が【跳躍】でお連れしますから、どなたか入院中のお世話を」
「入院っていつまでですか? 幾ら掛かるんですか? 俺たち、父が早くに亡くなって、蓄えもそんなにないんです!」
患者は小声で一息に言い、腐り果てた足を睨んだ。
「費用は無理のない程度の志なので、心配ありません」
「志って……」
「施療院の運営は基本的に神殿への寄付で賄われます。小麦一袋や、【魔力の水晶】一個でも大丈夫ですよ」
「ホントにそんなちょっとでいいんですか?」
青年の顔が期待と猜疑に歪む。
「はい。元気になってから、女神様の神殿に祈りと魔力を捧げて下さい。……それで、この患部の範囲ですと、足の賦活に半月程度、それから接続手術をして、様子を見ながらリハビリ……あなたの体力次第ですが、一カ月程度考えていただければ」
「一カ月も? 妹と畑はどうなるんです? メーラが看病したいって言っても、学校は……」
青年は声の大きさに気付いて、言葉を飲んだ。
村長が、心ここに在らずの母親に代わって、この家の事情を語る。
「父親は、この子たちがまだ小さい頃に流行病で亡くなりました。親戚のみなさんもその時に……その前まで、この村も千人から住んでたんですけどね、都会に引越した人も居て、今では二百人くらいしか居ないのですよ」
……娘と畑の世話を任せられる家がないのか。
「しかし、このままでは壊死が進行して命に関わります。それに……」
伝えるべきか迷い、セプテントリオーは固く目を閉じて息を深く吐いた。
数呼吸後、決心して言葉を絞り出す。
「それに、この部分を扉に……魔物が迷い出る可能性も否定できません。家や村の【結界】内で発生すれば」
「あ、あの、一晩、一晩だけ、考えさせて下さい。娘には私から話しますんで」
呪医は母親の悲愴な顔に頷き、先程聞いた合言葉で【鍵】を開けた。村長がぎこちない笑顔で言う。
「畑は、みんなで少しずつ手伝いますから、気兼ねも心配も入りません。困った時はお互い様です」
母親は声もなく涙を流した。
☆双頭狼の尻尾で咬まれ……双頭狼の尾は毒蛇「1013.噴き出す不満」、「飛翔する燕(https://ncode.syosetu.com/n7641cz/)」の「87.三頭目の獣」の参照
☆【賦活の壺】……「736.治療の始まり」参照
☆施療院の運営……「735.王都の施療院」「759.外からの報道」参照




