1059.負傷者の家へ
「呪文を知っていても、他所を知らなければ、どこにも行けませんからね」
呪医セプテントリオーは、葬儀屋アゴーニの案内で村長宅を訪れ、改めて村の状況を聞いた。
アミトスチグマの市場で買物をした村人たちは、二人より先に戻って、今は学校の体育館で頼まれ物の分配中だ。
およその話は、アミトスチグマでざっと目を通した報告書の通りだった。新たにわかったのは、負傷者の具体的な人数と容態だけだ。
村長は、聞いたからには今すぐ治して欲しいと言いたげな目で、呪医セプテントリオーを見る。
「では、最も傷が重い患者さんの所へ案内していただけますか?」
「はい。ありがとうございます。田舎なものですから、大したお礼はできませんが、精いっぱいさせていただきますので、よろしくお願いします」
三人は連れ立って村長宅を出た。
「たくさんいただいてもトラックに積めませんから、巡回診療の正式な診療報酬と同じで結構ですよ」
「わざわざアミトスチグマからお越し下さったのに、たったそれだけでよろしいんですか?」
村長の声は驚き半分、疑い半分だ。
「先程も申し上げましたが、私はゼルノー市立中央市民病院の呪医です。公立病院の正規の診療報酬以上にいただくのは、いかがなものかと思いますので」
「でも、それは役所が七割出してくれるからですよね? 私共がどんなにお願いに上がっても、役所は一度も巡回診療車を出して下さいませんのに……役所は呪医個人には残りの七割を払ってくれるんですか?」
「ご心配下さってありがとうございます。しかし、たくさんいただいても、持ち切れませんからね。先程申し上げた分と、お気持ちだけで結構ですよ」
セプテントリオーは小さく首を横に振った。
支払いが現金や宝石、【魔力の水晶】ならば全て受取れるが、農作物でしか払えないのでは、移動放送車と同じ大きさのトラックがもう二、三台必要だ。
そんなに払ったのでは、村人が次の収穫までに飢えてしまうだろう。
村長が、溜め息混じりにぼやいた。
「旧王国時代にはこんなコト一度もなかったんですけどね。民主主義なんて言っても、タダの多数決じゃありませんか。人数の少ない田舎は、こうして見捨てられて……」
「本来の民主主義は、様々な意見をすり合わせて利害を調整し、不利益を蒙る人が最小限になるようにするもので、単なる多数決ではないそうなんですけどね」
「そうなんですか? しかし、今のこの状態は……」
却って村長を落胆させてしまい、セプテントリオーは掛ける言葉を失った。
葬儀屋アゴーニが最初の家の前で足を止める。
「俺ぁここで待ってるよ。流石に寝込んでる奴の枕元に顔出すのはどうかと思うからな」
「お気遣い、恐れ入ります」
アゴーニがここに居れば、セプテントリオーを閉じ込めて村に留めるなどと言う暴挙に出ることはあるまい。
……アウェッラーナさんが薬師なのは伏せる、と言っていたな。
契約に同意せざるを得なかったとは言え、ドーシチ市の組合長宅にほぼ軟禁状態で留め置かれ、数カ月もの間、膨大な量の薬作りをさせられた経験があるのでは、彼女らが警戒するのも当然だ。
村長が来意を告げると、扉は勢いよく開いた。
「村長さん、ホントにお医者さんが……この方ですか?」
家人の目が、村長の斜め後ろに立つセプテントリオーの胸元に向けられる。傷を癒す呪医の証【青き片翼】の徽章を見留め、今にも泣き出しそうな顔で、声もなく二人を招じ入れた。
通された寝室は、病院のように物が少なく清潔だった。負傷者の青年はベッドで麻のシーツを掛けられ、横たわって動かない。
「先週……いえ、もう十日くらいになりますか。森に近い畑で、四眼狼に襲われて足を噛まれまして、みんなが石をぶつけて追い払ってくれたんで、命は助かったんですけど……」
