1057.体育と家庭科
体育の先生は男女一人ずつ来たが、やっぱりどっちも湖の民だ。
女の先生が一歩前に出て、生徒を見回して言う。
「今日はみなさんに残念なお知らせがあります」
生徒たちに緊張が走る。
……俺たちのコトか?
「先程、東の畑に魔獣が出ました」
生徒たちはざわついたが、モーフはさっき聞いたばかりで、自分たちのことではないとわかり、少しホッとした。
男の先生が続きを言う。
「ここの自警団と隣村の狩人さんが行って仕留めてくれましたが、負傷者が二人出ました。……大丈夫! 命には別条ありません」
「ただ、モノが四眼狼だから、近くに群が居るかもしれません。村長さんの許可が出るまで、石垣から出ないで下さい」
先生たちの説明で、生徒たちの表情は目まぐるしく変わった。
……えっ? 俺らも出ちゃダメなのか?
モーフは思わず隣を見た。ピナは前を向いて先生たちの言葉を待つ。
女の先生が、みんなを安心させようと微笑を浮かべた。
「自警団が見回りをして、大丈夫なら、村長さんから連絡があります。二、三日の辛抱ですよ」
生徒たちの空気は少し緩んだが、表情はまだ硬い。
男の先生がパンと手を打ってニカッと笑った。
「昨日、久々に懐かしい曲を聞いたから、みんなにも教えようと思ってガリ版刷ってきました」
バインダーからプリントを出すと、各学年一枚ずつ、先頭の生徒に渡した。
「国民健康体操?」
「移動放送の二人は知っていますか?」
女の先生の声でピナとモーフに視線が集まる。モーフが戸惑ってぎこちなく頷く間に、ピナは力強く答えた。
「トラックの運転手さんに教えてもらいました」
「じゃ、後で前に出て先生たちと一緒にお手本になって下さい」
ピナはイイお返事をした。
……俺、別に居なくてよかったんじゃねぇか?
授業はモーフの戸惑いを置き去りにして進む。
「まずは準備運動から」
男の先生が、徽章の代わりに首から提げたホイッスルを吹くと、中学生たちはあっという間に散開した。モーフは前で手本を示す先生の動きを夢中で真似る。
……ん? あ、これ、ローク兄ちゃんに教えてもらった奴だ。
ゼルノー市の高校と、遠く離れたネモラリス島の学校が、同じ準備運動をするのが不思議でならなかった。
思い出せれば、調子いい。遅れずについてゆき、モーフは胸を撫で下ろした。
「よし、じゃあ、最初は先生の動きを見ながらプリントで確認」
男の先生がホイッスルを吹きながら、国民健康体操の動作を区切って見本をやって、女の先生が動きをひとつひとつ説明する。
プリントは、体操の順番と解説だ。針金みたいな人の絵がたくさん描いてある。
……これ全部、一晩で書いたのか。スゲー。
みんなは輪になってプリントと先生の動きを熱心に確認した。
「昨日のお歌、歌ってもらうのナシですか?」
ふたつ括りの女子が小声で聞き、ピナが固まる。
「あれ、体操とは全然関係ねぇ詩だし、そんな、体操するようなノリじゃねぇからなぁ」
「ダメ?」
可愛く小首を傾げられたが、いいとは言い難かった。
「あー、ハイ、そこ! お喋りは休み時間にしてちょうだい」
女の先生の声が跳び、三人は首を竦めた。
そうこうする内に見本が終わり、二人は前に呼ばれた。
何だかよくわからない状況だが、国民健康体操なら慣れたものだ。モーフは男の先生とピナの間に立ち、気楽に実演する。ピナの反対隣は女の先生だ。
前を見れば、この学校の中学生全員、十六人が見様見真似でもたもた身体を動かす。横目で見ると、ピナは緊張したのか、無表情に体操の動きをなぞった。
何度も繰り返し、みんなの動きがちょっと良くなってきたところで、チャイムが鳴った。
「次、家庭科だから、体操服は放課後、返しに行きましょう」
「うん。ありがとう」
着替えを済ませ、今度は借りたエプロンを着けて、男子の案内で家庭課室と言う部屋に行く。
木の作業台とステンレスの台があり、五徳を乗せた石盤、フライパンなどの調理器具、よくわからない道具や小麦粉の袋など食材も置いてある。
こう言う教室は初めてだ。
ピナたちが始業のチャイムすれすれに来て、モーフはホッとした。
年配の女の先生が、黒板に何やら書きつけて、まるでピナとモーフが居ないかのようにフツーの授業を始めた。
「今日はクッキーを作ります。作り方は先週説明した通りですが、何か質問はありますか?」
誰からも質問が出ず、湖の民たちがノートを広げて、もたもた材料の計り方を確認する。
「私もお手伝いしていいですか?」
「いいんですか?」
「どうぞどうぞ」
ピナが控え目に聞くと、地元の連中は場所をあけて二人を招き入れた。
「手伝うっつーか、ピナはプロだし」
「えっ? プロ?」
生徒だけでなく、先生まで緑の目をまんまるにしてピナを見た。
「あっ、わ、私、実家がパン屋で、売り物のパンやクッキー作るの手伝ってたんで、慣れてるって言えば慣れてますけど、まだ全然、お兄ちゃんよりずっと下手だし、お店焼けちゃったからプロって言っても、そんな、えっと、あの……」
モーフは背中に氷の定規を入れられたように固まった。
何とかしてピナを慰めたいが、罪悪感と、これ以上余計な口を滑らせないかとの恐れで顎が強張り、舌がもつれて言葉にならない。
「あ、あの、でも、大丈夫です。お兄ちゃんと妹は一緒だし、母さんも知り合いがトポリで見たって言ってたし、帰還難民センターの【明かし水鏡】も母さんは生きてるって、あの、だから、えっと」
家庭科の先生がピナを抱きしめ、やさしく背中を撫でる。
「辛かったね。早く平和になってお母さんと会えますように。パニセア・ユニ・フローラ様の水の縁が繋がりますように」
モーフがいたたまれなさに目を逸らすと、ふたつ括りの女子と目が合った。
「モーフ君は……大丈夫?」
「えっ? お、俺? 父ちゃんは小学校ン時、工場の事故で死んじまったし、祖母ちゃんもアレだし、姉ちゃん足悪ィし、母ちゃん、火ィ回った時、助けようとしたに決まってっけど、俺だけ隣の街で、隊長が、俺ンちがあった辺り丸焼けで跡形もなかったっつってたから、逆に何か色々ふっ切れたし、何でお前らが泣いてんだよ?」
短髪とふたつ括りの女子が肩を抱きあって泣きじゃくる。
男子が重い声で言った。
「モーフ君って強いんですね」
「不幸のレベル高過ぎたら一周回ってヘンな笑い出ちゃうらしいですし、何て言うか……」
三ツ編女子も涙目になって唇を噛んだ。
その後、気が付いたら、みんな学校から帰って荷台に居た。
手に持ったクッキーの包みはまだ温かい。何をどうしたのか記憶があやふやだが、どうにかして作ったのだろう。ピナなら目をつぶってても作れるハズだ。
……やっちまった。
ピナは、すっかりいつもの調子に戻って夕飯の手伝いをするが、モーフは顔を合わせられず、物欲しそうなメドヴェージに包みを押し付け、係員室に逃げた。
☆トラックの運転手さんに教えてもらいました……「243.国民健康体操」「263.体操の思い出」参照
☆ローク兄ちゃんに教えてもらった奴……「329.高校式筋トレ」参照
☆母さんも知り合いがトポリで見たって言ってた……「826.あれからの道」「0964.お茶会の話題」参照
☆帰還難民センターの【明かし水鏡】も母さん生きてる……「596.安否を確める」参照
☆隊長が、俺ンちがあった辺り丸焼けで跡形もなかったっつってた……隊長が見た自治区の東地区の現況「894.急を知らせる」参照
※ ガリ版……謄写版。簡易印刷の一種。原紙を鉛筆でガリガリして製版する。版ができたら、一枚ずつ手作業でインクを付けて刷る。全部人力なので電力がなくても刷れるが、大変面倒。