家人がそっとシーツを捲った。左足に添え木を当て、包帯を巻いてある。
「ちろちろと 白き鱗の触れる者 ちろちろと 白き鱗の舐める者
白き翼を水に乗せ 明かせ傷 知らせよ病
命の解れ 詳らか 綻び塞ぐ その為に」
セプテントリオーは患者の手を握り、【白き片翼】学派の【見診】を唱えた。左脛が噛み砕かれ、先が壊死しなかったのが不思議なくらい酷い。雑菌だらけの牙でやられたにしては化膿せず、少し炎症があるだけだ。
「何か、お薬を使いましたか?」
「はい、あの、前に買い置きした【毒消し】を毎日朝晩、少しずつ……いけませんでしたか?」
「いえ、可能な限り適切な処置がされたお陰で、傷の状態が悪化せずに済んだのです。お薬はまだありますか?」
「一昨日の晩の分で最後でした。息子はウチの大事な跡取りなんです。呪医、何でもします。息子を助けて下さい! お願いします!」
父の懇願する声で、患者がうっすら目を開いた。
「私はゼルノー市立中央市民病院の呪医です。今から治療するので、包帯を外します。少し痛みますが、辛抱して下さい」
青年の目がセプテントリオーの胸で揺れる徽章を捉え、大きく見開かれる。
「外しますよ」
「お願いします」
応えた青年の声は掠れて弱々しい。
鋏で切ってしまいたかったが、物資が欠乏する村では、後で消毒して使いたいだろうと思い、慎重に解いた。
傷の周囲が赤みを帯び、【見診】の通り炎症がある。薬が切れたせいだ。
もう一日遅れれば、薬師アウェッラーナに無理を押してででも、化膿止めの【毒消し】を作ってもらわなければならないところだった。
仮に自然治癒したところで、骨が正しく接合せず、歩行もままならない。
「青き風 片翼に起き 舞い上がれ
生の疾風が骨繕う糸紡ぎ 無限の針に水脈の糸 通し繕え
毀つ骨の節は節 支えは支え 腱は腱 全き骨 ここに癒ゆ」
先に【骨繕う糸】で粉砕骨折を癒した。【見診】で骨と全身の状態を再確認し、水差しの水を使って【癒しの水】で筋肉と皮膚を復元する。
「骨を繋いで傷も塞ぎましたが、お薬が切れた間に少し感染が起きたようです」
父が呪医の手を取り、何度も礼を言う。母は、身を起こして足をさする息子に抱きつき、人目も憚らず声を上げて涙を流した。
村長が涙声で礼を言う。
呪医は、手放しで喜ぶ村人たちに注意を与えた。
「体力が落ちていますから、一週間程度は、滋養のあるものを食べて基本的に安静に過ごして、一日に数回、部屋の中を歩いてリハビリして下さい」
「はい。食べ物でしたら、たんとありますんで、それはもう……」
「あの、それで、お代の方は……?」
村長が報酬の説明をすると、一家は一瞬、息を止めた。
父親が恐る恐る聞く。
「ホントにそんな少しで大丈夫なんですか?」
「たくさんいただいても、トラックに積めませんからね。魔力を蓄積できる宝石類や【魔力の水晶】などをお持ちでしたら、助かりますが」
「呪医、ありがとうございます。父さん、俺の机、上から二段目の抽斗に入ってる箱持って来て」
父は、術でも使ったのかと錯覚する速さで行って戻り、木の小箱を恭しく差し出した。掌より一回り大きい箱にぎっしり【魔力の水晶】が詰めてある。
「足りなければおっしゃって下さい。結婚指環でもなんでも差し上げます」
「この大きさでしたら、半分で結構ですよ」
母親の申し出を断り、トイレ介助の注意を与えて次の家へ向かった。
☆本来の民主主義……「601.解放軍の声明」参照
☆契約に同意せざるを得なかったとは言え、ドーシチ市の組合長宅にほぼ軟禁状態……「230.組合長の屋敷」~「232.過剰なノルマ」、「245.膨大な作業量」「262.薄紅の花の下」「266.初めての授業」参照




